一日中しとしと雨が続くという予報が外れて、雲ひとつない晴天。
消えかけた水たまりを踏みつけながら待ち合わせ場所に急ぐ。ややこしく地下鉄を乗り継いだら、到着がかなりギリギリになってしまった。
「ごめーん、久しぶりで勘が狂っちゃった」
13時59分。
腕時計は待ち合わせ1分前だったけど、とりあえず両手を合わせて謝ってみる。そう言えば思いがけない再会をしてからこっち、いつも先に来てるのは彼の方だ。私だって、どちらかというと「時間に正確」って言われてるのにな。お株を奪われた感じで、ちょっと口惜しい。
「駅の中とかもだいぶ変わったんだね、エスカレーターの位置も変わってて焦ったよ。身体が覚えてる通りに歩くと行き止まりなんだもの、すごく恥ずかしかったわ」
約束の「模擬」デート。零士が決めたこの日の場所は、意外にも懐かしい学生の街だった。
あの頃は毎日のように仲間たちと歩いていた道、中途半端な高さの雑居ビルや垢抜け切れてないショッピングモールが続いてる。それでも田舎から出てきたばかりの私には何もかもが珍しくてたまらなかったっけ。午後からの講義の日に早めに家を出てぶらぶらするつもりが夢中になって、危うく遅刻しそうになることもしばしばだった。
「会社の近所とか歩いてて、知り合いに見られても面倒だしな」
そんな風に言われて、かなり驚いた。何だ、気にしていたんだ。私、全然平気かと思ってたのに。今までだって何度も連れだってご飯とか食べに行ってたじゃない、それの延長だと思えば気負うこともないと思うんだけどな……?
妙に慎重になる零士には正直「情けないなー」と思ってしまった。だけど、まあ仕方ないのかな? ようやく始まる新しい物語に最初から余計な折り目を付けたくないものね。念には念を入れるくらいでいいと思う。
この街なら「え? そんな場所あったっけ」と言われてしまうくらいのマイナーなスポットだし、お互いの意中の君の生活圏からも外れている。
「そうか、俺はこっちに得意先があるからな。月に二度は今でも足を運んでるよ、何となく腐れ縁みたいで離れられない感じだな」
へー、そうなんだ。知らなかったよ。だからすぐにこの場所を思いついたんだ。
「アーケードの先にある映画館、先日改装が終わったばかりで見違えるほど綺麗になったって話だよ。あの頃はコンクリートがむき出しの安っぽい造りだったからなあ……長めの作品を見てると腰が痛くなる椅子だったよな?」
ああ、そう言えばそうだったよね。もうすっかり忘れきっていた記憶をひとつひとつ掘り起こしていく。
気ままな学生時代、人によっては懐かしい思い出として心の片隅に留まっているのだろう。でも少なくても私はそうじゃなかった。四人組が解消してからも仲の良い友達は出来たけど、その子たちともいつの間にか疎遠になってしまっている。
全てを、断ち切りたかったのかも知れない。あの痛みに繋がるアイテムは何ひとつ残したくなかった。
「あれー、ここって前はドーナツやさんじゃなかったっけ? えー、カレー専門店だって。あ、隣りも本屋さんじゃなくなってる!」
いちいち驚いてしまう私に、零士は自分の知っている記憶で対応してくれる。ドーナツやさんは今のカレー屋になる前にはラーメン屋もやっていたそうだ。ほんの数年の間に信じられないほどめまぐるしい。店舗の内装をほんのちょっと変えただけで、全く別の食材を扱っちゃうんだね。
全面ガラスの内側を興味深くのぞき込んだとき、後ろの視線に気付いた。
「……髪型、元に戻したんだ?」
言い終えてから、自分の言葉が適切じゃなかったことに気付いたのかな。何とも照れくさそうに苦笑いする。そんな風にされるとこっちまで恥ずかしくなっちゃうでしょ、気のせいか耳元が熱くなったみたい。
「うん、美容師さんに勧められてね。あんまりひっつめてるのも良くないって、生え際がこれ以上後退したらやばいし」
もともと緩いカールをかけていたから、今回はそれをもう少しはっきりさせた感じ。朝のセッティングにはかなり念入りに時間を掛けることになったけど、その分一度決まれば崩れる心配も少ない。やっぱ何事にも気合いが必要ってことだろう。
……別に、零士に指摘されたからって訳じゃないんだよ。ただ、いつもと雰囲気をがらりと変えてみたら彼もびっくりするかなって。うん、零士のためじゃないから。絶対に違うから。
「零士こそ、昔に戻ったみたいじゃない。明日もそんな感じの格好で行くの?」
気恥ずかしさから、慌てて話題をすり替える。
まあ、行き先がホームセンターだしね? あまりかしこまったら変か。場合によってはそのまま植木を運んで植え付けってことになるかも知れないんだし、動きやすい服装が一番だよな。
