TopNovel未来Top>君の天使になる日まで・20




… 「片側の未来」☆樹編 …
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 どろどろと地の底を這うような、低い声。でも、それが震えている。どんなにか長い間、彼がそれにこだわり続けていたのか、その奥深さを思わせるほどに。

 けど、……言えない。自分でも良く分からないんだよ。

 

「ごめん、……その」

 どんな風に説明すれば、納得して貰えるの? そんなの分からないよ。何を言ったところで、すぐに嘘だってばれてしまいそう。

 素直になって欲しかったの、もう自分を飾るのはやめてって思った。だって、頑張れば頑張るほど、その心は空回りするんだよ。すべての中で上手く立ち回ろうとしたら、一番大切なものを見失っちゃう。そんなじゃ、悲しいでしょう……?

 ――だけど、本当にそれだけなのかな。私の中にあったのは、もっと別のもの。

「言えよっ、きちんと説明してくれないと納得しないぞっ!」

 彼の目は真剣だった。こんなにも追いつめられていたんだろうか。気にしてないって言ったし、そんな風だったけど、やっぱり私の言葉に傷ついてないわけなかったんだ。明日、また元気になるために、いつもの槇原樹に戻るために、どうにかして彼はひとりで傷を癒そうとしていた。今までもそうだったの? 全然平気だよって顔して、本当は口惜しかったり悲しかったりしたんでしょ……?

「そう……じゃないから、ごめん。違うのっ……!」

 私を見つめる目の色が、ふっと色を変えた。何故だろうと思ったその時に、顎からぽとんとしずくが落ちる。ようやく行き着いた答えに、自分をしっかりさせることが出来なくなっていた。

「違う、そうじゃないのっ、あんたのことが『大嫌い』なんじゃない。嫌いなのは、自分だったのっ! 自分の馬鹿馬鹿しさに腹が立ったの……あんたは悪くないのにっ……!」

 そうなのだ、考えれば簡単なこと。

 どうして、明日美さんがコイツのことをあれこれ言ったときにあんなに腹が立ったのか。その前に自分のことをボロクソに言われても、全然平気だったのに。あのときは、まるで自分の大切なものを馬鹿にされたような憤りを感じていた。

 ――分かったつもりになっていたんだ。

 槇原樹が、時折覗かせるもうひとつの顔。思いもよらない姿をかいま見るたびに、私だけ特別な存在になった気がしていた。誰も知らない真実の姿を私だけが知ってるんだって。そんなのはただの思い上がりでしかなかったのに。その事実を突きつけられたとき、自分を守るために、もうコイツとは関わっちゃ駄目だと思った。これ以上情けない存在にはなりたくないって。

「口惜しかったんだものっ……、だって……!」

 あのとき、何で最初に私の名前を呼んでくれなかったの? それどころか全然無視していたよね。あんたのことをあんなひどい言い方した明日美さんをあんなに大切そうに扱って、何で「彼女」の私がないがしろにされなくちゃならないのかな?

 ううん、分かってるの。本当は分かっていたはずなの。私なんて、最初から単なる「つなぎ」でしかなかったわけだし、それどころか退屈しのぎにからかってやろうって思ってたんでしょ? そんなの百も承知。そうじゃなかったら、わざわざ私なんかに声をかけるはずもない。兄のことだって、本当に潰してやろうと思うならこんな回りくどいことせずに真正面から挑んでいたよね。

 だから、反発していたのに。その手には絶対に乗るもんかって。……それなのに。

「もう……いいでしょ? 答えにはならないかも知れないけど、これしか言えない。自由にして、私を。これ以上巻き込まないで……」

 

 目の前が滲んで何も見えない。視界の端っこに外の照明がいくつもの光の輪になって漂っている。ぱらぱらと木の葉が打ち付けられる音がした。……とうとう降り出したみたい。

 ようやく辿り着いた私の心の真実は、あまりにも残酷だった。

 


 最初は、とにかくいけ好かない奴だと思っていた。その次は、何であんな風に完璧に振る舞えるのかと興味が湧いてきた。だけど、このまま注意深く観察していたら、まるで兄と同じじゃないかって思いとどまって。その後は、必要以上に視界に入れないように努力してきた。

