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… 「片側の未来」☆樹編 …
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 学校が面白くなかった理由は山ほどある。

 そもそも、私は西の杜学園になんて来たくなかったのだ。確かに制服はちょっと可愛いなとか思ったけど、明らかに着る人間を選びそうだし、あの淡い色遣い、似合わなかったら最悪だ。
 小学校を卒業するときも一瞬だけ、中学受験の話は出た。でもその時は三歳年上の兄の高校受験の方に両親が掛かりっきりですっかりスルーされてしまう。まあ、私にしてみれば幸いなことだったんだけど。

 正直ね、がむしゃらに勉強すればもしかしたら西の杜に引っかかるかも知れないな、とか自分でも思っていた。小学校でも塾でも常にトップクラス。同じくらいの成績の子たちは、みんな中学受験を目指していたし。長い目で見れば絶対に楽だからと、商魂たくましい塾講師は必死だった。だよね、有名な私立中学に塾生がいっぱい進学すれば、その分また新しく生徒が取れる。大人なんて、いつも自分が得するように考えるんだ。
 上辺だけは親切な講師の振りをして、腹の内では違うことを思ってるなんて見え見え。子供だから気付かないと馬鹿にしたら、ひどいわよ。結構、そんな反発もあったんだと思う。私はひねた小学生だった。

 

 近所の公立中学に入学して、もう西の杜なんて頭の隅っこにもなかった。それなのに、思わぬ展開が待っていたのよね。

 どうも、兄が進学した高校で成績が思わしくない。余り無理をしては入ってから後が大変なことになると言ってレベルを下げたんだから、そんなに努力しなくても上位クラスに入れるはず。それなのに、兄の成績は瞬く間に下降線を辿り、夕食の一家団欒の席も殺伐としたものになった。
 まあ誰でもそうだと思うんだけど、初めてのことって意気込むわよね。それがウチの両親の場合は兄についてのあれこれ。だから私はその影に隠れて、のほほんと過ごせば良かった。それに兄を見ていれば、それなりに出来そうなこととそうでないことは分かってくる。危ない橋を渡ることもないし、要領よくなっていくのは当然だ。両親は兄のことで全てを使い果たし、いつでも私は余りもの生活。お金も時間も……愛情も。

 あ、別にね。ひねてるわけじゃあないわよ。何て言ったって、気楽だもん。理想と現実のギャップに苦しみ、はたまた引きこもりっぽくなりかけた兄に、泣いたりわめいたりの両親。家族の騒ぎなんて何処吹く風、私は私の道を行く――はずだった。

 けど、すっかり安心していたある日。兄の爆弾発言が投下されたのだ。

「やっぱさ、名前の通った私立に限るよ。指定校推薦の数も全然違うし、何て言ったって学校で独自に補習授業とかしてくれるんだから。そりゃ、もちろん授業料とは別料金を取られるんだけど、予備校に夏期講習に通うよりもずっと安く付くらしいよ?」

 兄のことで、ぼろぼろに疲れ果てていた両親である。もう、こんな何の裏付けもないようなひとことにすら、食いついてきた。もはや、私の反論になんて聞く耳を持たない。まだ中二の夏休みだというのに、それからは灰色の受験生活に突入になってしまった。

 まあ、受けるだけ受ければ、両親も納得すると思ったのよ。何しろ、西の杜学園に高等科から入るのは本当に自殺行為なくらい大変なんだから。最初から望みなんて持っていなかったわ。
 そしたら、いつもの年よりも定員の枠が多くて、運悪く補欠合格しちゃったのよ。こんなはずじゃなかったのに。今頃は自分の成績に見合った高校で、スクールライフをエンジョイしてるはずだったわ。

 兄は一浪の末、今年の春ようやく二流大学に滑り込んだ。その瞬間から、両親の四つの目が私にぴったりと焦点を合わせる。ただですら、付いていくだけで必死の学校なのよ。この上にどうしろというの。まあ、何だかんだ言っても、最終的に受験することを決めたのは私だし仕方ないんだけどね。

 

 ――けど、ウチの親。兄が腹の底で何を思っていたか、全然気付かないんだもん。あの口八丁にまんまと騙されてさ。ばっかじゃないかと、思っちゃう。

 


「こうやって、まじまじ見れば。飛び抜けて可愛いとは言えないまでも、中の上くらいだよね? だけどさ、その薄暗い雰囲気どうにかしないと。まあね、普通は外部受験組って、スポーツ優待とかが多いから。小杉さんみたいに、真正直に学力だけで入る奴って国宝モノかもね」

