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… 「片側の未来」☆樹編 …
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 ぱらぱらぱら……と石畳を打ち付けるのが、まるで雹が降り注ぐ音のようだと思った。

 雨粒よりも小さな硝子玉。あっという間に四方八方に散らばって、跡形もなくなる。とても拾い集められるようなシロモノじゃなかった。まるで、最初から何もなかったように。透明な糸だけが、携帯からぶら下がってゆらゆらと揺れていた。

 すぐ傍で起こっている出来事が、TV画面の映像でも見てるみたいに遠く感じる。何もかもが私の前から現実味を消したこの瞬間に、たった一カ所だけ鮮明に残った脳の奥。

 ――終わった、と声がした。

 

 今この状況を、周りにいる登校中の生徒たちが見てどう思うだろう。

 それはちょっと考えれば分かる気がする。振り向かなくてもざわめきや驚きの表情が頭の中に次々とフラッシュバックしていく。
 槇原樹は私を陥れようとして、こんなたくさんの人の前で怒りを爆発させる方向に持っていったんだ。自分は少しも悪くないと知らしめるように。私は馬鹿だ。どうして、人目に付かないところで行動を起こさなかったんだろうか。

 どう見ても釣り合うはずのない王子様に見初められたシンデレラ――と認識されているのが私だった。自分ではもちろんそうは思っていない。けど、その他大勢からは絶対にそう見えていたはず。感謝こそすれ、嫌がったり迷惑に思ったりするような状況ではないのだ。何て常識のない最低な女だと思われてしまっただろう。

 同じことなら、あの兄の妹として「オタク」の烙印を押される方がどんなにかマシだったか。何故、奴に脅された瞬間にそれを思いつかなかったんだろう。――今度こそ、居場所がなくなっちゃったじゃない。

 

 もともと、意にそぐわないことを無理矢理押しつけられていい結果が出ることはない。そんなのは自然の摂理だと思う。「好きこそものの上手なれ」と言う言葉の通り、楽しんでやっていれば、どんなに苦手なコトだっていつか得意に変わるかも知れない。

 だけど、こんな幕切れって……最悪。

 最初から、来る気なんてなかった学校。「西の杜」なんて、遠くから眺めているのがいいんだ。自分がその一員になろうなんて大それたコト、凡人が考えちゃ駄目だったんだから。

 受かるはずのないと思っていた倍率をくぐり抜けて、気が付いたら高等科へ進学する顔ぶれの中に押し込まれていた。ほとんどが知り合い、身内状態の中、ぽっと湧いて出た外部受験組はそれだけで浮いている。大袈裟な話ではなく、事実として知っている顔はひとつもなかった。
 もちろん、親しげに声を掛けてくれるクラスメイトがひとりもいなかった訳ではない。彼らにはみんなと違う存在をのけ者にして優越感に浸ろうなんて低俗な思考はなかったし、鬱陶しくない程度に何も分からぬ新入りに色々と気遣ってくれた。……けど、どうしても馴染めなかったんだな。

 だって、もしも何か間違ったことでもして幻滅されたら取り返しが付かない。何しろ、周囲の人間たちはみんな自信に満ちあふれてキラキラと輝いてるんだ。あんな風には到底出来ないし、無理に合わせようとしたらきっとぼろが出る。あとから笑い者にされるなら、最初から関わりを持たない方がいいと思った。

 すごく、居心地の悪い学校生活。だけど、途中リタイヤなんて出来るわけもない。うちの両親は、私が奇跡の合格をした時点で、もう浮かれまくっていたし、まさか入学を辞退するなんて想像だに出来なかったようだ。受験に合格したことはゴールじゃない、そこからがスタートだって分かっていたとは思えない。
 兄が高校生活が上手くいかなくて引きこもりっぽくなって、挙げ句に夜になるとぶらりと出掛けるようになったのに、両親はとても心を痛めていた。高校のレベルで全てが決まるなんて間違った価値観はきっと兄が植え付けたものなんだろう。誰もが認めるいい学校に入れればそれで全てが上手くいくって、彼らは信じ切っていた。

 もう、これ以上の面倒はたくさん。だから、必死で授業に付いていって、どうにか中の上の成績をキープして来たんだ。評定平均で指定校の枠も決まるから、日頃から成績には気を配ってなくちゃ。

 長い長いトンネルはずっと続いていた。西の杜に関わったから、私の人生はいつも真っ暗。遠くにチラチラ見える出口こそが高校卒業と大学進学。そこまでどうにか頑張るんだ、負けないで。

