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… 「片側の未来」☆樹編 …
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 兄は、何もすごく阿漕なことをしている訳じゃないと思う。

 そりゃ、道理に反しているとは思うけど、まだまだ許せる範疇よ。それを、あんな風に罵倒されるのは、やはり身内として口惜しい。どうにかして、槇原樹の化けの皮をはいでやりたい。

 アイツは天性のモノを持つ「役者」。みんな騙されてる。学園の生徒たちも先生も、そのほかの彼を知っている全ての人間も、……もしかしたら、彼の家族も。どうしてあんな意地悪な心を腹の中に収めながら、ふんわりと笑うんだろう。人の弱みにつけ込んで、好き放題振る舞おうとしている奴が。

 ああ、許せない。絶対に許せない……!

 今まで、理不尽だと思う状況に置かれたコトなんて数知れないけど、今回のはひときわ大きな打撃だった。見てなさいよっ! 私を思い通りに動かそうとしたって、そうは行かないんだからっ……!

 ほんの数時間で奴の本性を悟った私は、強く心に決めていた。

 


「おおう、我が愛しの妹よ……! お帰り、待っていたんだよっ!!!」

 家まで送ってあげるよ、とか言うありがた迷惑な申し出を断り家路につく。ずるずると重い足、遙かなる道のり。その上、途中寄った洋菓子店では、大好物のアップルトルテが売り切れだったりして、口惜しいったら。こうなったら、あるだけ買い占めてやろうと思っていたのにさ。

 ようやく辿り着いた玄関の前で家の鍵を取り出そうとポケットを探っていたら、いきなり内側からがちゃりと開いた。

「おっ……、お兄ちゃん……!?」

 うわあ、驚いた。もうちょっとで、鼻先を開いたドアに派手にぶつけるところだったけど、それよりも目の前に立っている人間の存在の方にびっくり。しかもいつもに増しての恥ずかしいオーバー・リアクション。私は右手に鍵を握りしめたまま、呆然と立ちつくしていた。

「なっ、何でっ!? 今日は水曜日で、明日も平日だよ? どうして、いきなり帰ってくるのよ……!」

 

 そう、玄関マットの上でニコニコと満面の微笑みを浮かべているこの人間こそ、私が槇原樹に脅される全ての原因となった「あの」兄である。

 小柄で黒縁眼鏡はお約束。最近までマッシュルーム・カットだった髪型は、大学進学と同時にさらに恥ずかしい7:3分けになっていた。本人は「大人っぽく大変身」と思っているらしいが、まるで怪しいセールスマンのいでたち。

 この兄は一浪して、先月から大学生をしている。名前を言っても誰もが困った顔をするほど聞いたことのない無名大学で、しかも関東の外れのさらに山奥にキャンパスがある。何とウチからだと半日以上電車に揺られなくちゃならないんだ。仕方なくひとり暮らしをしているんだけど、アパートの家賃がバストイレ付きで2万5千円というのにまた驚き。一体、どんな場所なんだろう。

 

 ――それが、どうしてここにいるのよ。とうとうドラえもんを捕まえたのかしら? そうとしか思えない瞬間移動だ。

 

「そんな風につれなくするんじゃないぞ、マイ・シスター! たったひとりの妹の一世一代の大ハプニングに、どうしてじっとしていられるモノかっ……!
 これでもな、僕はありとあらゆる情報を駆使して、アパートからここまでの最短ルートを割り出してあったんだ。もしものことがあったら使おうと思っていたんだが、まさかこんなに早く機会がやってくるとは……! ああっ、でもめでたいぞっ! 母さんは今夜もパートで遅いのか? だったら、お兄ちゃんが代わりに赤飯を炊いてやろう!」

 そして、うるうると潤んだ瞳で私を見つめると、がしっと両手を握りしめる。ありきたりの新興住宅地の何処にでもあるお仕着せの一戸建て。その天井の高くない玄関で手を取り合う兄妹。段差の為にかろうじて身長差があるけど、あまり絵にならない光景だ。

