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… 「片側の未来」☆樹編 …
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「ちょっと、いいかしら? 小杉さん」

 しばし時間が経過して、放課後。鉛のように重い心を抱えながら帰り支度をしていると、背後から尖った声が飛んだ。のろのろと振り向くと、予想通りにそこにはクラスメイトの小川さんが立っている。目をぎりっとつり上げて、胸の前で腕組みをして。それだけですごい威圧感があった。

 ――うわあ、いきなり来たか。

 やっぱりねえ、あのまま済むとは思えなかったのよ。だって、あんな風に槇原樹はここにいる小川さんを始め、バレー部の同級生たちを追い払ったのだ。理由はどうであれ、あの男とふたりっきりになってしまったんだから。きっと文句のひとつも言いたいに違いないわ。

 本零の鳴る30秒前にかろうじて教室に滑り込んだ奴と私だったけど、その時の小川さんの振り向いた顔が忘れられない。さりげない視線のようにも見えたけど、瞳がめらめらと燃えていたわ。

「えと……、あの」

 いきなり予期せぬ出来事が続いたので、思考回路が上手く作動しない。「ちょっといいか」と聞かれたら、「良くない」と答えたいけど……でも、すぐさま鞄を抱えて逃げ出せない状況にあるのも事実。実は昼休みに話が終わらなかったため、槇原樹が生徒会の定例会を終えるまで待機するように言われているのだ。

「ああっ、まどろっこしい人ねっ! とにかくこっちは忙しいのっ、さっさとジャージ持って付いてきて!!」

 小川さんは、勝手にぷりぷり怒って、歩き出す。あっという間に教室を出て行っちゃうし。あまりの迫力に、私はすごすごと後に続くしかなかった。

 

 無言のまま突き進んだ彼女がようやく足を止めたのは、被服室の前。がらりと引き戸を開けたら、中にはすでに、昼休みに見た顔ぶれがずらりと並んでいた。

 ――嘘ぉ……、ちょっと待ってよっ!

 ここは特別棟の一階の隅。音楽室や理系の特別室と違って、放課後はほとんど人の出入りのない閑散とした場所だ。一体、どういうことなのっ。何が始まるのよ……!

 入り口で呆然としてると、小川さんの声がまた飛んできた。

「ほらほら! そっちのついたての向こうでジャージに着替えて! でもって、早くスカートをよこしなさいよ……!」

 え……、えええっ!? 待ちなさいよ、それって……?

 私はもうパニック状態。逃げ出したいけど、足もすくんで動かない。そうしている間に、さっさとついたての影に押し込まれてしまった。

 

 ヤバイよ、これ。絶対にまずいと思う。女子の陰湿ないじめは噂にしか聞いたことがなかったけど、もしかして、ここの学園でもそう言うのがあるの? レベルの高い学校にはあまりないのかと思ってたけど。同じことなら、100本レシーブとかがいい! バレー部なら、正々堂々とコートの中で勝負しようよ……!

 大勢ににらみをきかされたら、もうどうにもならない。まあ、本当にヤバくなったら逃げ出すことにして、ここは素直に言うことを聞くことにした。下手に逆らうと、さらに火に油を注ぐ事態になりかねない。

 

 私が差し出した、ラベンダー系のラインが濃淡を描いたチェックのスカート。それを手にした小川さんは、またまた信じられない行動に出た。手品のように取り出しましたる、大きな布切りばさみ。

「きゃあああっ! ……何するのよっ、やめてよっ!」

 とうとう、声が出た。だって、だって。彼女ってば、いきなりスカートにはさみを入れるのだ。瞬く間に裾周りをぐるりと切り取られていた。細長い布端が、床にぺたんと落ちる。青ざめる私なんて、視界に入らないみたい。彼女はいつも通りのテキパキとした態度で仲間たちを動かしていく。

「……ええと、膝上11.5センチって言ったらこんなモンよね。んじゃ、このあとは美保、よろしく――、で、小杉さんはこっちね」

 木製のお尻が痛くなる椅子に座らせられて、首から下にふんわりとケープを掛けられた。背後に回った子たちが私の三つ編みのゴムを取る。視界の向こうでは、小川さんに切り取られたスカートが裾上げされている。ロックミシンでぐるりとかがってから、アイロンで折り目をきちんと付けて、さらに奥まつり。まるで仕立屋さんのように器用だ。