 そもそもね、私の頭のレベルでは、なりふり構ってる暇ないの。他のクラスメイトみたいに部活したり、おしゃれや趣味の話をしたり、そんなことしていたら振り落とされる。人間関係のストレスももうたくさんだったから、友達も欲しくなかった。仲良くしてるときは楽しいけど、もしもトラブったときには大変だもん。

 槇原樹が兄を憎々しく思っているのは分かった。まあ、そうされても当然だと思う。そんな時に私がまるで飛んで火に入る何とやらで、彼の前に現れてしまったんだ。

 

 今の「西の杜学園」で。

 槇原樹を敵に回したら、どんなに不利な立場になるかくらい誰でも知ってる。何しろオールマイティーな男だから、きっと内心は面白くないと思っている輩もいると思うんだ。でも、それをあからさまにするほど頭の悪い人間はいない。まあ、あの物腰の柔らかさと完璧な気配りを持っていれば、普通のエリートほどは敵を作らなそうだけどね。社会に出たなら分からないけど、ここは限られた空間なんだし。

 私はゆっくりと溜息をついた。そして、顔を上げる。

 十分に満足したでしょう、槇原樹。今までいるかいないかも分からないくらいの存在だった私を、こんな風に目立つ場所に引きずり出して。風紀委員……ってあだ名が付いていたくらいだ、「何か、薄暗い子がいるよね」とは言われていたと思う。けど、みんな私の名前すら満足に覚えていなかった。きっと「トイレの花子さん」くらいの認識だったに違いない。

 どんなに勝ち誇った顔をしてるだろう。……ううん、みんなの同情を買うためには途方に暮れた表情の方が効果的かな。そう思いつつ、目の前の男に焦点を合わせる。

 でも奴は意外なことに、私が想像していたどっちの面構えでもなかった。

 

「……驚いた」

 きょとんと、どんぐりみたいに大きく目を見開いて。彼は頭をぽりぽりとかいた。

「へえ……薫子ちゃんも、こんな風に怒ることがあるんだ。何か、何を言っても反応がないからどうしようと思ってたんだ。……ちょっと、嬉しいかも知れない」

 そう言って、ほとんどの女子を悩殺出来るであろう満面の微笑みを浮かべる。その口元は親愛に満ちていて、とても「天敵」を相手にしているとは思えなかった。

「ごめんね、そうだよね。いくら優しい女の子だって、我慢の限界もあるし……でも」

 ひょいっと長身を折って、石畳の上何かを拾い上げる。まるでマジシャンの手つきのように滑らかに、それを私の手のひらに握らせた。

「怒った顔も可愛いな、朝からいいものが見られて嬉しいよ」

 

 どうしても音楽室のピアノでオクターブが届かなかった小さな手のひらの上、透き通ったグリーンのハート型ビーズがちょこんと乗っていた。

 


「いいなあ、小杉さん。毎日朝かららぶらぶなんだって? 歴代の彼女たちもあそこまで優遇されてなかったらしくて、ちょっとジェラシーって感じみたいよ。気を付けた方が、いいわ〜」

 そんな風に言いながら、ビニール手袋を着けた手で私の髪にどろどろした薬品を塗りつけていく。あの恵里香という美容師の卵の子の店。三つある椅子はみんな埋まっていて、待合室にもお客がいる。それなのに予約したわけでもない私がどっかりとひとつのシートを占領していた。

 あのまま。呆然とした気分のまま放課後を迎えると、いつの間にか槇原樹の姿は教室から消えていて、その代わりにとなりクラスの彼女が机の前に立っている。今日なら店がすいてるから、カラーリングが出来ると言われ、断る理由も思いつかずに付いてきてしまったのだ。

 

 ――あれが、らぶらぶと言うんだろうか……?

 

 学園を最寄りの駅とは反対方向に進んで、バス停を四つ五つ過ぎた住宅街に彼女の家はあった。

 お花いっぱいの店先で、まるでフラワーショップかと思うほど。ここから通学しているなら、あの今朝の惨事は見ていないはずだ。でも……あれだけの騒ぎだよ、誰からか聞いていないのかな。

 つんと刺激臭を感じて、ちょっと顔をしかめた。イマドキのこの手の薬品は「香り控えめ」とかTVのCMでも言ってる。だけど、この店で使用しているのは業務用でちょっと匂いがきついらしい。始める前にもそうやって説明された。けど、やっぱりきちんとしたものだから、もちがいいんだって。