 顔を合わせるたびに「樹くんは、どうしてる?」と聞いてくる兄の質問をことごとく無視してきた。だって、あの兄のせいで何度も過去に嫌な経験をしたのよ。何しろ子供の頃から一風変わった人だったから、やたらと「小杉の妹」と指をさされて。もしも追っかけなんて始めた日には「やっぱり似たもの兄妹だ」と笑われるに決まってる。それだけは避けたかった。
 ……本人には言えなかったけど、兄のせいで片思いの相手に振られたことだってあるんだから。そりゃ口惜しかったけど、同時に「仕方ないかな」と諦めている自分がいたわ。いくら頑張っても、血のつながりはそう簡単に切ることができない。これも運命なんだって。

 隣のクラスだった去年の1年間は、それで難なく乗り越えられることが出来た。もちろん、毎日の授業についていくだけで大変で、よそ見が出来なかったのもあるけど。成績も中の上をどうにかキープ。それでもいつ振り切られるかと不安で不安で仕方なかった。

 

 ――そんなときに、目の前に「天敵」である彼がいきなり現れて。あの日から、ペースが狂いっぱなし。「甘いマスクの優等生」が聞いて呆れる本性に唖然としながらも、気が付けば彼のことばかりを考えている自分がいた。

 優しくて、でも何か人を寄せ付けない雰囲気もあって。ぶっきらぼうなのに、意外と面倒見が良かったり。誰も知らないところで実は色々と気を利かせていたりして。そのどこまでが私を惑わせるための「策略」だったのかは分からない。でも、次から次へとネタを披露されたら、そんなこといちいち確認している暇もないんだよ。

『今まで誰からも嫌われたことないから。別れた子たちも、今でもいい友達だし』

 あっさりと言い切った台詞。それが嘘じゃないこともすぐに分かった。誰にでも人当たりが良くて、とにかくそつがない。でも……そんなに上手く立ち回っていて、本当に楽しいの? 疲れたりしないのかな。

 いつの間にか自分が、彼にとって最大の理解者になったように錯覚していたのかも知れないね。親にも内緒だった「秘密」を惜しげもなく披露してくれるから、本当に特別になった気がしていた。彼の内側に、どんどん踏み込んでいく。それを許されることは、光栄だったんだ。

 ――守ってあげたいって、そんな風に思い始めていたの? 出来っこないのに、そんなことは望まれてもいないのに、……馬鹿だね、私。

 

「薫子……?」

 私を呼ぶ声がとても柔らかくて、それなのに身を切るほどにとんがっている。自分の心をまっすぐに保つためには、もうこれ以上の同情はいらない。今ならまだ大丈夫、きっと戻れる。

「……来ないで」

 ごしごししすぎて、目の縁がひりひりしてる。鼻もずるずる、それをすすり上げたりするから情けなさはこの上ない。何か言おうとすると、顎ががくがくして上手く動かないし。

「私、あんたの今までの彼女さんたちとは違うんだからっ! あんな風に自分に自信は持てないし、失恋をバネにしてさらにレベルアップした恋愛を楽しもうなんて絶対に思えない。そのくらい、最初から分かってたでしょう? あんたの『復讐』は、もう十分のはずよ。気付いてないかも知れないけど、……欲しがってたものはとっくにその手に入れてるんだから」

「……え?」

 奴がわざとらしく自分の両手を見つめてる。そんな滑稽なしぐさを指の隙間から覗いてる私。もしもここで勝ち誇った微笑みを浮かべられたって、私は思わず見とれてしまうんだろうな。それが自分にとってどれほどに痛手になると知っていても。

「し……、しらばっくれなくていいんだからっ! あんたの魂胆なんて最初から丸わかりなのよっ……、私を夢中にさせて、ばっさりと捨てるつもりだったんでしょ? 未練たらたらになって追いすがる姿を見て楽しみたかったんでしょ? ……そうだよね、今までの彼女さんたちはそんなことをしてくれなかったもん。みんな自分が壊れる前にさっさと身を引いたわ。そう言う駆け引きもちゃんと心得てる人たちだものね」

 彼はいつでも鏡のようだった。

 私がひねくれるから、憎まれ口を返してくる。冷たくあしらうと、さらに小馬鹿にしてきた。だから……もしも、私が普通の子たちのように「樹くんの彼女」になったことを誇らしく思って素直に甘えたりしたら、彼の対応も変わっていたと思う。きっと宝物のように大切にされて、そしてすぐに飽きられる。ありきたりな「女の子」じゃ、彼は満足できないんだから。

