今年のテーマソングは再び僕の好きな石原裕次郎さん「赤いハンカチ」をビートルズ?さんの演奏でいきたいと思います。

去年の暮れの
カラオケで突然僕の大切な友人がなぜかこの歌を唄ってくれました。
2010.01〜12 2009.01〜03 2007年度分
2010.01〜06 2008.10〜12 2006年度分
2009.10〜1 2008.07〜09 2005年度分
2009.07〜09 2008.04〜06 2004年度分
2009.04〜06 2008.01〜03 2003年度分
2011年
日々好日
2011.05.28 (土)

岩手県 山田町出身のSさんから連絡が!

 18年ほど前、当時は東京で勤務していたが、同じ部署の仲間だったS女史さんは実務は完璧で、良く気の付く人だったので大いに助けていただいた方だった。

 Sさんは当時の部署で現在も現役で頑張っておられるが、御実家が今度の東北大震災で壊滅的な打撃を受けた岩手県の山田町ということを知っていたので心配をしていた。 

 実家のある場所も海岸から100メートル位しか離れていないということだったので新聞や報道などで知る限りでは100%被害を受けたにちがいないと心配していた。

 今日突然Sさんから電話があって、震災後80日経って初めて実家に帰ってきたとのことだった。
 覚悟はしていたがやはり見渡す限りすべてが津波や火災の影響で廃墟となっていて、実家があった場所は跡形もなく何も残っていなかったと大変悲しんでおられた。 

 テレビなどの映像では当然現実として受け入れられていても、実際に見る目の前の光景は恐らく信じられないことであったろうと思われる。

 ただ奇跡的にも御両親は共にいち早く避難されてご奇跡的に無事であったことをお聞きして安心した。
少しずつではあるが、避難所生活での様子も落ち着いてきており、6月初めにはとりあえず生活する拠点も見つかったとお聞きして僕もほっとしているところだ。

 僕も震災後すでに2回ほど仙台に行き、仙台勤務時に購入して、現在空き家のまま残してある自宅の整理などをしてきたが、幸いほとんど無傷であった幸運を考えると被災にあわれた方々との間には単なる運、不運などという言葉では片づけられない複雑な気持ちで一杯になってくる。
被災された方々の一日でも早く安心して生活できる日が来ることを祈らずにはいられない。

 さらに仙台勤務時に共に過ごした友人、今年の年賀状に記された住所が南相馬市になっていたI さんの消息がまだ判らず心配しているのだが....
 地震の津波の被害も甚大であったと思うが、自宅住所のあったところは福島原発事故の避難地区にもなっているのでますます消息がつかみにくく心配でもある。

2011.05.18 (水)

 先月に続き再度仙台に行ってきました!

3/11の東北大震災からちょうど2ケ月が過ぎました。
5/12〜18日まで再び仙台に行ってきました。

 まだ仙台空港が閉鎖されたままなので今回も前回と同じ近鉄の夜行バスを利用しての旅だったが、大体バス旅の要領も判ったので前回よりも楽に行くことが出来た。
 夜行バス中での睡眠も案外スムーズに採れたみたいで疲れも今回はあまり感じなかった。

 仙台近辺も表面上はかなり整理されてきているように見えるが、裏面にまわるとほとんどまだ手つかずというところが随所に見られ被害の大きさ実感された。

 今回の仙台行きの目的は、民間の賃貸住宅も応急仮設住宅として同等に考えるという方針が決定されたのでその状況確認をするためだった。

 滞在中折角なので臨時ボランティアなどしながら、瑞巌寺のある松島や被害の大きかった塩竃港、さらに仙台空港近くの閖上地区も訪れて震災の復興状況を確認しに行った。

 道路などは比較的綺麗に整理されていたが、まだまだ完全復旧というところまでは道遠しで、残骸手つかずといった光景が随所に見られた。

 特にがれきなどの整理は全く手つかずともいっても良いぐらいで、これから梅雨の時期や暑い夏を迎えてどのように整理、復旧させていくのか心配な状況だった。

 仙台港近くの多賀城駅前にはまだ自衛隊の災害救助隊が常駐滞在して被災住民の対応に当たっていた。

 多賀城から30分程のところにある塩釜港の海産物取引所などは壊滅状態で、近くの道路上には漁船が横倒しにひっくり返ったままで無様な姿をさらしていた。
まだ処理する余力がないのだろう。