 ――ちょっと、待って。

 この男、今、一人称が「俺」にならなかった? でもって、私のこと「小杉さん」って呼んだよね? ……ねっ!? なまじ、最初の「薫子ちゃん」が印象的だったためか、このギャップがすごい。立ち上がった姿勢のまま凝固してしまった私を前に、彼はニコニコと心の読めない微笑みを浮かべたままで話し続ける。

「何か、部活にでも入ればいいのに。得意なスポーツとかないの? ……あ、バレー部は受験のために、中二の夏が終わった頃に退部しちゃったんだっけ? それが元で、チームの仲間からは「裏切り者」とか言われちゃったんだって? 確か、軽いいじめとかにもあったんだよね。だもん、こんな風に人を寄せ付けない性格になっちゃったのか。可哀想にねえ、……ふふ」

 小首をかしげた仕草が、計算し尽くされた角度。飲むヨーグルトのストローを含む唇が男の癖になんて綺麗なの。かといって、なよっちい印象は受けないのが不思議。そして、このまま特大パネルに出来るくらいの極上のショットのまま、投げかけられる言葉は私の想像の域を遙かに超えていた。

「……え?」

 な、何っ!? 声が喉の奥にへばりついたまま。次の台詞なんて出てこない。っていうか、もう頭の中が真っ白。ハードディスク初期化状態。ど、どうして。この男が、私の過去を知ってるのよ。そんなこと、今の学校の人は誰も知らないはず。情けなくて、誰彼となく語れるような話じゃないし。

 だいたいね、この学校のみんなって絶対に変よ。あれだけのハイレベルの授業に課外に。その上宿題はてんこ盛りだし、予習復習までこなすのは至難の業。それなのに、部活動なんてやっちゃって。その上、ただの息抜きなんてモンじゃない、きちんと県大会優勝レベルだ。

 でも、ホント。部活なんて、もううんざり。私だって、好きで辞めたんじゃないのよ。西の杜を受けるなんて無謀な真似をすることになったから、塾の特別講習とか受けなくちゃ行けなくなって、続けられなくなったの。きちんと説明したのに、みんな言いたいこと言ってさ。最初に「裏切り者」って言ったのは、親友だと信じていた子だったわ。

 ――けど、やっぱおかしい。

 何で、それを目の前の男が知ってるの? って、コイツ。一体私の何を何処まで知ってると言うんだろう。とてもはったりで言ってるようには思えない。計算尽くの感じだ。

「ふうん……、分かりやすい反応だなあ」

 こっちが冷や汗たらたらでいるというのに、何て涼しい顔してるの。

 彼は反動を付けることもなく、すっくりと立ち上がる。そうなれば、もう目の高さはぐっとひっくり返ってしまう。頭のてっぺんから足の先まで、こげ茶の瞳が点検するようになぞっていくのが分かった。そしてまた、ふふっと笑う。

「今時、いないよ。そんなぴっちり切りそろえた分厚い前髪に、お下げ髪。三つ編みだって、もうちょっとルーズにすればおしゃれなのに、そんなにきっちりと編み込まなくたって。
 制服だってさ〜、せっかく可愛いのに、デザインを殺す着方をしなくたっていいじゃん。そんなじゃ、世界に名を轟かせる有名デザイナーが泣いてるよ? 『着るだけでリセエンヌ』が売り文句なのにさぁ」

 ものすごい、失礼なことを言われている。それは分かってる。

 自分と同レベルの人間から「ブス」とか「馬鹿」とか言われても、憐れみこそ感じても腹は立たないよね。でもでも、目の前にいるのは極上な見てくれの男。そんな奴にこんな言われようは情けなさこの上ない。……って言うか、もうさ。性格最悪の奴じゃん。もう、全然周囲の評価と噛み合わない……!

「それにさ。馬鹿じゃないの? コンタクトのクセに素通し眼鏡、しかも黒縁。へええ、ちょっと見せてよ。今時、こんなの売ってるんだ〜。……あ、俺にはちょっと緩いかな?」

 ――うわっ! いつの間にっ……! まるでひったくりのような早業。気が付いたら、奴の手に私の眼鏡。

「か、返しなさいよっ! 何してるの、勝手に取るなんて泥棒よっ!」

 緩いって……緩いって。ってことは、私の方が顔の輪郭が太いってコトになるじゃない……! そりゃ、ちょっとエラとか張ってると思っていたけど……でも、普通レベルだと思うわ。私がでかいんじゃないもん、そっちが滅茶苦茶細いんだもん。

「え〜、結構気に入っちゃったんだけど。……やだなあ、返したくないよなあ」

 くすくすくす。何がそんなにおかしいの。こっちが必死になって腕を伸ばしていても、何せ相手が長身。片腕を高く上げられたら、届くはずない。だいたいさあ、こんなに無駄に身長あってどうするのよ。バスケを辞めたら、何の訳にもたたないじゃない……!

