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0029 : 子ども祝福式 名前:kng@櫛形 投稿:20/11/11(水) 11:08:04
世の中では七五三の季節ですが、教会では毎年子ども祝福式をして、幼子の成長を感謝し、祝福を祈ります。

0028 : クリスマスリース 名前:kngmsk 投稿:20/11/11(水) 10:59:01
クリスマスが近づき
一足早くリースを作りました

0027 : 2020年11月 8日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:20/11/09(月) 15:08:19
 「神様とケンカする信仰」ヨブ6:1〜30
 エリファズの励ましを聞いて、ヨブは、自分の苦悶が理解されれていないと嘆きます。私たちは他者の苦しみをどれだけ理解できるだろうか。むしろ理解することには限界がある事をわきまえる必要があるでしょう。ヨブは神から自分に向かって毒矢が放たれていると認識し、神が自分を殺すならそれも受け入れる。ただ神がなぜ殺さないのか分からないと吐露します。そんな苦悩の中にあるヨブに「神の叱責は幸いだ」という友人の励ましは届くはずはありません。見える
 ヨブは友の慰めを期待していました。だからこそ、雨が止むと干上がり消えてしまう川の水を期待して裏切られた時のように、失望も大きものとなりました。友は確かに恵みであります。隣人愛も大切で素晴らしいものです。しかし、有限な人間は人間でしかありません。互いにわきまえたいものです。
 ヨブが自らの義を主張しているかのように見える最後の部分ですが、ヨブの訴えは、むしろこの叱責に値するような罪があるなら指摘してくれというもの。その罪が分からなければ、叱責を真に受けとることは出来ないと。とにかく謝れば丸く収まるから形だけでも・・、とするのは大人の処世術的な信仰ではないだろうか。真っすぐに神と向き合いケンカも辞さない信仰、まるで子供のような信仰のヨブに倣う者となりたいです。
0026 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:20/11/05(木) 19:18:49
今日は一弦ギターをみんなで作りました。ちゃんとシドレミファソラシドレミまで音階が弾けます。
みんな思い思いのボディを作って、気分はミュージシャン。

0025 : 秋晴れの空の下に 名前:kng@櫛形 投稿:20/11/05(木) 14:23:45
南アルプス市曲輪田新田のループ橋より、富士山を望む。

0024 : 2020年11月4 1日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:20/11/02(月) 11:41:19

「因果応報と神の主権」ヨブ5:1〜27
  4章では苦難についての一般論的演説だったのに続き、エリファズは、5章に入ってからはヨブ自身の苦難に触れながら持論を展開していきます。ヨブが実際に経験した苦難を想起させながら、エリファズは、苦難は神のせいにすべきではなく、また自分は悪くはないなどの愚痴など、誰も聞いてはくれないと語ります。「ヨブの友だち:Job`s friends」ということわざは、善意の友が仇になるという意味だそうで、心したいものです。
 さらに、神に尋ね訴えることを薦め、神のみわざ、あわれみ、正義について賛美します。これらの言葉は確かに正しい。しかし、主は後に42章にてエリファズの言葉を「虚偽」とされます。それは、「私なら」神に尋ねるとわざわざ強調して言うような、あたかもヨブが神に尋ねてないかのような傲慢さに原因があるのではないでしょうか。
 彼の信仰は結局のところ、因果応報なのです。この考え方はとても分り易い。が、神の主権ではなく私の信仰や行いが幸いと災いの取得を左右することになり、現代にはびこる自己責任論にも繋がりやすくしています。主は罪なく十字架の苦しみを負われました。それは私たちを罪の自己責任から解放するためだったのです。この主の赦しを覚えて世に遣わされましょう。
0023 : 秋の色を求めて、 名前:kng@櫛形 投稿:20/11/01(日) 18:04:47
秋の色に染まりつつある、清里.野辺山方面へ。

0022 : 2020年10月25日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:20/10/26(月) 14:57:39
「慰めの取り次ぎ手として」ヨブ4:1〜21
  3章ではヨブの正直な感情の吐露に対して、それまで黙っていた友人のエリファズは、黙って聞きてはいられないとばかりに語りだします。確かに同情しお見舞いに来て、1週間共にいた挙句、死ねばよかった。なぜ生きているのかと相手から聞かされたら、励まそうとして来た甲斐がなかった、と思う気持ちもあったかも知れません。
 そしてエリファズは、立派な君であったのに弱気でどうした、と叱咤激励しようとし、正しい潔白な人は祝され悪者は滅びる、そして人は神の前に誰一人きよいとは言えない、と持論を展開します。もちろんエリファズの言葉は間違っているわけではありません。これは聖書に見いだせる真理ですが、しかし別の聖書箇所を見ると、それが全てのケースに当てはまる訳ではありません。エリファズの浅はかさは、あくまで自分が体験し見つけた法則で満足してしまった処にあったのではないでしょうか。むしろ、私たちは何も知らなかった、という気づきが癒しに繋がることがあります。主イエスの救いも、みことばのさらに深い奥義に表された真理ではなかったか。私たちは常に開かれた心でみことばを聞き、自ら慰められた慰めを、世に取り次いでいく者となろうではありませんか。
0021 : 墓前祈祷会にて 名前:kng@櫛形 投稿:20/10/19(月) 14:52:01
なんとか天候が守られ、感謝。
前日の雨がもたらした雪にて、甲斐駒が今年の初冠雪。富士山ま南アルプスも白く輝く。