「ふふ、ごめ〜ん。もうちょっとだからね」

 鼻先でその匂いをかぎ続けている彼女だって、かなり辛いはずだ。でも、商売根性と言うのか全然動じてない。もちろん西の杜の制服は着替えて、他の店員さんと同じ制服に着替えていた。シンプルな白の綿シャツにベージュのパンツ。上からブラックのエプロンを掛けている。

 バレー部にも所属している彼女ではあるが、暇なときには店を手伝うようにしてるという。もちろん、今やってるように直接お客を相手にすることはないが、掃除したり備品を補充したり受付をしたり。そんなふうにしながら、プロのテクニックを盗んでるんだって。こっちはキリキリに頑張って授業に付いて行ってるのに、信じられない。

 私が驚いた顔をしたのが分かったんだろう。彼女はくすくすと笑う。

「小杉さんって、いつも能面みたいな顔をしてるから、表情が変わるのって何か新鮮。想像していたより、ずっと普通だね」

 

 何かお尻の辺りがむずむずした。とってもこそばゆい気分。ここ数日、そんな感じ。もちろん、これだけの好奇の目に晒されるのもびっくりだけど、その目が……なんて言うのかな。思っていたよりも、悪意に満ちてないのに驚いてる。

 ああ、そりゃ「え、あの子が……?」って言うのが最初の反応。バレー部員たちのチームワークのお陰で少しは見てくれが良くなったとはいえ、まだまだ十人並み以下だと思う。今までの華々しい歴代の顔ぶれに比べたら、驚かない方が無理というものだ。

 ……でも。

 その後の反応が、何というか。このむず痒さの原因よ。「あの、樹くんが選んだんだから、きっと何か素敵な一面があるんだわ」って、思われてる気がする。……思い過ごしかなあと思ったけど、やっぱ何か違うのよ。

 

 こそばゆいと言えば。

 今朝の槇原樹もかなり変だったわ。私がブチ切れたコトに対する反応もすごい意外だと思ったけど、……その後も。何事もなかったように、私の横に並んで歩き出したの。周囲の人たちが呆気にとられているのも気にせずに。

 何て言うのかなあ……ええと、まるで私のこと、全身でかばってくれてるみたいだった。

 そりゃあ、コトの発端は奴が私に暴言を吐いたから。それは間違ってないと思う。でも、あの状況を見たら、どう見ても私が印象悪い。携帯でいきなり顔に襲いかかったんだから、下手したら病院騒ぎだ。非難の言葉のひとつやふたつくらい、言ってもいいはず。でも……奴は表向きも、そして耳打ちする言葉にすら、あれきり私を傷つけるような響きは出さなかった。

 私を打ちのめすなら、格好の状況だったんじゃないの? そうだよね、まだ丸二年近く学校生活が残っているというのに、学園一のアイドルで人望も厚い人間を敵に回して、楽しく過ごせるわけがない。誰も私の言い分なんて信じてくれるはずないし、奴の思うつぼだったはずよ。

 ――じゃあ、もっと? もっと、大きな落とし穴を用意してあると言うんだろうか。今朝のはそれに続くための布石なの?

 

 そんな物思いに耽っているうちに、私の髪はほんのりと明るい栗色に染まっていた。

 光の加減でオレンジ色に光る仕上がりに、恵里香という女子生徒も満足そう。カラーリングの値段を見たらとてもタダと言うわけにはいかなかったけど、「ヘアモデルになってもらったってコトで」って、請け合ってくれなかった。

 


「ありがとうございましたー」って声と、カウベルのコロンコロンと言う柔らかい音色。背中に受けながら外に出ると、辺りもすっかり夕焼け色に染まっていた。

 

 金曜日に、金色の風景。……なんて、柄にもなく詩的なことを思い浮かべてしまう。視線の先、電信柱の影。ゆらりと何かが動いた。――西の杜の、ラベンダー色のブレザー。

「ふうん、さらにポイントが微妙にアップって感じかな?」

 人影まばらな住宅街。だから、シラの顔になってる。朝の親密な態度とは余りにも違うから、ちょっと戸惑うけど、奴とこうして向き合うのももう慣れてきた。いきなり豹変するギャップにも慣れっこになりつつある。やっぱ、人間、学習するんだな。

 私が奴の立っている場所までたどり着く前に、すたすたと歩き出す。駅の方向に。そしたら、後を付いて行くしかないでしょう。バス停のところで立ち止まって、ちょっと舌打ち。そしてまた歩き始めた。ほんの少しの間をおいて私も確認する。……うわ、何か偏った路線だな。通勤通学の時間帯以外は30分に一度しか走ってない。