翌 日は仙台空港の復旧状態を確認に行ったが、まだまだ空港再開は見通しも立たず、ひっそりとしていた。

 すぐ近くの閖上地区は、民家もかなり有ったはずだが、見渡す限り住居などはなくすべて津波に流されてしまったみたいだ。
今後どのように復興させていくのだろうか。

 自然の前には人間の力などちっぽけな物だということを今回も改めて考えさせられた一週間だった。

 ところで、我が家の西側には仙台のシンボルといわれる太白山という素晴らしい格好をした山がある。

 登山客も毎年2万人を越える山なのだが、なんと今回の地震で登山道が崩落してしまったことが現地新聞に出ていた。
修復するにもこの山は私有地になっていて行政といえども勝手に作業できないということらしい。

 仙台滞在中この山にはマムシが多いと聞いていたので登る気がしなかったが今でもいるのだろうか。
山麓には太白自然緑地という遊歩道が整備されていて、素晴らしい自然が満喫できる公園になっている

2011.04.06 (水)

 我が家の点検を兼ねて仙台に行ってきました!

 震災後一度我が家の点検にも生きたかったのですが、飛行機、電車、車も駄目で交通機関の回復を待っていたのですが、偶然3月29日から近鉄バスが仙台行き直行バス一便を再開するとの情報を得て、早速切符の手配をして3/31→4/6日まで仙台に行ってきました。

 大阪→福井→新潟→会津若松→郡山→福島→仙台までの片道12時間のバスでの長旅でした。

 4月になるというのに新潟、会津地方を通過するときにはまだまだ積雪があり、雪も降り続いていました。
さすがに疲れましたが、被災された方のことを思うと贅沢はいっておれません。
 
 仙台に着いて早速我が家の被害状況を確認しましたが、よほど岩盤の土台がしっかりしているのか、震度7近くだったにもかかわらず全く無償のまま建っており一応安心しました。

 以前の宮城沖地震の時も震度7を記録したにもかかわらずにもコップ1つ転がった程度だったと社宅として当時入居されていた方から聞いたことがあり恐らく大丈夫だとの感じておりました。

 ただ今回は
築後35年も経過している平屋建ての古家なので少しは心配もしていたのですが、襖なども1ミリの隙間の狂いもなく、自分でも信じられないぐらいの頑丈な造りの家だったようです。
 
室内もわずかに電気の傘が傾いていたり、空のやかんがひっくり返っていた程度でした。 
今回の地震でも如何に土地の構造がしっかりしているかによって大きく被害の明暗を分けるかを知らされました。

4/4

 仙台の隣町の
多賀城市に行ってきました。
 仙台に来るときに車がないと不便を感じるのでこれまでよくフェリーを利用していました。

 名古屋から仙台港までのフェリーに乗るのですが、その港が震災でどのようになっているのか一度確かめたかったのですが、まだ港までのバスが不通で途中の多賀城市駅までしか便がないとのことでそれを利用しました。

 駅前では被災した人たちへの炊き出しが行われていたので、飛び入りで少しお手伝いをしてから、5キロほど離れた
「仙台フェリーターミナル」に向かって歩いていきました。

 道路はところどころ寸断されているいるところもありましたが、何とか緊急用の車が通れる道が確保されていたぐらいで、後片付けはいつのことになるのか見当も付かないほどの大量のがらくたが山になっていました。

 道路を挟んだ両側には家も工場もすべて壊滅状態で原型をとどめないほどの被害状況の連続でした
 特に何百台ものダンプや大型のコンテナ車が原型をとどめないぐらいにむちゃくちゃに転がっていて異様な光景でした。

 街中は埃っぽいのと何ともいえない悪臭で人影も皆無でした。消防車やダンプなどもひっくり返ったままでした。

テレビなどでよく報道されている石巻や気仙沼などの被害も想像を絶する物がありますが、他の街も全く同じような状況でその規模の大きさは計り知れないものがあることと思います。
  
 帰り道にかって勤務していた会社の営業所にも寄りましたが、真新しく建てられたビルは立ち入り禁止の張り紙がしてあって無人の状態でした。
一時的に市内中心部に移動したという知らせの小さな張り紙が玄関に張られていました。

 事務所3階の割れた窓枠からぶら下がったブラインドの内側には大きな紙が貼ってあるだけでしたが、今にも破れそう!
窓枠もがたついているところも散見され落下の恐れがありかなり危険状態でした。
 インテリアメーカーなんだからせめて紙よりもカーテンぐらいは使用しても良いのではないかと少し悲しい気分になりました。
 
 仙台滞在中にかって30年ほど前に我が家に社宅として入居していた仙台在住の友人が訪ねてきました。
 市の中心部には電気、水道は通じているがガスがまだ不通だといっていましたが、普段は余り感じないですが、どれが欠けても今の生活は不便この上ないような事になるものですね。

 友人には、もし今回の被災者で緊急に住居を必要としている人がいたら我が家を避難所として一時的に無料で利用しても良いとの話もしてきました。

 ただ問題は現在避難所から離れてしまうと必要な援助物資が本人に直接届かないこともあるみたいです。そのため何も持たずに避難してきたのですぐには避難所を離れる事も出来ない問題もあるようで本当に大変な状況にあるみたいですね。


2011.02.23 (水)

 確定申告の提出から1ケ月! 23日付で還付金が振り込まれていた!