「小杉さんのことだから。ウエストを折り返すだけじゃあ、すぐに元に戻されちゃうでしょ? とにかく切り取らないと駄目ね、そう言われたから」

 小川さんは自分がひどいことをしているという自覚がないのだろうか。当然のことのように、そう言う。テストで百点を取ったときのような、満足げな笑みまで浮かべて。

「……あのぉ……」

 とりあえず、身ぐるみ剥がされていたずらされるとか、そこまでハードな乙女の危険はないと分かってきた。いや、それはいくらなんでも想像力が豊かすぎるでしょうって? でもだって、そういうの、兄のDVDにあったし。ヨコシマな自分が哀しくなるけど、ここに連れ込まれたときに一瞬、そんなジャケットの画像が脳裏にひらめいたのよね……。

 私がおずおずと話しかけようとすると、その10倍くらいの切り返しで、小川さんがどんどんしゃべり出す。その内容に、私は腰を抜かすかと思った。

「いきなり乱暴な真似して、悪かったわね。私たち、樹くんに頼まれたの。あんた、あんまりにもダサいんだもん、見てくれだけでもちょっとは良くならないと、他の子から何言われるか分かんないわよ。――さ、恵里香、今度はあんたの出番だわ」

 はーい、と返事をして現れたのは、良く切れそうなカットばさみと平たい櫛を手にした子。またまた刃物の登場には、身体が震えてしまう。そんな私の反応に、小川さんは楽しそうに笑う。

「いやあねえ……、樹くんの『大切な彼女』に私たちが何かするわけないでしょ? ただね、その分厚い前髪をどうにかしてあげようと思ってね。これでも、恵里香は家がヘアサロンで、自分も将来はヘアデザイナー目指してるんだから。腕は確かよ、大船に乗ったつもりでいて」

 そうしてるうちに、いつも自分で切りそろえていた前髪が、ばさりばさりと落ちていく。余りの大量な髪の毛にまた怖くなった。丸刈りとかそう言うんじゃないわよね。……分からないわ。

「ホントは、色も明るくしたいところだけど。いきなりだから、何も持ってきてないわ。今度、ウチに来て貰おう……あ、いいのよ。お金なんて……、私は樹くんのお役に立てれば」

 恵里香、と呼ばれた子は、さすが美容師の娘と言った感じで、軽やかなトークを交えつつ、どんどんはさみを動かす。前髪だけだと思ったら、脇の方までシャギーを入れていくと言う。

「うーん、眉だけちょっと整える? やだなあ、きちんとお手入れしてないでしょう、信じられないわ〜せっかく綺麗に生えそろってるんだから、頑張ろうよ。全然違ってくるよ?」

 くすくす、と笑うたびに、まつげが揺れる。そのくるんとしたかたちもパーマなんだって言うから驚き。今まで気にしたこともなかったけど、ここにいるバレー部員たちだけ見ても、みんな小綺麗にしてると思う。艶々して見えるのは素材がいいんだと思っていたけど、そうじゃないの? 努力するから、輝くの?

 

 正直、ここの高等部に編入したとき。

 あまりに周囲がきらびやかなのにびっくりした。それまでの公立中学の級友たちとは違いすぎて、場違いなところに来たもんだと思ったっけ。スタートラインからして差が付いていて、もうどうにもならないと諦めていた。「綺麗な高校生」になる資格は私にはないって思ってたから。

 ――錯覚しちゃうじゃない、もしかして間に合うんじゃないかと思い違いしちゃいそう。

 

「でもさあ、羨ましいわよねえ……樹くんって本当に優しいわ。小杉さんが分不相応な立場に立たされて恥ずかしくないようにって、気遣いまでしてくれるんだもん。私たちだってさ、最初は面食らったわよ。でもでも、彼のひたむきさに胸を打たれたわ〜」

 そう言いつつ、私の爪を磨いているのは、隣のクラスの子だ。名前は覚えてないや。かたちを整えて、てかてかに光ったら、そこにほんのりと透明ピンクなネイルを塗られていく。

「だって、樹くんってば。私たちの前で、のろけるんだもんね〜っ! 『僕は今のままの薫子ちゃんが一番好きなんだけど……』な〜んて、言っちゃって! もうっ、照れた笑顔も素敵だったわ!」

 ――はぁ……?

 彼女たちの話を聞いていくウチに、何となく話の全容が見えてきた。どうも、私があまりの出来事にショックを通り越して呆然としていた午後の授業の合間、あの男はこともあろうに、先ほど冷たくあしらったはずのここにいる彼女たちに「お願い」をしていたそうなのだ。

 

「僕の大切な彼女に、君たちの魔法をかけて欲しいんだ」

 

 ――なんだそれ、新しいギャグですか? 余りにも寒くて凍えちゃったわ。

 どうもあの男は、地味な私が彼の隣を歩くときに、気後れしてしまうと可哀想だとのたまったらしい。ものすごく失礼だとは思わない? その上、その話を美談にしてしまう、ここにいる子たちって何者っ……!?