 

 ――格好いいって、見目かたちだけじゃないのかも。

 

 広い背中を眺めていたら、そんな風に思いついた。

 すっと伸びた背筋。普通、上背のある人って、猫背になるじゃない? でも奴に限ってはそんなことない。後ろから見ると美人、なんて悪い言い方があるけれど、確かに背中でも決まる人間は決まるんだな。

 

 そう言えば、兄が言ってたっけ。「樹くんは男の僕から見ても素晴らしい人間だと思うぞ」……とか何とか。まあ、そうよね。「こうだったらいいのにな」って部分を切り取って全部糊で貼り合わせたみたいに完璧だ。口惜しいけど、こうして間近に接していてもそう思うよ。

 広い肩幅、無駄な贅肉なんて絶対に付いていないのに、均整の取れた身体。一応、同じ学年だし、去年も隣のクラスだし、体操服姿だって見てる。一度は水着姿だって。マッチョじゃなかったけど、かなり目の保養になる筋肉だった。腹筋割れてたし。……まじまじとは見てないつもりだったけど、ちゃんと覚えてる。

 足も長いんだよな……でもって、速いんだよ。そしてまた、その走りのフォームの素晴らしいこと。色んな部活からスカウトが来るって聞いたけど、嘘じゃないかも。あれだけの逸材だ、誰だって欲しくなるだろう。

 

 みんなが、憧れてるんだよ。たくさんの人間に注目されてるんだよ? だったら、それで満足しなさいよ。こんな風に暇つぶしに人のことをからかわないで。はっきり言って迷惑なんだから。

 私に対する言葉は、とげとげしくて。やっぱ、腹黒いよなと思う。なのに、寸前のところで、するりと持ち上げられる。残念ながら、私はマゾじゃないの。痛めつけられて快感を覚える変な趣味はないんだからね。もう、いい加減にして欲しい。

 ――こんな風になる前は普通に、すごい奴だなとか思っていたこともあるんだから。何もかもがやりすぎだし、あり得ない人間だと気味は悪かったけど、それでも一目置いていた。認めるのは、ちょっと口惜しいけどね。

 

「……何しに来たのよ?」

 今日は「一緒に帰るから待ってろ」って、命令はなかったはずだ。それどころか、朝の一件からこっち、これだけ目立つ男の姿をあまり見なかった気がする。移動教室の多い忙しい時間割だったせいもあるけど、気付くと消えていた。

 同じ歩幅で歩いていたら、永遠に追いつけない。私は綺麗にブローして貰ったまんまの髪を揺らしながら、必死に走り寄った。

「別に」

 奴は私を一瞥すると、また進行方向に向き直る。わざとみたいな大股でどんどん進みながら、上着のポケットを探った。

「これ、返しとく。あんたのだから」

 

 ふわり。

 夕陽に輝く空間をうす茶色の小さな包みが放物線を描いて落ちてくる。両手で受け止めてみると、それは小さく折りたたんだ茶封筒だった。

 

「……え?」

 紙の上から中身を探って、それから慌てて封を切ってみる。

 そこには、朝消えたはずのビーズたちがざらざらと詰まっていた。動きながらだと再びばらまいてしまいそうだから、立ち止まる。指の隙間を空けないように気を付けて手のひらに受け止めてみた。もちろん、全部じゃない。でも……大きめの粒はほとんど揃ってるんじゃないだろうか。

「手作りだったんじゃないの? それ」

 一体、何と反応していいのか。頭が真っ白になってしまって思いつかない。私、どんなに間抜けな顔をしていたんだろう。呆然と立ちつくしてたら、振り向いた槇原樹がぽつりと言った。

「いくら『弁償する』とか『新しいのを買い直そう』って提案しても、店の名前も教えてくれないし。それに、それが壊れた瞬間、あんたすげー哀しそうな顔をしてたから。まるで編み物の針目を落としたときのウチの母親の表情みたいだった」

 それから。

 唇が微妙に動くくらいの小声で、もう一度「ごめんな」って、呟く。夕陽が反射した肩先が眩しくて、その表情までは上手く捉えられなかった。

「綺麗に作り直せたら、月曜の朝に見せてくれよな?」

 

 じゃあ、俺はこっちが近道だから。そう言い残して、奴は足早に裏通りに消えていった。



 

2004年8月20日更新

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