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0111 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:22/05/19(木) 20:22:03
今日は割り箸で思い思いの家具を作りました。割り箸を長さを揃えて切る作業だけでも一苦労。でも家具職人さながらの集中力で、あまり私語もなくみんな頑張って作っていました。
写真の作品は別の子のそれぞれの作品ですが、不思議とサイズ感に統一感があって、いいドールハウスができそう。

0110 : 今週のエフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:22/01/13(木) 18:40:40
冬眠する動物第2弾。
凍えるくらい寒そうな夜の空をとても上手に表現できました。とかく「キレイに」塗りたくなる空ですが、あえて水彩の透明感を生かしたムラ塗りをすることでとてもいい感じです。
でもその寒さはスキーをする子にとっても洞穴で眠る熊にとっても関係なさそうですね。

0109 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:22/01/06(木) 19:07:57
新年最初のエフデ絵画工作教室は、冬眠する動物を描きました。
今日は山梨でも雪がちらついたとても寒い日で、冬の夜空の色使いにみんな工夫しながら寒さを表現していました。でも、寄り添い冬眠する動物はどこか暖かそう。

0108 : キャンドルサービス 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/12/25(土) 09:37:13
12月24日に行ったキャンドルサービス。少人数でしたが、オンラインで参加された方もいたようで、恵みの時でした。終わった後の写真撮影では、手前のキャンドルにピントが合ってしまい、参加者の皆さんは残念ながらピンボケ(。・_・`。)

0107 : 子どもクリスマス会3 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/12/19(日) 18:13:03
後半はオリジナルスノードームを作成。みんな思い思いに素敵な作品をつくりました。お父さんも楽しんで参加してくれました。
最後にパチリ記念撮影。

0106 : 子どもクリスマス会2 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/12/19(日) 18:03:32
手品の後、さらに不思議ですばらしいイエスさまという最高のクリスマスプレゼントの人形劇。
子どもたちも真剣に見ていました。

0105 : 子どもクリスマス会 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/12/19(日) 18:02:27
12月19日午後、子どもクリスマス会を開催しました。少人数でしたが、とても楽しく過ごせました。
まずはマジックの得意なお兄さんがトランプマジックを披露。子どもたちも「え?なんで??」と驚き。

0104 : TrueVineクリスマスコンサート 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/12/04(土) 18:32:15
今日はクリスマスコンサートを開催しました。YouTubeLiveでのコンサート中継という新しい試みで、最初音声がちょっとだけつながらない時間があったりと多少のトラブルがありましたが、無事行う事ができました。
昨年はコロナの影響で休止を余儀なくされ、2年ぶりのコンサート開催でした。TrueVineのお2人、ノアちゃんの変わらぬ美しいゴスペルの歌声を聴けて主に感謝。コンサート前後のZoomでの交わりの時も、近況の報告や恵みを分かち合ったりなどなど楽しい時でした。

YouTubeのアーカイブを見ると、今現在で30回ほど再生されているようです。会堂には集うことができなかったけれども、案内などを見た方が自宅から視聴してくださったのかな、と思っています。願わくはさらに用いられますように。

0103 : クリスマスコンサート案内 名前:caiaphas@管理人 投稿:21/11/30(火) 23:33:31
12月4日(土)のクリスマスコンサートの演目はこちらになります。

0102 : クリスマスコンサート 名前:Shadora 投稿:21/11/30(火) 20:36:05
2021年櫛形キリスト教会クリスマスコンサート(オンライン)

ジャパニーズゴスペルデュオ TrueVine
2021年12月4日(土)13時15分 YouTube ライブ 配信開始
https://youtu.be/E1lX_XwFgxQ

是非ご覧ください。当日は櫛形キリスト教会会堂でも視聴できます。

0101 : 2021年11月07日説教要約 名前:Kng@櫛形 投稿:21/11/10(水) 10:49:42
ヨハネ2:12~22「しるしは何か」

 過越しの祭で、主イエスが商売人や家畜たちを宮から追い出したという「宮きよめ」の場面。彼らはいけにえの動物の販売、献金の貨幣の両替で暴利を貪っていました。神の救いは貧富など関係なく完全な恵みとしてもたされるもの。しかし結果として神の救いを喜ぶためにはお金が必要という事になってしまっていました。神の恵みを不完全にし、神の救いを乗っ取ろうとしている事に主は怒りを燃やされたのではないでしょうか。
 弟子たちはその姿に詩編69編のダビデの言葉を思い出します。ダビデの主の家を愛する愛は神の愛と同じく妬みまで感じさせるほどでしたが、むしろそれによって人々から苦しめられるという嘆きでもありました。つまり主の宮きよめは、愛から出たものだということです。批判や叱責をしないことが愛と受け取れれがちな昨今の世の中です。主が私たちをどの様に愛されるのか、今一度確認したいと思います。
 まことの愛がぼやけるとき求めたくなるのはが「しるし」です。しかし、望みや願いが叶えられることよりも、十字架と復活こそが愛の真のしるしなのです。今後の動物のいけにえを一切不要にする完全な贖いの恵みを今日の聖餐式を通して確信し、喜び賛美しつつ歩もうではありませんか。
0100 : 2021年10月31日説教要約 名前:Kng@櫛形 投稿:21/11/03(水) 14:15:33
ヨハネ2:1~11「ソラ・グラティア」