「連休に会ったばかりなのに、ちょっとの間に綺麗になったなあ……。やっぱり、お前は恋をしてるんだな、素晴らしいぞ。
 それにしても――良くもまあ、そんな向こう見ずなことをしたもんだ。そりゃ、樹くんは男の僕から見ても素晴らしい人間だと思うぞ。だが、我々庶民にとっては、やはり高嶺の花。手に届くことのない存在だと諦めるのが普通だ。それを……ううう、きっと茨の道を歩く苦労を味わったんだろうなあ……可哀想にっ」

 兄は身体をわなわな震わせたかと思うと、いきなり号泣し始めた。私の手を掴んでいた腕がずるりと抜けたかと思うと、そのまま玄関の床に突っ伏してしまう。

 コレには私も困り果ててしまった。だって、人間がふたりすれ違うのもやっとの狭い廊下なのよ。そこにでーんとうずくまられたら、先に進めないじゃないの。今日は、思いがけずに放課後タイムロスしちゃったけど、これから必死で宿題と予習復習しなくちゃ大変なことになる。西の杜は憧れだけで通える高校じゃないんだから。

「あのぉ……、お兄ちゃん」

 ちょっとどいてよ、と言おうとした。身体をほんの少しずらしてくれたら、それでいい。なのに、兄ときたら涙目のまま顔を上げて、血走った目で呻く。

「そ、そうかっ、そうだよなっ! お前も人知れず苦労を重ねたんだろう、きっと誰にも言えない悩みを抱え込んでいるに違いない。今までひとりで辛かったろう、今日はお兄ちゃんが何でも聞くからなっ、もう泣かなくていいぞっ……!」

 ずるずると引きずり込まれた台所。ダイニングテーブルの上には、山積みの「アップルトルテ」が鎮座していた。

 


「第一報を受けたのは、12時45分。お前と樹くんが連れだって歩いてるって。もちろん、情報源の人間は、僕とお前の関係は知らないよ。でも、携帯サイトの掲示板に貼られていた画像を見て飛び上がったよ。いやあ、もう。全身鳥肌ってこのことかな。気が付いたときには、高速バスのシートに座っていたよ」

 ――と言うことは、何か? 情報を提供したのは学校関係者っ!? もう、西の杜ってハイソな学園じゃなかったのっ、煩悩まみれの輩も存在したのね。
 全くもって、今日は驚くことばかり。私の脳細胞は、あっちでどっかん、こっちでぷっつん。もはや、正常に働かなくなっていた。ああ、とりあえずぐったりと横になりたい。けど、そう簡単に解放してもらえる感じではないな。

 ニコニコと兄が手にしてるのは、家で一番上等なお客様用のティーポット。綺麗な薔薇の絵が付いていて、金色の縁取り。おそろいのカップになみなみと注いでくれるアールグレイ。たっぷりのミルクが添えられている。

 見た目もやってることもオタクそのまんまの兄ではあるが、お茶をいれさせたら天下一品。スーパーの特売の煎茶も皇室献上品の玉露になってしまう。
 実はこれも、かの槇原透氏のお店『Apricot Green』に置かれていたリーフレットを見て勉強したんだって。最初に購入したハーブティーが、お店のティールームで頂くのとは同じ味にならない。そりゃ、あちらは「プロ」だから美味しくて当然だろう。でも、少しでも近づきたくて勉強したのだという。

「あ、余計な詮索はしないでくれよ。そうじゃなくても、樹くんの情報は入りにくいんだ。菜花ちゃんや梨花ちゃんは、ガセネタも含めてかなり豊富な話題があるんだけど、やっぱファンの女の子は結束が固いんだろうね。Webの世界も怖いから、もしも足がつきそうになったらすぐさま消えてしまうよ。そんなことになったら、サイトとしては大打撃になってしまうしな」

 コレが口止め料だと言わんばかりに、アップルトルテが差し出される。ああ、まさか身内が買い占めていたなんて。全くつまらないところまで兄妹だわ。槇原樹に知れたら、また鼻で笑われるに違いない。こんな子供だましな手に乗るもんかと思いつつ、お昼ご飯すら満足に食べられなかった私は空腹に耐えきれるはずもない。

 一口、ぱくり。……ああ、美味しいっ!