「まーな、でも明日の服はちゃんと新調したから。こっちはタンスから探した昔のだけどな」
そう言いながら、上着のポケットから取り出すタバコ。慣れた手つきで火を付けるのを見届けたあと、私は用意していたものを取り出した。
「はい、これ。やっぱポイ捨ては良くないよ? 気になってたんだ、ずっと」
シンプルなかたちの携帯灰皿、偶然入ったショップで見つけた。別に私がプレゼントすることもないんだけど、まあいいかなって。愛煙家の人ってそれほど気にならないのかな? 吸い終わったあとの「ポイ」がすごく嫌だったんだ。
「別にタバコを吸うことまでは否定しないよ。でも、モラルを考えて欲しいな。彼女だって、そういうところをちゃんと見てるはず」
この頃では公共施設でも全館禁煙とか珍しくなくなってるし、やっぱ可哀想かなという気はする。私は美春のように強い言い方は出来ないけど、それでもこれくらいのお節介は構わないかなとか。
「そ、……そうか」
ありがとよって、遠慮なく受け取ってくれる。銀色の蓋を開けて、しばらくは中身を珍しげに確かめていた。
「お前も、今日の服似合ってる。やっぱそう言う感じが『らしい』よな」
不意に顔を上げてそんな風に言うんだもの、ちょっとびっくり。全然指摘されないから、可もなく不可もなくなんだろうなーって思ってた。気にしてる素振りもなかったのに、ちゃんと見てくれてたんだね。
「うん、もうこうなったら『自分に似合う』よりも『自分が着たい』格好にしちゃおうかと思って。かなり年齢ギリギリって感じだけど、どうにかセーフかなあ」
大学進学で上京して、一番最初に買ったのは春色のスーツだった。
うす桃色のジャケットにふわふわのミニフレア。それこそどこにでも着ていけるような感じであまりかしこまってなかったけど、とにかく重宝した。始めて沖田くんの家に招かれたときももちろん着て行ったよ、今になってみれば何をそんなに構えてたんだって笑っちゃうけど。
キュートな外見に似合わずにボーイッシュな服ばかりを好む美春。だから私は対になるように正反対のイメージばかりを選んでいた。たぶん零士も、ずっと私のそんな姿ばかりを見ていたんだと思う。だから再会してシンプルファッションになってしまった私に違和感を覚えたのだろう。
「ギリギリってほどでもないと思うけど。職場ではとにかくプライベートなら好きな服装でいいと思うよ? いつもいつも年齢相応でいようなんて思っていたら窮屈だよ」
驚いて振り向くと、零士はいつも通りに柔らかく口元に笑みを浮かべてる。本人としては何気なく言ったことなんだろうな、でもこっちは突然だからドキドキしちゃう。
ほらって、指さした向こう。新装開店の垂れ幕が掛かったピカピカの建物が見えた。
「へー、広くなったね。ここの入り口とか屋根が小さくて雨の日には苦労したのにねー!」
ただいま公開中の作品が、巨大なポスターで示されている。もちろん封切りしたばかりの明日鑑賞予定の作品も特に目立った場所に掲げられていた。強面の主人公のしかめっ面がアップでこちらを睨み付けてる。
「あれ、次の上映までまだ1時間以上あるじゃない?」
待ち合わせの時間を決めたのは零士だ、だから映画の上映時間とかきちんと調べているのかなと期待してた。もちろん明日は席を予約してあるし、時間も念入りに確認してる。お互いに何も下調べをしてなくて気まずくなるなんて嫌だったもの、負の因子は出来るだけ省かなくちゃ。
先日の話し合いの結果、今日はオーソドックスに「映画を見て、そのあと軽く夕食」ってスケジュールにしてみた。別にホームセンターで植木を選ぶ方でも構わなかったけど、まあここは王道でね。零士だって、明日が上手くいけばその次は映画でもってことになるかもだし。
「違うよ、今日はこっちを観ようと思ってさ」
零士は今まで私が目にも留めてなかった隣のポスターを指さすと、そのまま当然のようにチケット売り場に進んでいく。二言三言の会話をしたあとに、ふたり分の入場券を手に戻ってきた。
「同じ作品を二度観たってつまらないだろ? それに、どちらかというと志穂の好みはこっちだと思ったんだけどな」
……ま、そりゃそうかも。
ベストセラーの小説を映画化した恋愛もの、そういう「いかにも」って感じが昔から好きだった。でも今回のは最後がかなり切ないって聞いてたから、ひとりで映画館に行くのは辛いなって。あとでDVDが出たらレンタルしようと思ってたんだ。
でもー、どう見ても男性好みの作品じゃないし。零士は面白くないんじゃないかな……?
