和歌と俳句

万葉集

巻第二

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藤原宮御宇天皇代 
高天原廣野姫天皇元年丁亥十一年譲位軽太子尊号曰太上天皇

藤原の宮に天の下知らしめす天皇の代 
高天原廣野姫天皇、元年丁亥十一年に、軽太子に譲位し、尊号を太上天皇といふ

   大津皇子薨之後大来皇女従伊勢斎宮上京之時御作歌二首

大津皇子の薨ぜし後に、大来皇女、伊勢斎宮より京に上る時に作らす歌二首。

神風乃伊勢能國尓母有益乎奈何可来計武君毛不有尓

神風の伊勢の国にもあらましをなにしか来けむ君もあらなくに

欲見吾為君毛不有尓奈何可来計武馬疲尓

見まく欲り我がする君もあらなくになにしか来けむ馬疲らしに

   移葬大津皇子屍於葛城二上山之時大来皇女哀傷御作歌二首

大津皇子の屍を葛城の二上山に移し葬る時に、大来皇女の哀傷しびて作らす歌二首

宇都曽見乃人尓有吾哉従明日者二上山乎弟世登吾将見

うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む

礒之於尓生流馬酔木乎手折目杼令視倍吉君之在常不言尓
    右一首今案不似移葬之歌 蓋疑従伊勢神宮還京之時路上見花感傷哀咽作此歌乎

磯の上に生ふるあしびを手折らめど見すべき君がありといはなくに
右の一首は、今案ふるに、移し葬る歌に似ず。けだし疑はくは、 伊勢神宮より京に還る時に、路上に花を見て感傷哀咽してこの歌を作るか。