「返しなさいってばっ!」

 もう、必死だったのよ。だから、制服の襟元をぎゅううっと掴んじゃった。どうにかして、少しでも屈んでくれないと話にもならない。

 そしたら、たら、なんたること……!  ずいって、いきなりどアップになるくらい顔を寄せてくるの。ぎ、ぎゃあああああっ! 鼻の先、鼻の先が、くっついちゃう……!

「ふうん、眼鏡ないと。結構、可愛いじゃん」

 鳩が豆鉄砲を食ったような間抜け顔の私が、艶やかな瞳にくっきりと映ってる。それが分かるくらい、接近中。こんな近くに出来すぎた顔があると……マジで鳥肌が立つっ!

「でもさあ、……実際。泥棒はどっち?」

 うわ、うわぁ! 顎に指が、指が……! やめてよ、誰かに見られたら絶対に誤解されるポーズだわよ! 離して欲しいのに、それよりも絶対に「知っている」目が怖くて、何も言えなくなる。

 

 私の「秘密」、泥棒って……、まさか。ううん、そんなはずない。コイツが何か知ってるわけないんだから……!

 

「あ、別に小杉さんが何だって言う訳じゃないか。問題は、お兄さんの方だったね。すごいじゃない、人のふんどしで相撲取りまくってさ」

 ――ずる。

 腰砕け、ってこういうことを言うんだ。ううん、膝ががくんと落ちたって感じかな。視界が一瞬で下がって、お尻を腫れ上がるくらい地面に叩き付けていた。

「なっ……何のことかしら? ぜ、全然分からないわっ……」

 この期に及んで、って思うけど。心臓はばくばくだけど。私、知らないもん何も。こんな男が何言ったって、知らないもん。勝手にいい加減なことを言ってれば? 私の何を知ってたって構ったもんじゃないわ。

「ええ〜、いいの? そんな風に言い切っちゃって。ジミーな女子コーセーの小杉さんが実は一部の間で超有名人の妹なんて知れたら、色んな意味で大変だと思うんだけどな〜。噂によると、すごいサイトなんでしょ? 限定グッズの売り上げも上々で。アクセス数もぶっちぎりだって……」

 な、何も聞かないわ。聞いてなんてやらない。だいたい、嫌だったのよ。こんな男と関わるのは。絶対に、死んでも嫌だった。何を震えてるのかしら、私。寒くもないのに、どういうことなの……!?

「あ、携帯サイトもあるんだよね? こっちのがメインなのかな……ちょっと待って?」

 ポケットから取り出されたブラックの携帯電話。片手でちょいちょいっと操作して、液晶画面を見せてくれる。「これがどうしたのよ!」……とか、反論する気力は私には残っていない。

 

 思うような高校生活を送ることの出来なかった兄。

 彼は昔からアイドルの追っかけとか好きだった。でも、しがない高校生、ついでにバイトも禁止だったから、先立つものがない。そうしているウチに、見つけたらしいのね「ご近所のアイドル」って奴を。

 今時、小学生だって自分のホームページを簡単に作れる時代よね。もしもターゲットがディズニーとかジャニーズ事務所とかだったら、肖像権の問題とかうるさかったと思う。でも、兄が目を付けたのは一般人だったから、こうるさい外野はいない。最初は、隠し撮りした生写真とか飾って喜んでいたみたい。
 そのうちに、待ち受け画面とかそういうのの配布も始めて。だんだん図に乗って、ラミカの販売まで開始した。御利益があるからとか言って、毎月かなりの申し込みがあるらしいけど、それって全部手作業の自作なの。家庭用のラミネートの機械を使って、忙しいときには私も手伝わされたわ。「マッキー特大ポスター」の飾ってある兄の部屋でね。とても知り合いには見せられない姿だった。

 ――でも、でもっ! 兄はサイトの管理人「すぎっち」が自分だって、一部の人にしか話してないって言ってた。オフ会とかもやるらしいけど、そう言うところに来るのはコアな人たちだもん、公然の秘密って感じよね。それに、ターゲットには絶対にお触りナシだから、知られるはずない。

 

 そうなのだ。兄が私をどうしても西の杜に入れたかったのだって、ここにいる槇原樹が偶然にも同級生だったからよ。

 やはり内部からのレアな情報は高く売れる。もちろん、公式試合とかのショットもいいんだけど、やはりファンにとって一番美味しいのは、普段の飾らない姿だ。今はデジカメだってちっちゃいし、いざとなれば携帯でパチリが可能。有能な情報員になってくれと言わんばかりだった。