「いやあ、でも。こんなことが本当にあるんだなあ……びっくりだよ。去年は去年で梨花ちゃんの彼氏になった人と予備校で一緒だったけど、すぐに進学で別れてしまってそれっきりだし。有力な情報も寄せてもらえなかったから、口惜しいなと思っていたんだ。それが今度は薫子だからな、もう嬉しくて」

 両手でカップを持ってすする仕草は、まるで乙女。もう今年はハタチなんだから、いい加減大人になって欲しい。そうは言ってもこの人には無理だろうな。何十年経っても「追っかけ」をしてそうな気がする。

 対する妹の私は、心を込めて丁寧にいれてもらったお茶を、がーっと胃に流し込む。

 そうよ、バレー部時代にもコートに立ってるだけで威圧感があるって言われていたんだから。おなかからドスのきいた声を出すと、それだけで敵がびびるって。まるでゲームセンターの的当ての鬼のように、私は重宝されていた。

「で……、本当のところ一体何があったんだい? 樹くんほどの男の子だから、一方的に恋してしまう気持ちは分かるけど。まさか、薫子のレベルで彼女の座につけるなんてノーベル賞モノの新しい発見だよ。何せ今までの女の子たちは、それこそ誰から見ても天下一品の上玉ばっかりだったからな……」

 おいおい、全然フォローになってないよ。いくら身内とは言え、そこまで言うか? 私があからさまにムッとした顔をしたのが分からないのだろうか。兄は憐れみにも似た目で私を見る。そして、さらにとんでもないことをのたまうのだ。

「一説によるとな、お前は100人目の彼女になるらしいぞ?」

 

 ――は? はああああっ!? 何じゃそれ、いい加減にしてよっ。

 思わず、フォークを落としちゃったじゃないの。もう、何がどうなってるんだか。いくら誇張表現としたって、それはあんまりだろう。いくら奴がモテモテの男だからって、タコやイカじゃあるまいし、一度にそんなにたくさんの女の子の相手が出来るわけない。

 

 けど、兄の表情はそれほどおどけた様子もない。どうなってるの、もう。

「まあなあ、一般人ならともかく。樹くんレベルになると、正確なカウントが難しいだろうな。何しろ、『彼女』の定義からして難しいだろうし。『100人』説だと、かなり曖昧なところまで数えていると思うよ」

 そう言って、おもむろに電卓を取り出す。母親が毎晩、眉間に皺を寄せながら家計簿付けるときに使っている奴だ。それを、我が家で一番の金食い虫がぽんぽんと弾く。

「僕の集めた情報によると。樹くんの最初の彼女は、幼稚園に入園してすぐに出来たらしい。今でもあんなに愛らしいんだから、小さな頃なんてもうその辺を歩いていたら拉致したいくらいのレベルだったと思うよ? すぐにおマセな女の子がキープしたらしい。
 だけどまあ、ガキの考えることだからな。あっという間に移り変わっていくのは当然で。最初の1年だけで自称『樹くんの彼女』が20人もいたって言うよ。コレは当時の同級生の証言だから、かなり信憑性ある」

 ……信憑性って。

 3歳4歳のコドモの頃の記憶を頼りにした証言に、そんなものがあるの? まだ現実と空想の区別もきちんと付かないような年頃じゃない。クリスマスになるとサンタクロースが窓から入ってくるというどころか、アンパンマンが空を飛んでいるって信じている年代よ。

「でもって、幼稚園3年、小学校が6年、西の杜の中等部が3年。あと、高等部がまるまる一年。……いくら、口では樹くんに興味がないとか言っていたお前だって同じ学校で一年過ごせば、彼に何人の彼女がいたか知ってるだろ?」

 得意げな顔でそんなことをのたまう兄の方が、正確な数値を知っているような気がする。私、隣のクラスだったし。授業に付いていくのに必死で、先生の顔くらいしか見てない高校生活なんだよ。まあ、この前まで一緒にいたテニス部の彼女の前にも何人かいたのは分かる。チェックなんてしなくても、そこら中で噂になってるもの。……3人、いやまてよ、4人かな?