「特別」になるのは、私如きじゃ絶対に無理だって知ってたもん。

「駄目だよ、私は。あんたが欲しい『答え』も探せなかった。分からない、槇原樹という人間を嫌いになる方法なんて。……嫌いになれないから、困るんじゃない。いつか夢中になって自分が捨てられるのは嫌だから、その前に自衛に出るんだよ。落ちぶれていく自分の姿は見たくないもんっ……!」

 きっと、私の他にもたくさんいたと思う。彼の中の孤独に気付いて、どうにかしてあげたいと考えた人たちが。でも誰にもそれを果たすことが出来なかった。とても難しいことだったし、失敗したら取り返しが付かないし。だから、次の人にバトンを渡すしかなかったのかも知れないね。

 今の私に出来るのは、自分の心が乾いていくのを静かに待つこと。この湿った部分を取り除いたら、元通りになるから。その時は、この数週間の異常だった日々がそのまま過去に変わっていくよ。

 

 ――そして。出来ることなら、友達になりたいな。

 そんなの嫌だって断られるかも知れないけど。だって、友達なら、ずっとそばにいても大丈夫でしょ? 他の人には見せないような馬鹿騒ぎだって一緒にやってあげる。週に一度の児童館にだって付き合うよ。今度は婦警さんじゃなくて看護婦さんになったっていいし。彼が理想の女性に出会える日まで、ずっと応援していきたい。私に出来ることがあれば、何だってするわ。

 

「ふうん、……そうかぁ」

 呟く言葉が間延びする。あれ? と思って声のした方向を見たら、奴は大きく伸びをしていた。そして、私と目が合うとにっこり笑う。

「結局、いつもと同じだな。薫子も離れていくんだ、俺から」

 決して冷たい言い方じゃなかったのに、何だかとても寂しかった。そんな気持ちがそのまま顔に出ちゃったんだろうな、彼はすぐに「気にしていないから」って言うように目配せする。

「ま、いいか。それに薫子はこれからも俺に協力してくれるんだろ? 出来ることなら何でもするって言ってくれたもんな」

 くすくすくす。そんな風に笑っても似合っちゃう。さっきまでの緊迫した空気も嘘のようで、私はちょっと気が抜けた。

 言いたいことがどこまで伝わったのかは分からない。でも、これでいいんだ。慣れない「彼女」というポジションはとても居心地が悪かったもの。特別扱いは心地よいと言うにはほど遠くて、ただただ気後れがするだけだった。一歩下がった場所からなら、心おきなく声援が送れるよ。

「じゃあ、……早速なんだけど。頼みたいことがあるんだ、聞いてくれるよな?」

 窓の外、雨音が少し強くなる。大丈夫かなあ、夜半の雨を想定して校門のアーチとかは当日設置することになっていた。でも、このまま降り続いたら野外での出し物もあるし困っちゃうだろうな。

「……え?」

 驚いたわよ、だっていきなりなんだもん。まるで最初から決まっていた台詞のように、あっさりと言うから思わず聞き返してしまった。
 私の視線の先にいる彼はゆっくりと立ち上がる。そして、窓際まで歩いていって、わずかに残っていた隙間を閉めた。外の音が若干遠ざかる。

「実はさ、いるんだよね、もう。この子ならって、心に決めてる存在が。でも、なかなか手強そうだったから無理かもなって諦めてたんだ。でも、薫子が後押しをしてくれるならどうにかなるかも」

 薄暗い教室の中、空気の動きが止まる。自分の息を呑んだ音が妙に大きく鼓膜に響いた気がして、身震いしていた。そんな私を見守る瞳はとっても穏やかで暖かい。コイツにこんな風な眼差しが出来たんだなって、とても不思議な気がした。

「あ、……ああ。そうなの、そうだったの」

 まるで自分の心に言い聞かせるためみたいに、何度も繰り返していた。次々に繰り出される魔法のアイテム。そのひとつひとつに、私は始終驚かされてきた。きっとこの男にとって、私のような一般人を煙に巻くのは容易いことなんだろうな。

 