「ほら、あと10分で始まるって。急ごう」
本人がそれでいいって言うなら、別にこっちが遠慮することもないか。ふうん、いいとこあるじゃないの。だから、学生時代にも後輩の女の子たちに慕われてたのね。
「うん、……あの」
さっさと入り口に進みそうになる背中を追いかけて、上着の裾を軽く引っ張る。
「気を遣わせちゃって、ごめんね」
振り向いた顔にそう告げたら、零士は少しだけ頬をゆがめる。
「……そう言うときは、『ありがとう』でいいんだよ。いちいち遠慮しなくていいから、志穂はもっと我が儘なくらいでいいぞ」
開かれた布張りの扉。濃紺の絨毯の敷かれた床を零士はどんどん先に進んでいった。
「……もう、大丈夫か?」
何度目の問いかけだろう。
すぐに「うん」って返事がしたいのに、こみ上げてくる感情が邪魔をして出来ない。くしゃくしゃになったハンカチ、私の分はもう絞れるくらいになっていてこれは二枚目。上映中に零士が手渡してくれたものだ。
すごい、自分の中にこんなに水分が詰まっていたとは知らなかった。
上映が終わって明るくなってからもしばらくは立ち上がることも無理で、気が付けば私たちが最後。清掃係のお兄さんが迷惑そうな顔で通路を通り過ぎていく、ようやく立ち上がることが出来たのは零士がしっかりと支えてくれたからだ。そのまま扉を出たすぐのところの長椅子に腰掛けて、気分が落ち着くのを待っているところ。空いた方の左手は零士の右手にすっぽり包まれていて、それでも指先の震えが止まらなかった。
確かに、どうにも救いようのない内容だったと思う。そう残虐な描写があるわけではないんだけど、とにかくがすれ違いすれ違いの連続。どうしてここまでヒロインに不幸が襲いかかるのかと憤りを感じてしまうほどに、全ての出来事が裏目に出て浮かばれない感じだった。
ともすれば痛すぎて入り込めない雰囲気、最初は私も自分で自分をガードして必要以上に入れ込まないようにしていた。だけど、途中のシーンで。それまで理解の出来なかった主人公の気持ちが胸にさくっと落ちてきて、その瞬間から駄目になった。
場内のあちこちからすすり泣きの声はすでに聞こえてきている。だから、私だけが感じ入っているわけじゃなかった。でも、……それでもこんなに涙が止まらなくなるなんて。こりゃ、デート向きの作品じゃないやとしみじみ思った。
びっくりしただろうなあ、零士。自分が誘った映画でこんな風にわんわん泣かれたら、さすがに参っちゃうと思う。それでも呆れることなく付き合ってくれることに感謝するよ、やっぱりこういう腐れ縁的関係って素敵だね。振りほどかれることのない左手、だから少しずつ「元気」が戻ってくる。
「……たぶん、そろそろ平気」
すでに終了から30分以上が経過してる、次の上映に合わせた入場も始まっていた。胸の震えは未だに収まらないけれど、そろそろ涙は止まるはず。
ただならぬ私の気配に、ハンカチを手渡してくれたあともずっとこちらばかりを気にしてくれていた零士。他のお客さんが迷惑すると思ったのだろう、声をかけてくることはなかった。
でもクライマックスに近づいたあるシーンで、まるで足下から崩れ落ちるような衝撃が走って。画面から目を反らせないまま硬直してしまった私の左手を、彼はそっと取って自分の膝に乗せてくれた。
両手で包み込まれる、じんわりとしたぬくもり。遠く飛ばされそうだった心がようやく胸に戻ってくる。そうしたら、新しい雫が再びあふれ出してすごく楽になった。
泣いてるのに「楽になった」って、ちょっと違うかなと思う。でも、気持ちが外に出ない辛さよりはずっといい。それまで抑え込んでいた何もかもがいっぺんに解放されていく。そして、隣には零士。私のことを何でも知っていて、かしこまる必要のない相手がいてくれる。
