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0067 : 2021年2月21日説教要約 名前:kng@櫛形 投稿:21/02/27(土) 10:51:49
 ヨブ18:1〜21「あなたのために」

 ヨブの経験した苦難を友人たちは因果応報の結果と解釈します。ビルダデも強くそう決めつけ、ヨブに向かって、さらにはヨブを説得しようとする友人たちに向かっても憤りを感じていました。ビルダデがこれほど激しく非難したのは、ヨブの「神は彼らを賢明さから引き離された」という祈りに過剰反応してしまったからではないでしょうか。もちろんヨブには友人たちを貶める意図はありませんでした。表面的なことで私たちも他人をさばくことを慎まなければなりません。
 ビルダデはさらにヨブに激しい言葉を投げつけます。神に怒り叫び文句を言ったとて、なにも変わりはしないのだと語り、さらに悪しき者の呪いと不幸と恐れと裁きを列挙します。ヨブの経験した病や、子どもたちの死を引き合いに出して、ヨブを不正な者、神を知らない者と決めつけるのでした。これが自業自得の価値観の結論なのです。
 しかし、神は、疑わず祈るなら、山に向かって海に入れという祈りにも答えて下さる方である。それどころか、滅びに向かう罪人を救うため、愛するひとり子を罪人の身代わりに見捨て、墓の入り口の岩を動かすほどの方です。この福音を携え世に遣わされて行きましょう。
0066 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/02/25(木) 18:11:27
アルミホイルステンドグラス風作品第二弾。最初は猫を描いていたつもりだったそうですが、徐々に犬に。しかもだんだんSoft〇ankのあの犬に似てきたような。でも背景をしっかり塗り込んで、素敵な作品になりました。

0065 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/02/18(木) 19:07:17
本日のエフデ絵画工作教室は、アルミホイルでのステンドグラス風作品。クリアファイルに油性ペンで一生懸命描いた模様や絵が、少しシワをつけたアルミホイルに乗せると一気にゴージャスな雰囲気に。青と水色のコントラストが美しい作品ができあがりました。

0064 : 2021年2月14日説教要約 名前:Kng@櫛形 投稿:21/02/17(水) 15:05:40
 ヨブ17:1〜16 「本物に出会うために」

 ヨブの痛みの大きな部分は、友からの仕打ちによるものでした。友人たちは因果応報を錦の御旗に掲げ、ヨブに悔い改めを迫りますが、ヨブは納得せず、友人たちの批判を受けます。それゆえヨブは友人の慰めに失望し、天の保証人の存在に目を向けるのです。という事は、神の導きの御手を苦難や痛みにさえ覚えることができるのではないだろうか。人の慰めも当然有用ですが、神の慰めを代わりうるものではありません。
 続けてヨブは自身の潔白さを主張します。彼が傲慢なのではありません。ヨブはもちろん自分の不完全さを覚えながら、だが、心の底から身の潔白を疑っておらず、むしろあるなら知らせて欲しいと願っていました。悪を自覚しないまま謝って収めようとする処世術的慰めに失望し、不誠実だと退けいるのです。
 さらにヨブは、かつては神から自分を覆い隠してくれると思ていた黄泉(よみ)の慰めにも失望していきます。しかし、それがヨブの気付き通り神の導きの中にあることなら、本当の慰め主に出会う大事なプロセスではないでしょうか。私たちは神に至る手前の安易な慰めで満足しないようにしたいものです。そしてその本物の慰めを世に証していきましょう。
0063 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/02/11(木) 18:44:10
本日のエフデ絵画工作教室はスノードームカード第二段。雪が降る景色を想像するように導入で話した結果、ある子が描いたのは、禰豆子ちゃんが立っているところ。
確かに鬼滅の刃の第一話で禰豆子が鬼になる場面は雪景色でした。恐るべし鬼滅の刃の人気ぶり。