 ――けど、さすがにこれにはびっくりよ。

 あんな言い方するから、具体的にはまだ人物像も出来上がっていないのかなって思ってた。それなのに……そうかあ。何だか心配して損しちゃったわ。思っていたよりも早くお役御免になりそうね。いくら「友達でいたい」って願ったって、コイツにオンリーワンが現れたら最後だもんな。もうちょっと、楽しい時間を過ごしたかったなとか思ったり。

 一体、どんな人なんだろ。私の知ってる誰かなのかな? やっぱ、同性から見てもときめいちゃうくらい素敵な人なんだろうなあ。
 でも、またぺらんと一枚めくったら、打算の嵐だったらどうしよう。女子にはいくつも真実の顔があるんだよ、本人が意識してるしてないにかかわらず、周囲の環境に合わせて自分を変化させることが出来る。そう言う才能があるからこそ、「嫁入り」の制度が存続してるって聞いたこともあるよ。

 憧れていた存在の本性を知って、またショックを受けたりするのかも。そしたら、どうしよう。私は慰めてあげればいいのかな? なんかこんな風にぺたーっと信頼されるのって久しぶりだから、心が上手く反応しない。

 

「だったら。まずは人任せにしないで、正々堂々正面から突っ込んだ方がいいと思うけど。主体性のない男は嫌われるからね。やっぱ、多少強引な方が頼りがいがある感じで印象いいよ?」

 そうよ、そんなにしっかりとターゲットが決まってるんなら。もうぐるぐると回り道をする必要はないでしょ? いわゆる「百人斬り」で時間のロスをしたのは取り返しが付かないにしても、それを後悔するより一歩でも前に進む方が絶対にいい。

「うーん、でもなあ……」

 何よ、楽しそうに笑ってるなんて不謹慎ね。顎に軽く添えた片手、小首をかしげる仕草が絵になる男って少ないよなあ。嫌らしくもなくさらりと様になってるのがさすが。

「言ったろ、なかなか手強そうな存在だって。正攻法で行ったら、すぐに逃げられちゃうよ。俺ってこの通りだし、とにかく恋愛については信用ないからね。だから、お前に頼んでるんじゃないか。きっちり話を付けてくれよ、今までの俺とは違うからって。絶対大切にするし、何があっても離さない。鬱陶しくてもうやめてって音を上げちゃうくらい、隙間なくぴっちりと愛してあげるからって」

「は、はぁ……」

 なんか、すごくない? って言うか、聞いてるこっちが恥ずかしくなるんだけど。確かに本人を前にいきなりこんな風にのたまったら、絶対に退かれるよね。うん、正直何か裏があるんじゃないかとか思われるよ。だって、信じられないもの。

「お前のその支離滅裂な言葉でどうにか言いくるめてさ、でもって首根っこを捕まえて俺の前まで引っ張ってきてよ。そうしたら、後はどうにかするから。な、頼むよ。薫子のこと、信じてるからさ」

 ……あの。何か、それって。

「ちょっと、その言い方はひどいんじゃない。どうして人にものを頼むときにまでそんな風に悪態つけるのかな? ……やっぱ、おちょくってるんでしょう、私のこと」

 わざとらしく顔の前で手を合わせたりして。そう言う態度が気に入らないのよ。こっちが真面目になろうとするとこんな風にはぐらかしてくるんだもの。これじゃあいつまで経っても、話が前に進まないでしょ……?

「そうじゃないってば。疑り深いんだからなあ……薫子は」

 ほら、また笑ってる。

 何なのよ、もう。思いっきり睨み付けてやったのに、奴は全然動じないの。そして、まっすぐな視線で私を見つめる。髪の毛も天然にちょっと明るめだったりするけど、瞳の色も焦げ茶色で。鼻筋が日本人離れしてすううっと通っているから、どことなくハーフっぽい。

 

 ……ああ、やっぱり綺麗だな。どんな場面にあっても、鑑賞に堪える存在ってすごいよなあ。

 

 私のそんな心中を分かってるのかいないのか。こほんとひとつ咳払い、彼は言う。

「その要領得ない言い方がいいんだから、きっと分かってくれるはずだよ。さあ、連れてきてくれるよね? ――お前もよく知ってる、『小杉薫子』って言う女の子をさ」




 

2004年11月19日更新

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