 くうう、あのねえ。あの男は救いようのない悪魔なの。涼しげな顔をして、腹の中は凶悪犯なんだから。どうして、気付かないのよ、みんなっ! 騙されてるわよ。ああ、言ってやりたい、声を大にして叫んでやりたい……!

 でも。

 それが出来ないから、口惜しい。もしも私が奴の腹の内を包み隠さずしゃべるとすると、それは自分の秘密も暴露することになる。兄の困った行動を世間に知られたら、どうなるんだろう。今まで、何があってもひた隠しにしてきたのに。きっと妹の私までが同類に見なされるんだ。嫌だ、そんなの。絶対に困る……!

 

 四階の音楽室からは、吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。

 ぼんやりとした放課後、学んだこと。それは槇原樹という男が私の思っていた以上に、女の子たちに無駄にもてはやされていたという事実だった。

 


「へええ、想像以上に可愛くなれたじゃん」

 元の通りに制服に着替えて。昇降口前で待っていると、しばらくして奴が現れた。わざーとらしく、取り上げたままの私の眼鏡を掛けている。もちろん、少しゆるめだから、鼻に引っかけるようにして。

 バレー部員の女の子たちの手塩に掛けられた私を見て、満足げに微笑む。でもっ、その顔が……なんて言うかなあ、蔑んでるのよね。それが分かってるのに反論出来ない自分が口惜しい。あああ、言い返したいっ! 小憎たらしい顔面を鞄で叩きたい……! けど、そんなことしたら、私の眼鏡がおだぶつだわ。

「やっぱさあ、彼女たちに任せて正解だったよね。小杉さん本人に『見栄え良くしろ』って言ったって、出来るわけないもん。……ふふふ、少しはまともになったかな?」

 そりゃあ、そうでしょうよ。口惜しいけど、この意見には同意。みんな、すごかったもん。愛しの樹くんのためなら、ただの石ころをダイヤモンドに磨き上げるような勢いだったんだから。彼女たちの努力もさることながら、それに付き合った私だって表彰ものよ。
 軽くなった髪は、ふわんふわんの女の子っぽい三つ編みに直された。上の方は編み込みになっていて、解いたら最後、元には戻らない感じ。今までしめ縄のようだったのに、すごくやわらかくなった。そのほか、眉毛のかたちを整えて、かるーく色つきのリップを塗っただけ。それなのに、その辺にいるジョシコーセーになった私がいた。

 何か、信じられないのよね。だって、彼女たちって「次の彼女候補」だったわけでしょう? あの中の誰かがここにいる男の相手になるって決まっていたらしいし。それがさ、どうよ。横から割り込んできた女に、普通そんなに親切に出来るのかしら。そんな質問も出来ないような雰囲気だったから、黙っていたけどね。

 ああ、足がスースーする。思春期にバレーで鍛えてしまった太股は余りにも逞しくて、出来るだけ足を晒す格好はしたくなかった。それなのに、こんなに短くぶった切られて。ああ、訴えてやりたい。そう言えば、小川さんは言ったわ、「11.5センチ」とか。そんな微妙な数値がどうして出てくるの。目の前にいるコイツが割り出したんでしょ? ……信じられない。

「まだまだ、改善の余地はありそうだけどねえ。それでも、何もしないよりは全然いいし。……ま、俺と一緒にいてみろよ。ときめいて、どんどん綺麗になっちゃうから」

 私は固まったままの表情で奴を一瞥すると、何も言わずに、ずんずんと昇降口の向こうの階段を下りていった。

 ほら、やっぱり。嫌な男だわ。これがきっと本性なのよ、全く上手く隠してるものよね。私のことを「小杉さん」とわざわざ姓で呼ぶとき、槇原樹はするりと性格を変える。もう鮮やかに、手のひらを返すように。こんな短期間に、仮面の下の顔を見抜くなんて、私ってすごいかも。

 ……あ、私が気付いた訳じゃないか、奴が勝手に見せてくれたのよね。

「ああ、何だよ〜。恥ずかしがることないのに……ねえ」

 校庭にはたくさんの生徒がいる。そう言うところでは、いきなりモード変更。階段を駆け下りてきた彼はさりげなく私の隣に並ぶと、あっという間に指を絡めてきた。

 きゃあああっ! いきなり何すんのよっ!! 慌てて振りほどこうとした私の耳元に、氷のように冷たい声で囁く。

「お前が望むなら。ここで大声出して、全て暴露してやっていいんだぞ」

 

