和歌と俳句

万葉集

巻第二

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近江大津宮御宇天皇代 天命開天皇謚曰天智天皇

近江の大津宮に天の下知らしめす天皇の代 天命開別天皇謚して天智天皇といふ

   天皇聖躬不豫之時太后奉御歌一首 
天原振放見者大王乃御壽者長久天足有

天皇聖躬不豫の時に、太后の奉る御歌一首
天の原振り放け見れば大君の御寿は長く天足らしたり

    一書曰近江天皇聖躰不豫御病急時太后奉献御歌一首 
青旗乃木旗能上乎賀欲布跡羽目尓者雖視直尓不相香裳

一書に曰く、近江天皇聖躰不豫、御病急なる時に、太后の奉献る御歌一首
青旗の木幡の上を通ふとは目には見れどもただに逢はぬかも

   天皇崩後之時倭太后御作歌一首 
人者縦念息登母玉蘰影尓所見乍不所忘鴨

天皇の崩りましし後の時、倭太后の作らす歌一首 
人はよし思ひやむとも玉かづら影に見えつつ忘らえぬかも

   天皇崩時婦人作歌一首 姓氏未詳 
空蝉師 神尓不勝者 離居而 朝嘆君  放居而 吾戀君 玉有者 手尓巻持而  衣有者 脱時毛無 吾戀 君曽伎賊乃夜 夢所見鶴

天皇の崩りましし時、婦人が作る歌一首 姓氏未詳 
うつせみし 神に堪へねば 離り居て 朝嘆く君  >離れ居て 我が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて  衣ならば 脱く時もなく 我が恋ふる 君そ昨夜 夢に見えつる

   天皇大殯之時歌二首

如是有乃懐知勢婆大御船泊之登萬里人標結麻思乎 額田王

かからむとかねて知りせば大御舟泊てし泊まりに標結はましを 額田王

八隅知之吾期大王乃大御船待可将戀四賀乃辛埼 舎人吉年

やすみししわご大君の大御舟待ちか恋ふらむ志賀の唐崎 舎人吉年

   太后御歌一首 
鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来船  邊附而 榜来船 奥津加伊 痛勿波祢曽  邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立

   大后の御歌一首 
いさなとり 近江の海を 沖離けて 漕ぎ来る舟  辺つきて 漕ぎ来る舟 沖つかい いたくなはねそ  辺つかい いたくなはねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ

   石川夫人歌一首 
神樂浪乃大山守者為誰可山尓標結君毛不有國

楽浪の大山守は誰がためか山に標結ふ君もあらなくに

   従山科御陵退散之時額田王作歌一首 
八隅知之 和期大王之 恐也 御陵奉仕流  山科乃 鏡山尓 夜者毛 夜之盡  晝者母 日之盡 哭耳呼 泣乍在而哉  百磯城乃 大宮人者 去別南

   山科の御陵より退り散くる時、額田王が作る歌一首 
やすみしし わご大君の 恐きや 御陵仕ふる  山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと  昼はも 日のことごと 音のみを 泣きつつありてや  ももしきの 大宮人は 行き別れなむ