 もちろん、そんなの嫌に決まってるでしょ? いくら頼まれても断ったわ。バイト代を月に一万出すって言われたけど、ぴしゃりとはねつけた。

 もともと、兄と違って私は槇原ファミリーという一般市民から崇拝される一団を崇め奉るような趣味は持っていない。っていうより、何がどうしてただの一般人をあんな風に追いかけ回すのか、全然分からなかった。あんなの絶対に外面が良くて、カッコつけてるだけじゃない。きっと家ではよれよれのTシャツとか着て、ごろ寝してお尻をポリポリしてたりするんだわ。

 兄の足を引っ張るような真似はしないけど、かといって協力はしない。まあ、そんなに槇原樹に会いたかったら、保護者会でも何にでもいらっしゃいよと言う感じだった。兄もそれで納得したみたい。PTA役員くらいしか見に来ない体育祭に一眼レフのカメラを持って駆けつけたのには他人の振りしていたけどね。

 

 ――絶対にばれるはずないから安心しろって、そう言われたわよっ! ……違ったのっ!?

 

「だいたいさ、『マキハラ商会』なんてネーミング、いくら何でもダサ過ぎない? 家電の安売りチェーンじゃないんだしさ。……お兄さんに、よーく言っておいてよ? 迷惑してるんだから、プライベートを好き勝手に覗かれまくって」

 こ、こういうのって、どんな風にたとえたかしら? 確か「蛇に睨まれた蛙」? ……いやあ、いくら何でも自分を蛙にはしたくないなあ……。

 奴の方は、私が観念したのを知ったのだろう。さらに滑らかに加速していく舌で、ぺらぺらと手の内を明かしてくれる。

「ここのサーバーさ、ウチの父親が入ってる商工会の電気屋の店長が趣味でやってる奴なんだよね。もちろん、普通ならお客の個人情報なんて流してくれないけど、これはさ、一歩間違ったら犯罪じゃん。だから、すぐに親のところに話が来たよ。馬鹿だよな〜、地元のなんて使うから。そりゃ、個人のサーバーの方が色々と融通が利くし、大手じゃ出来ない仕様に出来るから便利だけど。
 本当、おめでたいよね。そういうの、全然知らないで、好き勝手やっていてさ。お兄さん、一浪の末、ようやく大学に入ったんでしょ? 今はハイテク犯罪真っ盛りだし、下手したら首切られるかもよ? 御両親が嘆かれるだろうねえ……」

 

 怖いんだけど、ちょっと。マジでコイツ、ヤバイかも……!?

 

 私だって、一応は秀才で通っていた人間よ。普通のレベルから考えたら、頭も回るし、気の利いた言葉だって思い浮かぶ。その場を取り繕って難を逃れるのだって、出来ない訳じゃない。……そうよ、そうなのよ「普通」ならば。

 四方八方から透明な壁が迫って来るみたい。逃げ道がなくなるって、こういう気分……!?

「小杉さん本人だって、ヤバイからね。悪いけど、俺は父親たちのように間抜けじゃないから。やるんだったら、とことんやるから。
 そうだなあ……一度、やってみたかったんだよね。人間ひとり、再起不能にするのって。楽しそうじゃない? でもさ、一般人にそんなことしたらこっちがヤバイし。……ふふ、いいところに来てくれたって感じ? たまんないなあ……もう」

 地を這うような笑い声。そこに5限の予鈴が鳴る。ハッとした私に、彼は通せんぼするみたいに腕を広げた。

「返事、即答で頼むよ? 俺、せっかちだからね。逃げたら自分がヤバイってコトくらい、分かってるよねえ……何たって賢いんだもんね、薫子ちゃんは」

 私にはもはや選択権は残されていない。何もかも、この男の気分次第だ。

 もしも今の話を誰かにしても、信じてくれる人はひとりもいないだろう。何て言っても、学園内ではこの男の一人天下だ。ゆくゆくは高等部の生徒会長にだってなるはず。何て言ったってカリスマ性がピカイチで、統率力も行動力もある。

「いいなあ、たまにはこういうのもいいかも。まあ、せいぜい楽しませて貰うよ? ……俺に任せておけば、間違いないって。あっという間にみにくいアヒルの子も美しい白鳥に生まれ変わるからね。学園のみんなにも、素晴らしいショーを見せてあげられるし。二年生は中だるみの時期だからね、いい余興になるんじゃない?」

 

 どこをどうしたら、こんな風に自信満々になれるんだろう……?

 はねつける気力も残っていない私の脳裏には、何故か予習が途中の英文がぐるぐると渦巻いていた。



 

2004年7月23日更新

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