0062 : 2021年2月7日説教要約 名前:Kng@櫛形 投稿:21/02/10(水) 13:32:42
ヨブ16:1〜22「わが証人天にあり」

 15章で厳しい言葉でエリファズから批判されたヨブは、彼らのことばを、人をみじめにする慰め、虚しいことばだと伝えます。慰めようとして語る言葉が、必ずしも慰めにならないことに私たちは慎みを持つべきではないでしょうか。ヨブは、立場を置き換えてみれば、と仮定するのだが、しかしヨブ自身もまた人の慰めのことばに限界を感じていたのでしょう。
 人のことばへの絶望は、ヨブを神に向かわせます。しかしその言葉は激しく、神を私の敵と呼ぶほどでありました。それほどヨブの痛みと苦しみは、身体も魂もボロボロになるほどのものでした。さらに、自分の血を地は覆うな、と告げます。それはカインが殺した弟アベル血が、地から神に訴え続けていたことを念頭に置いた表現だと思えます。神への訴えを全身全霊でぶっつけていくのが、ここでのヨブの姿でありました。
 ヨブはしかし、その天におられる神こそ保証人となり、とりなし手となって下さる希望を見出すのです。十字架の主イエスこそ、真の慰め手なのです。人の慰めに絶望したとしても、神がご利益を与えないとしても、なお神の憐れみを信頼する信仰に生かされ歩みましょう。
0061 : 2021年1月31日説教要約 名前:Kng@櫛形 投稿:21/02/10(水) 13:02:24
ヨブ記15:1〜35「生かす対話」

 対話とは、互いに聞いて相手を理解し、自分の意見が変わることにもオープンで、かつ自分の意見を正直に伝えることを言います。が、ヨブの友人たちは、対話でなく議論をしているように見えます。15章でもヨブの激しい言葉をエリファズは不敬虔だと断罪します。エリファズにとっての理想の祈りとは違ったからかも知れません。しかし、例えてみれば乳飲み子が乳を求めて激しく泣く訴えのような祈りも、それもまたアバ父への信頼を伴った祈りではないでしょうか。
 そのようにエリファズがヨブの信仰を裁いてしまうのはなぜだろうか。年長者ゆえに自分はヨブよりも知恵がある、という驕り(おごり)からだろうか。また、エリファズは徹底的に神の前における人間の罪・汚れに言及する。それは事実だが、しかしその罪ある人間を愛して止まない神の視点に気付いていませんでた。
一方のヨブはその視点を意識しているのに。
 エリファズは、悪者は徹底的に神の報いにあう、と持論を述べます。だが、ヨブの痛みに無頓着で不正確な持論でありました。それはヨブとの対話が無いからではないだろか。
私たちを生かす神と隣人との対話を大切にしたい。主もそのような生きた交わりを望んでおられるから。
0060 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/02/04(木) 18:50:49
今日のエフデ絵画工作教室は、スノードームカードを作りました。セスキ炭酸ソーダを雪に見立てて画用紙とプラバンの間にはさみ、カードを軽く振ると、雪が舞い散り、積もっているように見えます。今年は雪があまり降らず、子どもたちも物足りない様子。せめて工作はとたっぷり降らせ、作った後も遊んでいました。

0059 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/01/30(土) 14:36:37
水墨画パート2。図書館で借りてきた水墨画のお手本教本を眺めつつ、これ描きたい、といって描きはじめた梅の花。生命力あふれる枝の勢い、可憐な梅の花。プロっぽい作品ができました。

0058 : 2021年1月24日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:21/01/27(水) 16:45:20
「絶望の先の光」ヨブ14:1〜22

