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棋王戦第3局

 現在、ネット中継で観賞中ですが、出勤するまでに終局しそうにないですね。
 現局面(94手目)は僕の棋力ではちょっと形勢判断が難しいですね。先手が駒得しているけど、盤面右側の駒が働いていないし、逆に言えば後手は駒が急所に利いているけど、駒損が大きいからゆっくりしていられない。
 まあ、一つ言えるのは、僕がこの局面から同じくらいの棋力の人と指した場合、どっちをもっても負けるだろう、って事くらいですかね(笑)。

ついさっき気付いた事

 現在の僕は、このブログを更新する事によって、何とか正気を保っているのだと思う。

イライラ

 通勤の車中、 ABBA を聴きながら懲りもせず太宰の『人間失格』を読んでいると(何だかんだ言いながらも、結構笑える小説だと思えてきた)、姉からメール。ちなみに、姉はどうしてもやらなければならない用事がある時以外、僕にメールや電話をしてくる事はない。
 で、何かと思ったら、穀潰しの弟のせいで余計な仕事が増えましたと。
 気分良く仕事を・・・、何て思っていたのに、一気にテンション下がりましたわ。
 もっとも、仕事の最中はそんな事は忘れていましたがね。それでも余計な仕事が増えた事には変わりはないですけど。
 はあ、人生何でも自分の思い通りになるなんて思ってはいないけど、もう少し何とかなりませんかねぇ。
 また髪が抜けますわ(笑)。

何だかなぁ・・・

 昨日は残業で遅くなり(作業場に入った時に日勤の方たちがまだ作業をしていて、その続きから作業を始めざるを得なかったので、そうなる事はある程度予想していたが)、帰宅して時計を見たら9時15分前。
 どうせこんな時間になったのならと思い、ちょうど用事があったんで区役所へ。
 それからはいつもの休み前の晩(?)の定跡通り、作業着を洗濯機に放り込んでからシャワーを浴びて、好きな音楽を聴きながらビールを飲んで、そのままいつの間にか転た寝。
 16時頃に一回目が覚めて、布団を敷いて改めて就寝。
 夜になってからもしばらく微睡んだ状態のまま布団にもぐり続け、結局布団から這い出したのは21時を過ぎてから。
 22時から『レッドカーペット』を観て、ブログの更新をして、『あらびき団』を観て、その後は何もする気がしないので敷きっぱなしにしておいた布団(仕事のある日はちゃんと押し入れにしまっています)に再びもぐり込み、そのまま明け方まで眠ってしまった。ちなみに、布団から這い出してから22時までの間の小一時間、何をしていたのか全く記憶にない。
 という事で、客観的に自分を見た限り、現在は完全に鬱ですね。
 祖父と亡母が躁鬱だった(祖父は健在なのだが、最近は全くその気が無くなった。もう90を過ぎているので歳のせいなのだろうか?)ので、躁と鬱それぞれの状態の時にどうなるかは──そのお陰で幼少時から貴重な体験をさせてもらったので──厭というほど知っている。ましてや、自分にも多少その気があるとなれば尚更だ。
 ちなみに祖父や亡母の場合、鬱になると自発的に話をしなくなり、誰かが話しかけても最低限の反応しかしない、一日の大半を眠っている、というのが主な特徴。
 だからいくら仕事で疲れているとはいえ、せっかくの休日にこんなに眠ってばかりいるのは、自分が鬱になっている証拠なのだろう。実際、ここのところ精神的にもあまり安定していないし。

 ところで、この躁鬱病というのは母方の家系のDNAに組み込まれているようで(実際、躁鬱病が遺伝するものなのかどうかは知らないし、知りたくもないが)、親類に自殺者が2人くらいいたハズだとか以前に書いた記憶があるのだが、昨年、母の葬儀の前後に実家に行った際、祖父母と話をしていて判明したのだが、親類の自殺者は2人どころではなかったですわ。

 一体どんな家系なんだよ(笑)。←あまり笑えない

 まあ、これも以前に書いたハズだが、僕は自殺願望はないですけどね。死んで楽になるという保証はどこにもないですから。
 ついでに書いておけば、自分の子孫を残すつもりもない。何せ、こんな家系ですからねぇ(笑)。

 はあ、こうして文章にして吐き出して、少しは気分が楽になりました。
 今晩は仕事だから、明るい気分で頑張らなくちゃね。どんな気分で仕事をしようが貰える給料は一緒なので、気持ち良く仕事をした方がいいに決まっているし(これは脳科学の観点から見ても正しいです)。

人間失格

 昨日購入し(普段より早く目が覚めたので、その時間を利用して自転車を買いに行き、その自転車を整備している間の待ち時間を利用して『将棋世界』誌を購入するために本屋へ行き、そのついでに購入)早速、通勤の車中で読み始めた(僕は自宅で読む本と、通勤の時間を利用して読む本を別にしている)。
 まだ殆ど読み進めていないが、一つだけ判った事がある。
 鬱や躁鬱の気がある人間が、鬱状態にある時に読むべき本ではないと。
 僕には若干だが躁鬱の気があり、現在はやや鬱の状態なのだが、昨日、バスの中でこの本を読んでいて、涙が出そうになりましたね。
 「(挫折した人間が)忠言や激励で誰でもすぐに立ち直れるくらいなら、太宰の小説はただの世迷い言になってしまう」と書いた人がいるが、太宰の小説といえば中学の教科書で『走れメロス』を読んだだけだった僕にも、ようやくその意味が解ったような気がする。
 それにしてもこの本、一体いつ読むのが一番良いのだろうか?
 通勤の車中では仕事の前に気分が暗くなるし、かといって休日に自宅でこんなのを読んでいたら、どんどん深い鬱に堕ちていきそうだ。
 困ったなぁ。