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0045 : 松かさを変身! 名前:kng@櫛形 投稿:20/12/14(月) 14:31:07
子どもクリスマス会でミニ クリスマス ツリー。松かさに色を塗り、小さな飾りでデコレーション。植木鉢がわりのペツトボトルを装飾すれば完成。

0044 : 子どもクリスマス会 名前:caiaphas@管理人 投稿:20/12/13(日) 23:32:56
今日の午後、子どもクリスマス会を開催しました。
できるだけお互いの距離を取り、窓全開で換気も十分にし、神さまに安全を祈りつつ楽しいときになりました。
マジックショー、東方の博士たちの礼拝のお話、松ぼっくりのクリスマスツリーの工作などなど内容は短い時間で盛りだくさん。参加してくれた一人ひとりの上にクリスマスの祝福をお祈りします。コロナ禍がおさまり、心置きなく集まれる時が来ますように願いつつ。

0043 : 2020年12月6日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:20/12/12(土) 17:08:21
待降節第二礼拝
 「おことばどおりこの身に」ルカ1:26〜38
 ナザレのマリアは、ヨセフとの婚約を控え、期待と夢を持ち過ごしていたことでしょう。そこに御使いガブリエルが現れ、突然「おめでとう、恵まれた方。」と告げます。突然そんなことを言われて戸惑うマリアでしたが、さらに告げられた御使いの言葉は、到底おめでとうというという内容とは程遠いものでした。婚約とはいえ未婚の状況での懐妊は死を覚悟しなければならなかったからです(申命記22:24,25)。
 しかし、確かに御使いは「おめでとうマリア」、と告げたのです。もしそれをおめでとうと言われる状況だと思えないとしたら、神の視点での幸せを、私たちがしばしば幸せと思えない齟齬(そご)があるのではないでしょうか。神は私たちを救いの計画の成就のみわざに招き、喜びを共に味わうことの幸いへ導こうとされるのです。私たちはその神の招きに応える平和な関係を築けているだろうか。
 マリアは告げられたみ言葉通りこの身に成就するようにと告白しました。それは目に見え予想されるりすくではなく、み言葉をまっすぐに受け取り成就を願う信仰の告白でした。私たちも主の恵み、祝福をその通り受け止め、神との平和を信じさせて頂こうではありませんか。
0042 : 中高科で花植え 名前:caiaphas@管理人 投稿:20/12/06(日) 15:47:18
日曜日の礼拝後、中高生会で会堂の入り口横に花を植えてくれました。寒い風が吹き付ける北向きの入り口ですが、一気に華やかになりました。

0041 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:20/12/03(木) 20:31:13
今日のエフデ絵画工作教室は、飛び出す仕掛けのあるクリスマスカードを作りました。最初にサンプルを見たときに「おぉ!」と歓声が。創作意欲がわいたようで、丁寧にしっかり作ってくれました。
今日は同時並行でお母さんたちのクリスマスリース作り講座も開催。隣の部屋からも感動の声が時々聞こえてきて、「お母さんたちに負けてられないね」と一生懸命作っていました。

0040 : 2020年11月29日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:20/11/30(月) 16:31:09
 「仲裁者の渇望」 ヨブ9:1〜35
 ヨブはビルダデに答える形で、神は正しい者を祝福し悪者をのろうという言葉の正当性を認めます。しかしそうすると、では神の前に正しい者などいるのだろうか、という問題に突き当たります。天地万物を造られ統治しておられる主権者である神の前に、そもそも人間はあまりにも小さく貧しいもの。両者の間には決定的な断絶があり、神を糾弾する言葉を人は持ち得ません。
 また、聖なる怒りをもって裁く神の前に、人は弁解する言葉がありません。神に生殺与奪
の権利を明け渡しあわれみを乞うしかないのです。多少の善行を積んだり、言い訳をしたとしても、聖なる神の前では人は滅ぶべき罪人にすぎないのなら、善人も悪人も同じ。事実、世の中はそういう事例の枚挙にいとまがありません。
 そんな神と人の断絶の絶望を味わったヨブは、しかしなお神に向かおうとします。そして、「仲裁者の存在」という希望を口にするのです。両者の間に立ち、双方を取り持ち相手の言葉の橋渡しする存在。私たちが望む救いとは、このような救いではないでしょうか。この予言の成就を知っている私たちは、感謝と希望を持ちアドベントを過ごそうではありませんか。
0039 : No Title 名前:mk 投稿:20/11/30(月) 08:31:03
昨日礼拝後、リース作りを教えて頂き、とても楽しい時間を過ごしました。わが家の玄関にもクリスマスがやって来ました。

0038 : クリスマスリースを飾りました 名前:Naka 投稿:20/11/29(日) 17:05:10
礼拝の後、クリスマスリース作りを教えていただきました。
素敵なリースができました!