相手の気持ちを探って、疑って。これも駄目、あれも駄目って自分を縛り付けて。
私だって、あの主人公と同じ気持ちだった。幸せになりたいと願っても、その方法にはどうしても辿り着けない。ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返し、結局は何もかもを失っていった。
私のこと、「好き」って言ってくれた相手だったのに。
だったら、その言葉をもっともっと信じてみれば良かったのかな? 疑ってばかりいたから、次第に窮屈になっていったのだろうか。自分に自信がなくて、どう足掻いても美春みたいにはなれなくて。忘れたい忘れたいと思いつつも、知らないうちに美春の面影を辿り彼女のように振る舞おうとする自分がいた。
美春に、なりたかった。
今はもうそうじゃないって思ってたけど、結局私はまだ「過去」に囚われたままなのだろうか。封じられた記憶を共有する零士という人間に再会して、今それを痛感する。
そして、零士も。……もしかしたら、同じ気持ちだったりするの……?
「それじゃ、すっきりしたところで飯でも食いにいこうか?」
勢いづけて、椅子から立ち上がった零士。曖昧なままの気持ちを私はぐっと飲み込んでいた。
「ありがと、零士」
もう一度、気を取り戻して。繋いだままの手のひらに全ての想いを込める。良かったよ、零士がいて。他の誰でもなくて、今ここにいてくれるのが零士で良かった。
だから幸せになろう、今度は絶対。最後まで諦めないで、頑張ろうね。
「まーな、志穂の泣き虫には慣れてるし」
素っ気ない返答、でもぎゅっと握り返してくれた手のひらが温かい。私は誰にも聞こえないほどの小声でもう一度「ありがとう」と呟いた。
「あー、降って来ちゃったんだね」
黒く色を変えたアスファルト。案内されたテーブルが奥まったところにあったから、食事中は少しも気付かなかった。映画館を出たときにはすでに冬の陽が暮れていて、空模様も確認できなかったもの。
「ま、予報通りってことか。今夜降り続いたら、明日は大丈夫かもな」
軒先のプランターの花たちも冬の雨に濡れている。とっても可愛いフレンチのレストラン、こんなところを選んでくれるなんて意外だった。また、いつものように居酒屋でシメかとばっかり思っていたのに。
「手頃な値段で結構うまそうだと思ってたんだけどな、ランチタイムなんて女だらけでとても入れる雰囲気じゃないんだ。良かったよ、ようやく味見が出来て」
お店の内装もひとつひとつが可愛くて、確かに女の子好みな感じ。さりげなく置かれた花も陶器の人形もテーブルひとつひとつで違っていて、眺めているだけで楽しい。
新鮮な野菜をたっぷり使ったメニューも上品な味わいだった。もちろん、デザートのケーキも最高。プチサイズを二種類選べるってところが心憎いわ。
「そりゃ、予報は予報だけど……」
うーん、すごい降りだわ。まるで今日一日分の雨が一気に降り出したんじゃないかと思うくらい。これじゃ、さすがに駅までは傘がないと辛いかな。びしょぬれで電車に乗るのも嫌だなあ……。
何しろ出掛けるときは晴れてたし。とは言え、ふたり揃って傘を持ってこなかったなんて間抜けだわ。
「さ、行くか。待ってたって、こりゃ絶対に止まないぞ」
そんなことを言ったって、どうするつもりなの? そう訊ねようとしたときに、零士は一度羽織った上着を脱ぎ出す。一体何だろうと思っていたら、その片側を私の頭にかぶせた。
「一気に駆け抜けようぜ、そう大した距離じゃないし」
ニッと上がる口端、思いがけない提案だけど悪くないかなと思った。
水たまりを避けることは最初から諦めてた。どこもかしこも水浸し、平らに見えるアスファルトが実はかなりでこぼこしてたんだなって気付く。あっという間に靴の中まで水浸しだ。