 校門を抜けて、駅までの並木道。何しろ、槇原樹は目立つから、ほとんどの人間が振り返る。正面から来る人も、ハッと目を見張る。

 自慢じゃないけど、今までの人生でそれほど注目されたこと何てない。もう視線に晒されるだけで、私は冷や汗が身体中の毛穴から吹きだして、しょぼくれるナメクジになった気分だった。
 ダッシュで走れば5分と掛からない道のりが、遙かなる旅路に感じられる。その行く手には何があるんだろう。もう、考える気力も起こらなかった。

 


「まっ、こんな感じで、オッケー?」

 駅前通りを右に折れたところで、彼は文字通り「ぱっと」手を離した。もう、振りほどくが如く。

 その瞬間に、思わず、はあっと息が漏れた。だって、お手手繋いで道を歩くなんて、幼稚園のお散歩の時以来じゃないの? いい年の若者が、何してるのって感じ。

 顔を上げたら、上の方でゆらゆらと、小憎たらしい顔が笑っている。くそぅ、背が高い上に顔がちんまいから、あまり接近するとよく見えないぞ。

「今、一番人通りが多い時間だもん。きっと、たくさんの人に見られたよね。もしかして、もう小杉さんのお兄さん、知っていたりして。こういう情報は早いんでしょ? どっかに画像がUPされてるかもよ」

 ふふんと、鼻を鳴らして笑う。その仕草の小憎たらしいこと。……あ、もしかして。もしかして、なんだけど。今までの彼女と長続きしなかったのって、この複雑骨折の性格が原因? そうなのかな、うんうん、そうに違いない!
 思わず、心の中でぽんっと膝を打ってしまった。そうよそうよ、コイツ外面だけいいんだもん。きっと、身近に付き合ったら幻滅するような男なんだわ。やっぱ、顔の滅茶苦茶いい奴なんて信用出来ない。どいつもこいつもナルちゃんなのよ。

「あ〜、何か、良からぬことを考えてたでしょ? やっぱ、兄妹だねえ〜他人を詮索するのが得意なんだ」

 見下ろす男の伊達眼鏡が、夕陽にきらっと光る。何のドラマだったかな、確かキムタクだったと思うんだけど、すごいダサい格好で出てくるのがあった気がする。でも、そんな風でもやっぱ格好良かった。それを、今思い出してしまう。目の前の男がそうだから。

 怒鳴りつけてやりたいほど、失礼なことを言われてる。なのに、怒りよりも先に奴に見とれてる私ってどうよ。もう情けないったら、ありゃしない。

 

 別におそろいにする気もなかったんだけど、私の兄も同じような眼鏡を掛けている。もっともあっちはきちんと度が入ってるけど。私、ハードコンタクトで、やたらと目にゴミが入るのよ。始終、涙目になっていて情けないから、素通しの眼鏡を掛けることにしたのよね。目が水っぽくなると、コンタクトって外れやすくなるから、落としたりして散財だし。
 髪だってね、今はヘアサロンも高いの。カットしてトリートメントして八千円とか取られたりして。言われるがままに色々されたら、たまったもんじゃない。結局、前髪を自分ではさんで、あとは伸ばしっぱなしにするのが一番経済的なの。私を私立の高校に入れたため、母親はパートを増やしたし、それでも我が家は経済的に大変なんだから。

 一生懸命勉強して、どうにか推薦か何かで現役合格しないと破産しちゃうわ。あんたみたいに、のうのうと暮らしてる奴とは違うんだ。そうやって人のこと馬鹿にしたきゃ、しなさいよ。こっちにはこっちの事情があるの。周りとずれてるからって、笑い者にすることないじゃない。
 今日のだって、イジメでしょ、イジメ。あの、バレー部員たちとここにいる槇原樹が、寄って集って私をあざ笑っていたのよ。もう、か弱い神経の持ち主だったら、明日から登校拒否だからね!! 相手が私だったことに感謝しなさいよ。

 

 くるんと背を向けて、ずんずん歩き出そうとしたら。また、くすくす笑いが背中に響いてくる。その軽やかなこと、悪びれる様子もない。

「悪いけど、俺は紳士だから。どんな女の子にもすっごく優しいよ? ……今まで誰からも嫌われたことないから。別れた子たちも、今でもいい友達だし。――信じられないなら、彼女たちに直接聞いてご覧よ」

 

 夕陽に背を向けているから、その表情はよく見えない。けど、金色に縁取られた輪郭は、口惜しいけどやっぱり完璧に綺麗だった。



 

2004年7月30日更新

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