0037 : アドベントに入りました。 名前:kng@櫛形 投稿:20/11/29(日) 15:39:32
会堂にクランツが下がり、礼拝後にクリスマスに向けてリースを作りました。

0036 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:20/11/26(木) 19:14:03
今日の作品は落ち葉のクリスマスツリー第二弾。
たくさんある落ち葉の中で、もみじが目についたようです。そのもみじで統一。シンプルでハイセンスなツリーができました。

0035 : 2020年11月23日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:20/11/24(火) 16:19:44
さあ2人目の友人、ビルダデの攻撃!(口檄?)が始まります。自分の思う基準と神の基準は相いれられるものなのか。
 「生ける神と隣人と」ヨブ8:1〜22
 ヨブの神への訴えをビルダデは咎め、それを荒々しい風だと評します。神は裁きを決して曲げない、という心情を見ても、彼は白黒をはっきりつける性格のようです。しかし、ヨブが自分の罪を認めないなら、ヨブの子どもたちに罪があったとも結論付けたり、ヨブの誠実さが祝福の回復となるとも言いますが、残念ながら1章5節の「いけにえ」のことも、苦難の真の原因にも思いが至っていませんでした。
 ビルダデは、エリファズに比べ謙遜に見える。しかしだからこそ先人たちから受け継いだ伝統や価値観、あるいは目についた自然法則の例えによって自説に権威付けをしているのかも知れません。それを杓子定規にヨブに当てはめ、裁いていたのです。
 彼の主張は、正論ではある。しかし、いつも当てはまる訳ではなく、ことにヨブの現状に対しては、完全に的外れでした。ビルダデの言葉からは、「なぜですか?」と問うヨブの生ける神との交わりが感じられません。せめてビルダデにも神に問う祈りがあったらなと思うと同時に、自らも生ける神との交わりに、また隣人への生きた関りを持てているかと問われます。正しさだけでなく愛の交わりを目指そうではありませんか。
0033 : 櫛形キリスト教会ホームページ 名前:shadora 投稿:20/11/22(日) 15:52:16
http://www5c.biglobe.ne.jp/~ksgt-ch/

用いられますように。

0032 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:20/11/19(木) 19:24:35
今日のエフデ絵画工作教室は、一足早くクリスマスツリーを作りました。
ふんだんに落ち葉を貼って、豪華なクリスマスツリーができました。

0031 : 秋の色を求めて その2 名前:kng@櫛形 投稿:20/11/16(月) 13:38:20
植えて30年余り、赤い実を付けたコバノガマズミ。

0030 : 2020年11月15日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:20/11/16(月) 13:24:09

「神との交わりにこそ」ヨブ7:1〜21
  ヨブは自分の経験した苦難を、戦いの日々と受けとめます。まさに、意味も示されず、休息することさえ許されず戦いに駆り出される兵士の苦悶になぞらえます。加えてヨブにとっては肉体的病から、睡眠さえ妨げられ、安眠が出来ないと訴える。そして、望みを失うと告白します。
 しかし、キルケゴールが言うように、そうした絶望は人をして神に直接向かわしめる薬となりえます。事実ヨブは、神に向かって自分の言い分を述べ始めるのです。とにかく彼は、決して海や竜のようなものでない、自分のちっぽけさを特段に申し上げたのでした。なぜあなたが私のような小さな者に目を留めるのですか、と。さらに夢にまで現れて自身の休息を妨げようとする神に向かって、死を賜るようにと望むほど苦難にもだえ、それを強く訴えるヨブでした。
 人とは何者なのでしょう・・・は、詩編8編でダビデが語った、偉大な神からの身に余る恵みを覚えての告白を思い出させます。ヨブの告白の動機とは違いますが、しかしどちらも自身が神にとっての特別な存在であることを自覚しての言葉でした。罪の赦しの訴えもその自覚あってこそ。この交わりの中に、苦難の癒やしへと平安へ続く道があるのです。
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