「ふふ、正解は6.5人。最後の一松明日美さんは学年をまたいでいたからね。いやあ、彼女は可愛かったね『スコートをはいたパピヨン』とか呼ばれていたし……ともあれ。単純計算したって、10年で60人はくだらないと言うことだ。となれば、今までの13年間に100人近くになっていても、不思議はないだろう……?」

 兄は100÷13とかやったらしい。電卓の画面に現れた、7.69とかいう数値を見せられた。

「もうな、マニアの間では大変な話題だったんだ。樹くんが明日美さんと別れたことは、すでにみんな知っていることだし、そうなればすぐに新しいヒロインの登場となるわけだ。いやあ、注目の的なんだよっ、我が妹よ……! ああ、今夜は興奮して眠れそうにない。こうしているウチにも、お前の身長体重・スリーサイズまで、発表になってるかも知れないぞっ……!」

 ……がちゃんっ!

 かろうじて、カップが床に落下するのは阻止した。でも、銀製のスプーンが床の上を転がっていく。私はそれを呆然と見つめていた。

「嘘ぉ……、何よそれ」

 いい加減にしてよ、冗談だって許さないわよ。何で、人の恥ずかしいプライバシーを公表されなくちゃならないの?

 私は好きでこんな状況に置かれているわけじゃない。もし、あの憎き槇原樹が明日の朝「昨日のは、冗談だからな」とかせせら笑ってくれるなら、はらわた煮えくりかえっても許してやろうと思ってるのに。

「……ま、それは大丈夫だ。薫子は僕の可愛い妹だからな、管理人権限で適当に改ざんしておくから安心しろ。――だから、お兄ちゃんだけに教えてくれないかな? もちろん口外はしない、それは約束する。僕はただ、樹くんの心境にどんな変化が生まれたのか、その謎を握ってみたいだけなんだ。なあ、教えてくれよ、頼むよっ……!」

 ――やっぱ、目的はそこか。

 あのねえ。そんなことを言って、へこへこと頭を下げながら拝み倒したってどうなるものでもないのよ?

「いくら、身内だからって。……話したくないこともあるんだけど」

 どうします? ここで、槇原樹のあのどす黒い腹の内を吐き出して差し上げましょうか? だいたいねえ、あんたはそんなヘラヘラと笑っていられる状況じゃないんだよ。
 アイツは馬鹿じゃない、本当にその気になれば、色んな理由を付けてこっちを再起不能にする方法を考えるかも知れない。確かに成績のいい人間だとは思うけど、それだけじゃないと思う。彼の得意とするのは「悪知恵」と呼ばれる方面だ。

 ――と。そこまで考えて、思考を止める。

 駄目だ、きっと。私が今、この半日足らずのウチに我が身に起こったことを残らず告白したところで、兄がそれを信じてくれるとは思えない。それどころか、照れ隠しに馬鹿なことをのたまっているとか笑い出すかも知れない。

 

 そうなんだよ、槇原樹。私の兄は何もあんたたち家族が憎い訳じゃないの、むしろその逆だと思う。

「槇原ファミリー」というブランドが好きで好きで、この上ない憧れを抱いているんだわ。だって、こうして私をとびきりのティーセットと大好物のケーキで出迎えてくれるのよ? コレが好奇心だけで出来る行動だと思う……?

 オタクオタクって、言うけど。マニアの心は、とても純粋なんだよ。あまりに突っ走りすぎて時々困ったことにはなるけど、それも愛のなせる技。だいたい、兄が今まで直接的に槇原一家に危害を加えたことはないでしょう?

