和歌と俳句

万葉集

巻第一

  後岡本宮御宇天皇代 天豊財重日足姫天皇位後即位後岡本宮
   額田王
燹田津尓船乗世武登月待者潮毛可奈比沼今者許藝乞菜

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は榜ぎ出でな

右検山上憶良大夫類聚歌林曰
飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑九年丁酉十二月己巳朔壬午
天皇大后幸于伊予豫湯宮
後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔壬寅
御船西征 始就于海路 庚戌御船泊于伊豫熟田津石湯行宮
天皇御覧昔日猶存之物 當時忽起感受之情
所以因製歌詠為之哀傷也
即此歌者天皇御製焉 但額田王者別有四首

右は、山上憶良大夫が類聚歌林を検すに、曰はく
飛鳥の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の元年己丑の九年丁酉の十二月己巳の朔の壬午に、天皇・大后、伊予の湯の宮に幸す。
後の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の七年辛酉の春の正月丁酉の朔の壬寅に、御船西つかたに征き、始めて海道に就く。
庚戌に、御船伊予の熟田津の石湯の行宮に泊つ。
天皇、昔日のなほし存れる物を御覧して、その時にたちまちに感愛の情を起したまふ。
この故によりて歌詠を製り哀傷しびたまふ
といふ。すなはち、この歌は天皇の御製なり。
ただし、額田王が歌は別に四首あり。

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