 本日10/31(日)の礼拝は、宗教改革記念礼拝です。1517年に始まったM.ルターによる宗教改革は「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ」が三本柱となりました。中でも説教題となった「ソラ・グラティア」の意味する「恵みのみ」について注目していきます。
 この箇所は有名な「カナの婚礼」の場面です。当時1週間程続く宴会の最中に、ぶどう酒が足りなくなるという事態になりました。それは招いた客人たちに対する失礼にもあたり、マリアはその事を主イエスに相談します。ところが主の対応は非常に素っ気ないものでした。なぜだろうか。しかも結局最後になって主はぶどう酒の必要を満たすのです。
 人の願いに対し主の対応が素っ気なく見える話は、カナン人の女性の訴えなど<マタイ 15:25-28>、ここだけではありません。それは、人の訴えの熱心さや努力によってではなく、主は、ご自分の時にそれを主権をもって働かれるからなのです。こんなに祈っているのになぜと訴えたくなる時、私たちはわきまえつつ、しかも主の恵みに信頼したマリアのことばに学びたいと思います。
 しかもこのしるしは、ユダヤ人が身をきよめるための水を祝福のぶどう酒に変えたものでした。神との交わりを遮る私たちの罪は、熱心や行いによってではなく、あくまでも主の恵みのみによって祝福へと変わるのです。主に従った者の味わった恵みを感謝しましょう。
0099 : 2021年10月24日説教要約 名前:Kng@櫛形 投稿:21/10/26(火) 10:51:16
ヨハネ1:43~51「一人ひとりに応じて」

 キリスト教は多様性を重視していないと言われることがありますが、妥当でしょうか。むしろ唯一の神ご自身が多様性豊かな方なのではないでしょうか。ガリラヤに戻られる時、ピリポに対して「わたしに従ってきなさい」とのイエス様のストレートな招きは、素直で応答の早い彼にとってはぴったりの招きであったに違いありません。ヨハネの弟子やペテロに対する主の招きも、彼ら一人ひとりに応じた適切な招きでありました。
 ピリポに誘われたナタナエルは、イエス様がナザレ出身ということでメシアではあり得ない、と疑います。たいへん慎重な性格のようです。確かに旧約聖書にもナザレの地名が出てくることはありませんでした。しかし、ピリポがひるますナタナエルを誘った「来て、見なさい。」の一言も彼には効果的でした。
 主はナタナエルに真のイスラエル人と評します。「イスラエル」とは「神と戦う」という意味があり、ヤコブが御使いと格闘し祝福を求めたことを思い起させます。また、いちじくの木の下はイスラエル人にとってはメシアを願う場所でもありました。疑いつつも必死にメシアを求める彼の祈りを、主は聞いておられたのです。驚くナタナエルに、インマヌエルの救いのさらなる素晴らしさの体験が予告されます。多様な道(方法)で人を招かれる主の恵みを覚え、私たちも御心に敵う平和を求めていきましょう。
0098 : 2021年10月17日説教要約 名前:Kng@櫛形 投稿:21/10/19(火) 10:00:01
ヨハネ1:35~42「イエスに従う時」

 バプテスマのヨハネが自分の弟子に「見よ神の子羊」と主イエスを指して言うと、彼らは迷うことなくイエスについて行きます。誰を師として誰に従うのかは非常に大切なことです。あやふやな虚ろなものでは意味がありません。また、神であるいのちの光としてのイエスを前にどっちつかずは有りえないのです。従うべきとなれば、色々なしがらみや繋がりを切らなければいけないとしても、そうすべきでしょう。またヨハネの謙遜も注目すべき点です。
 主は彼らに、「何を求めるのか?」と問われます。私たちも改めて、主に何を求めているのかを自身を問わなければなりません。弟子たちは主に泊まる場所を聞きます。それは何かのご利益ではなく、主イエスとの交わりこそ自分たちにとって必要なものだと受け止めたからではないでしょうか。そうして従ってみたときに主イエスの素晴らしさを体験できるのです・
 その素晴らしさは、弟子の一人アンデレが兄弟シモンにキリストを紹介することからも分かります。主に従う時に切ったと思った繋がりは、主によって改めてつながることになりました。主イエスにこそ従う思いをもって、今週の歩みに遣わされましょう。
0097 : 2021年10月210日説教要約 名前:Kng@櫛形 投稿:21/10/13(水) 10:38:41
ヨハネ1:29~34「見よ、神の子羊」

 洗礼者ヨハネは主イエスを「世の罪を取り除く神の子羊」と呼びました。聖書の世界の人々(イスラエルの民)にとって羊は特別な家畜なのです。羊たちの放牧により緑が守られ、生活必需品も得られます。そのため神へのささげ物として相応しいし、その従順にいのちを差し出す姿がメシヤを表わすにふさわしい動物とされるのです。「取り除く」と語られたことばはギリシャ語で「アイロー」と言い、もともとは「担う」という意味があります。キリストの贖いを予見した言葉として端的です。
 とはいえヨハネはこの方が誰であるか「知らなかった」、と強調します。聖霊が鳩の様に下り、とどまるのを見るまでは。キリストとの出会いは誰にとっても確かにそうではないでしょうか。私たちは誰一人として自分からキリストを見出したのではありません。私たちの意志や知恵によらず、まず神が私たちにキリストを示して下さって、御霊によって私たちはイエスを主と告白できるのです。
 ヨハネのバプテスマは、ことばの意味通り、水に浸されること。しかし主イエスは聖霊によるバプテスマを授けたもう方であります。御霊に浸った私たちは、御霊とともに歩む生活によって、御霊の実を結ぶ歩みへと招かれているのです。この恵みの豊かさを覚え、また証の生活に遣わされましょう。
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