 

「そっか〜、まあそうだよな。きっと、今の薫子は置かれた状況が信じられなくて、ボーっとしてるんだろう。今日のところは元気そうなお前と会えただけで、お兄ちゃんは嬉しいよ」

 兄はどこまでも、自分本位に話を進めていく。槇原樹に打ちのめされてプライドもずたずたにされた妹が目の前にいるのに、ただ照れ隠しをしていると信じているのだ。そして、手にしていたカップをソーサーに戻すと、感慨深く溜息をついた。

「槇原ファミリーの二世たち、上のお嬢さん方は身持ちがかたいだろ? 菜花ちゃんもずっと同じ彼氏だし、梨花ちゃんに至っては去年ようやく彼氏持ちになったばかり。動きがないだけになかなか盛り上がらないから、その分、樹くんは貴重なんだよ。
 でもな〜、彼は本当にいい奴だと思うから。普通、あれだけ完璧ならば、鼻持ちならなくなるのが当然だろう? だけど、樹くんは違うんだな。気取りがなくて、みんなに平等に優しくて。もう、パーフェクトだと思うよ?」

 

 ……ほら、始まった。

 兄が槇原ファミリーのことを話し始めると、いつもこうだ。まるで夢見る少年の瞳になってしまう。兄の「秘密」を知ってるのは、身内では私だけだから、どうしても聞き役になることが多い。

 

 私自身は、槇原ファミリーに興味も関心もないし、だからサイトも見たことない。もちろん、兄の部屋に行けば、PCの画面が開いていることもあるけど、まじまじと見ることもないし。まあ、パッと見て兄にしては洗練されたデザインだと思ったら、その道のプロがいて見栄え良く設定してくれたそうだ。

「樹くんは学校の勉強はほとんど完璧でスポーツも芸術方面もなかなかの腕前らしいけど、特にスピーチはすごいらしいね。小学校の時は放送部にいて、お昼の校内放送の花形DJだと言われていたそうだよ。彼の担当の曜日が来ると、児童だけじゃなくて先生方まで聞き惚れたって。
 英会話も堪能らしくて、何度かその手のコンテストにも出場してる。まあ、本人は余り乗り気じゃないらしくて、残念なことだけど。本気出せば、全国大会のかなり上の順位を狙えると思うんだけどなあ。
 何よりあの豊かな表情と伸びのある滑らかな声。それだけで観客は魅了されるだろうね。声変わり前はウイーン少年合唱団も夢じゃないような美しいボーイソプラノだったと言うけど、今ではあの落ち着いたハスキーボイス。何とも言えない色気があって、ぞくぞくするな。お前も耳元で囁かれるとたまらないだろう……?」

 いえ、あの。別の意味で「ぞくぞく」させて頂きましたが、何か? もしかして、あれも奴の話術のなせる技だと言うのだろうか。

「女の子のことだけは派手だけど、……まあそれは彼の責任ではないだろうし。薫子も縁あって、樹くんの隣に並べることになったんだ。お兄ちゃんはこれから、ようやく素直になってくれたお前といろいろ語り合えるようになるかと思うと、もう嬉しくて。やっぱ、サイトで最新情報を教えて貰うのも楽しいんだけど、何か違うなと思うことがあるんだ」

 

 兄はその後も一頻り、槇原家についてのうんちくを述べてくれた。

 槇原樹は、夫妻の末っ子長男。待望の男の子の誕生と言うことで、透氏はそれはそれは喜んだらしい。まだまだおむつも取れない頃からアウトドアにせっせと連れ出して、ワイルドな経験もさせていたと聞いている。あんなに甘いマスクの透氏なのに、学生時代は山岳部員だったと言うから驚きよね。

 女の子の扱いに慣れていたというのも当然。上にはふたりもお姉さんがいる。そのどちらも完璧なほどに美しくて、さながらひまわりと白百合と言った感じ。お母さんの千夏さんも柔らかい感じの素敵な女性だし、彼は恵まれた一等級の環境で育ったことになる。

 

「……あ、スピーチと言えば。お前は知ってるか? 『木曜日の秘密』って言うの、マニアの間では評判なんだけど」

 私がきょとんとしたのが分かったんだろう、兄はとても嬉しそうな顔をした。

「これだけは、最大級のシークレットだから妹と言えど教えられないな。まあ、その気になれば樹くんから教えてもらえるだろう? ……きっと今よりも、もっと彼のことを好きになるよ」

 

 どこまでも意味深な言葉を残して。兄は電車の時間が迫っていると言って、そそくさと席を立った。



 

2004年8月6日更新

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