雨の中をばちゃばちゃ走るなんて、大人げないにもほどがある。
でも、この街だったらそれも許されるかもね。実際、あちこちに濡れ鼠で走っている若者がいる。クリーニングの必要なスーツがいらなかった頃は、少しぐらいの雨も全然怖くなかったっけ。最悪風邪をひいても、講義をさぼって寝てればいい。
気楽だったあの頃に、もっと自由に心を飛ばしておけば良かった。不完全燃焼の気持ちが今でもこんな風に心の中でくすぶり続けているくらいなら。
「……あ、そうだ!」
もうちょっとでアーケードに入れるという場所まで来て、ハッと思い出す。
「ねえねえ、あの場所。せっかくだから行ってみようよ。こんな機会、なかなかないしね」
先ほどの食事の席で、昔話に花を咲かせていたときに出た話題。すっかり忘れきっていたことなのに、思い出したら気になって仕方ない。
「え、でも ――」
さすがに零士も躊躇しているみたい。そりゃそうだよね、ここからだと逆方向だし。駅がますます遠くなるし、さらに濡れるし。だけど……もしも零士が行かないって言ったら、ひとりでも行きたいなって思った。
「ま、いいか。たまには志穂の我が儘に付き合ってやっても」
そう言って笑った零士の顔を、すぐ脇を通り過ぎていく車のライトが明るく照らした。
中央公園、遊歩道の入り口。
ひさし付きの休憩所でようやく一息。零士の上着のお陰でずぶぬれになるのは免れたけど、それでも肩先とか膝から下とかは悲惨な感じだ。でも……そんなことはもう気遣っていられなかった。
「わー、綺麗……」
久しぶりに眺める風景、夜になるとライトアップされるその道は学内ではこの上ないデートスポットともてはやされていた。幾重にも重なり合った街灯が、まるで光のトンネルみたい。その上に銀色の雨が降りかかって、すごく幻想的だ。
「雨粒で輝きが何倍にもなってるみたい。下から見上げたら、どんな気分だろうね。ああ、くぐってみたいなーっ!」
そりゃいくらなんでも無理だろうと、苦笑いする零士の横顔が告げている。
まあそうだろう、これ以上濡れたら本格的にまずいし。それに……あそこはカップルじゃないと通っちゃいけない道だって言われてるのよね。そんなのただの迷信だけど、あの頃は頑なに信じてたっけ。
もちろん、私だって何度かあの場所を通ったことがある。こんな土砂降りはさすがに経験してないけど。そして「永遠の愛」が手にはいるわけはないってことも、すでに分かってた。
どんなに大切に想っていた相手でも、時の流れの中でその気持ちは次第に色あせていく。どうにかして繋ぎ止めておきたいと頑張ったってそれは無理。
「志穂」
こんな天気の夜に「伝説の場所」を訪れる物好きも見当たらなくて、ギャラリーは私たちふたりだけ。いつまでだって眺めていたいきらめきに心を奪われていると、不意に左斜め上から声がした。
「うん?」
そのときになって、ふたりの身体がほとんどくっつくくらい接近していたことにようやっと気付く。何しろひとつしかない上着を雨よけにしていたんだもの、身を寄せ合うしかなかった。でも、もう今は平気だし。そう思って少し距離を置こうとしたら、逆に肩を掴まれて引き寄せられる。
「零士……?」
遊歩道の輝きを全てその瞳に映して、少女マンガみたいにキラキラになった目。ぼんやりと見上げていたら、静かに瞼が閉じて。それからゆっくりと近づいてきて――。
「待って」
ぱんと風船が割れるみたいに、現実が戻ってきた。ハッとした零士の顔に、私はゆっくりと笑いかける。
「予行練習はこれでおしまいだよ、明日の本番はお互い頑張ろうね?」
次第に強くなる雨音、遠く近く耳にこだまする。迷子になりそうな心をたぐり寄せるように、零士も「そうだな」って微笑んだ。