0020 : 2020年10月18日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:20/10/19(月) 14:40:52
 「打ち傷のもたらすいやし」ヨブ3:1〜26
  激しい苦痛に襲われても、信仰告白に立つことを守り通したヨブ。しかし、友人の来訪の慰めもあり、心の内の激しい思いが出てこざるを得ませんでし。彼は自分の生まれた日について、ありったけの言葉をもって呪いはじめます。そしてやがて、自分がなぜ生まれてきてしまったのか、と思い至ります。仏教に生老病死(四苦)とあり、生まれ生きる事そのものが苦しみと言うように、この苦しみは洋の東西を問わず最も激しい悩みとなるでしょう。
 やがてヨブは、「死」に慰めを見出すようにまでなります。ヨブの経験した痛みを知る時に、誰がヨブの信仰を裁き、責める資格があるでしょうか。苦難にはちゃんと意味があることを知ってこそ人は耐えることが出来るが、ヨブは、なぜ、と問い続けます。もし無意味に苦しめられるためだけに生きているのなら、虚無の恐怖に怯えるしかありません。
 しかしヨブは、超えてはならない一線はわきまえていました。彼は神ご自身を決して呪わなかったのでした。神はいる、と確信するときに、完全な絶望ははありません。主イエスの打ち傷が人々を癒したように、ヨブの痛みもまた、人を慰める意味のあるものだったからです。
0019 : 墓前礼拝 名前:caiaphas@管理人 投稿:20/10/18(日) 19:51:10
昨日の冷たい雨も上がり、爽やかな日になりました。今日は午前中の礼拝後に千代田霊苑の教会墓地に集い、墓前礼拝をささげました。
その後、特に予定していなかったのですが、めいめい持ってきた昼食をいただきながら交わりをもちました。コロナ感染拡大以降、ずっと自粛してきた愛餐会的交わりを図らずも持てて、とても幸いなときでした。

0018 : エフデ絵画工作教室 名前:caiaphas@管理人 投稿:20/10/15(木) 18:53:11
本日のエフデ絵画工作教室では、卵殻モザイクに挑戦。細かい作業で、途中ちょっと疲れちゃったり飽きちゃったりもしましたが、でも根気よく頑張った結果、みんな素敵な作品になりました。

ちなみにもともと職人が扱う高度な工芸技術であった卵殻モザイクを、子どもの教育現場で使えるように開発したのは、山梨大学の先生だったそうです。

0017 : 2020年10月11日礼拝説教 名前:Kng@櫛形 投稿:20/10/12(月) 10:44:54
「まことの友」ヨブ:11〜13
 ヨブが体験した激し苦難の事を聞いた同族のエリファズを始めとしてヨブの友人たちは同情し、慰めのためにヨブの元を訪ねます。実際に何が出来るかということはさておき。まずは自分のところに訪ね来てくれた、という事実は、社会的孤立を味わっていたヨブにとって大きな励ましとなった事でしょう。
 けれども実際にヨブに会って彼らがせざるを得なかった事は、泣き、嘆き、チリ(塵)をかぶることでした。具体的に何の役に立つ事ではありません。しかし、彼らは共に苦しむ共感を示したのです。ロマ書によれば、それは主にある兄弟愛の実践なのです。また、善意からとは言え私たちもしばしば感じる、自分が何か役に立ちたい、というプレッシャーを抑えて限界をわきまえる謙遜を保ち、かつヨブの側で七日七夜寄り添うことは、結果的にヨブを慰めることになったに違いないでしょう。
 まことの友、主イエスを思う。主はすべてを捨ててこの世に来て下さり、私たちの悩みに共感し、それどころか十字架にまで架かられました。私たちは限界のある罪人であることをわきまえつつ隣人の友となり、すべての人のまことの友となられたキリストを証していきましょう。
 
0016 : アクリル板遮蔽装置外観 名前:kng@櫛形 投稿:20/10/12(月) 10:25:02
装置と言える程ではないけれど。

0015 : アクリル板遮蔽装置!? 名前:kng@櫛形 投稿:20/10/12(月) 10:15:32
プロンプターかヘッドアップディスプレイか?アクリル板の向こうから、声が。

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