むかへとる 彌陀の光の うれしきは 名にあらはれぬ いひたてねども
千載集・釈教
わび人の 心のうちを よそながら 知るや悟りの ひかりなるらむ
誓ひおきて みちびく人の ひまなきに 光もたえぬ ものにぞありける
人はいさ 光のすぢを しかぞとも おなじ佛や しらばしるらむ
たとふべき 言葉も道も たえぬれば いふかたもなき 光とぞおもふ
月日すら まちつけつれば あるものを 彌陀の光を おもひこそやれ
くるしみを なしともさらに いはしみづ 名に流れし 彌陀の御国は
うまればや めぐるとならば をぐるまの 輪にまがふなる 池のはちすに
ふえのねに ことのしらべの かよれるは たなびく雲に 風やふくらむ
いろいろに たへなるはなの ちりかひは あまのみ空や まだらなるらむ
もるひとは たれともなしに さまざまの はなにも法を そなへてぞみる
なにとなく さへづるだにも あるものを いかなる鳥の 法をとくらむ
ささがにの いとさるみとは ならずとも しばしかきつく かたを知らばや
そのくにを しのぶもぢずり とにかくに 願ふ心の 乱れずもがな
みそらにも ふきかよふらし おほくちの まかみが原の このしたかぜは
いろいろの 雲のはたてを かぎりにて 入る日や彌陀の 光なるらむ
おもふより 心の塵を すすぎつる 水につけても 流れぬるかな
光さす 瑠璃の苔ぢに いとどしく 黄金の真砂 數重ぬらむ
さまざまの うゑきは花も ときはにて 枝もとををに 光をぞさす
池水の 藻にすむ身とは おもへども われから法に むつれぬるかな