 まずヨブが神に訴えたかったことは、生まれながらに弱さと罪の中にある人間の儚(はかな)さでした。しかしそのような人間を監視し、断罪する神に、なぜですか?とヨブは問うのです。罪に汚れた人間から、神の目に叶う良いものを出すことは不可能です。ヨブはこのように自らの罪と汚れを自覚するのですが、それでも完璧を求めてくる神に、ハードルが高すぎる、と訴えるのでした。
 そもそも生まれながら弱い罪人が神の目にかなうはずは無く、死ですべてが終わりならば、生きる事に意味はあるのだろうか。それは恐ろしい絶望をもたらすだけです。が、この絶望に際し、ヨブは一縷の希望を告白します。死後行くよみは神の怒りからかくまう隠れ場となるではないか、神はなお私を愛しておられるはずだと。14節の告白は、新約時代に生きる私たちにとっては、それはキリストの預言とも受け止めることができる言葉であるかも知れません。
 ヨブは希望を掴みかけるが、しかし最後に急に弱気になったように見えます。しかしそれは私たちも同じ。ただたとえそうであっても、僅かずつでも希望に近づく歩みへと進んでいきましょう。
 
0057 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/01/21(木) 19:33:50
今日のエフデ絵画工作教室は水墨画に挑戦。黒と白だけで表現するのにちょっと苦労していましたが、月と霞、富士山と枯れススキを情緒たっぷりに描いてくれました。

0056 : 2021年1月17日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:21/01/19(火) 13:51:08
「いのちと引き換えに」ヨブ13:1〜28

 3人の友人たちへのヨブの反論はさらに激しさを増します。それは、慰めの見舞いにきたはずなのに、無用な医者のように的外れの処方箋を下そうとする友人たちに、あるいは、神の側につき、神を弁護しようとしているつもりで不正や欺きを語る友人たちに我慢ができなくなったからでした。そこでヨブは、神と直接論じ合いたい、と願うのです。
 人間が全能の神に直接論争を申し込むことは、傲慢だと言えるでしょう。しかしヨブはそれを自覚しつつ、あえて自分のいのちをかけても直接神に訴えたいと願うのでした。一方でヨブは神の救いを確信し、自分の義を認めてもらえることを信じつつも、もし罪を指摘されたらへりくだる覚悟をしました。私たちの祈りはどうだろうか。私たちの代わりにいのちを差し出した主イエスが、祈りの道を開いて下さった恵みを覚えたい。
 ヨブは罪があるなら言って欲しいと願いつつ、答えられない神の沈黙になぜと訴えます。しかし、それはヨブが願ったとおり、黙って聞いて下さる神の愛の姿ではないでしょうか。御子のいのちを引き換えに私たちの祈りを聞いてくださる主の愛を覚え、私たちも主のことばを、そして兄姉隣人の言葉を聞く者となりましょう。
0055 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/01/14(木) 18:12:59
先週の作品を上げていなかったので送ればせながら。

0054 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/01/14(木) 18:12:11
先週と今日、ダンボールで首振り牛の工作をつくりました。分厚いダンボールを折って組み立てたりするのが少し苦労したようですが、みんな丁寧に作ってくれました。

0053 : 2021年1月10日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:21/01/13(水) 15:11:51
 「知恵は神のもの」ヨブ12:1〜25
 
 これまで、エリファズは神の愛を、ビルダデは神の正義を、ツォファルは神の全知全能を掲げてヨブを説得しようとしてきました。ところが、どの言葉にも因果応報が根底にあったため、苦しむヨブにとっては何の慰めにはなりませんでした。ヨブは、そんなことはわかっている、と反論します。ヨブは神を呼び求め、神に応えてもらっていると自覚していたのだが、彼らの言う因果応報には、とうてい承服できなかったのでした。そのような知恵は所詮人の知恵で、死とともにいずれ無くなってしまう外ありません。
 実際自然界を見ても、神についての心理を人間以上に悟り、不条理に見える苦難をなぜと問わず、惨めにも思わず受け入れている姿があります。だから耳を傾け注意深く聞きべきだ、とヨブは言います。ちなみにヨブはこの12章以降、徐々にではありますが死を希求する言葉が少なくなっていきます。自らの言葉に聞き、鼓舞されたのかも知れません。
 結局、知恵と力は神のものなのだ、人間の権力者や力、知恵ある者であっても、神をとどめることはできないのです。ゆえに神の御心を早急に早合点し裁いてはならないのです。神に、人に、そして自分自身に深く聞くことが自己憐びを脱する一歩ではないでしょうか。
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