 毎日のウォーキング場所である服部緑地の梅林もやっと紅梅に続いて白梅も咲き始めて甘い香りが心地よく広がってくる。
今日は大変暖かかったのと徐々に見頃を迎えた梅見学の人たちも多く見られるようになった。

 今日も梅林でウォーキング後に集まってきた友人達と飲み会を開いていたら、友人の一人から確定申告の還付金が振り込まれていたか問いかけられた。
 
 まだ税務署から還付振り込み通知書が届いていないのでまだだとこたえておいたが、今年も還付金がある計算になったので1/19に豊能税務署に提出してきていた。

 受付の人の話だと早めの申告なので、3週間程度で還付されるだろうとのはなしだった。
 何の通知もないのでと今年は遅いと思っていたが、帰ってからパソコンで確認したら、なんと今日付けで指定銀行口座に振り込まれていた。

 本来確定申告時期は2/14からなのだが、還付申告の人は事前でも受け付けてもらえるので、最近は常にに早めに申告書を提出している。

 還付はうれしい気持ちには違いないのだが、よく考えれば納めなくてもよい金額を先にとられてしまっているのだから利息を付けて返してもらっても良いような気もするが。

2011.01.27 (木)

 緑地ウォーキング後、絵画鑑賞へ!

 毎週木曜日には近くの服部緑地内を大勢のシニアの方たち100名近くが集まってきて、一緒にウォーキングを楽しんでいる。

 昨年までは市の主催で「ふれあい健康教室」という名前で運営されていたのだが、経費節減という理由からか昨年末で中止されてしまった。
 元気にウォーキングなどをしている人たちは全体に健康状態も良い人が多く、赤字の健康保険を少しでも節減に貢献していると思っているのだが....

 ウォーキング終了後、いつものように芝生の上にブルーシートを敷いて、軽い食事をしながら歓談するグループがいる。

 「緑陰クラブ」
という平均70歳前後のシニアの団体だ。
このクラブの会長さんが趣味で描いておられる絵画の展示会が開催されているというので歓談後、観に行くことになった。

 豊中駅近くの「豊中市立ミュージアム」という展示場で、「ねむのき」クラブ絵画作品展が開催されていて、毎年出品されているのだが今年も3点出品されていた。

 @アンドレア・サルトの「ハルビュイアの聖母」(模写)   A「田舎の秋」(服部緑地)    B「酒徳利」(北の宿から) の素晴らしい絵画の出展でした

2011.01.09 (日)

 服部緑地へ「ふるさとのお雑煮」をいただきに!

 日常のウォーキング場所の服部緑地内の「日本民家集落博物館」に久しぶりに入ってきた。

 入園料は500円と決して安くないのだが、ミュージアムカードというのも発売されていて、2,000円で購入すると1年間フリーパスなので毎年このカードを購入して、佳く手入れされた館内の四季折々の変化を楽しんでいる。

 この博物館は、日本各地の代表的な民家を移築復元し、関連の民具と会わせて展示されている。1956年(昭和31年)に日本で最初に設置された野外博物館だ。
 館内の庭園には梅、桜、竹、柿など多くの樹木や草花植えられていて季節ごとに来園者を楽しませてくれる。
 約3万6千uの敷地内に、北は岩手県の「南部の曲家」から南は鹿児島県「天美大島の高倉」など12棟の民家が移築されている。
 国の指定重要文化財として定められている民家も多く貴重な場所になっている。

 今日はその内の「飛騨白川の民家」「ふるさとのお雑煮」が食べられるとの事だったので出かけてきた。

 200食限定ということだったが、実際の囲炉裏の火で煮られた栃モチを主原料に作られたお餅やかなりこしのある木綿豆腐などが入ったお雑煮だったが、ダシも美味くなかなかのお雑煮だった。

 会場には偶然いつもの歩き仲間も参加しており、お雑煮をいただいた後は、全員で館内の各民家をゆっくりと見て回った。

 民家を後にして、服部緑地の近くにある「皿池公園」に冬の渡り鳥の「ヒレンジャク」の一群が集まっているということで見学に出かけた。

 公園には立派な本格的なカメラを抱えた大勢の個人カメラマンが20〜30人ほどが電線やネズミモチの実を食べている様子を撮るため一斉にその一点目指してカメラを向けていた。

 この公園はそんなに大きな公園ではないのだが、周囲一面にネズミモチの木が植えられていて、その実を食べに集まってくるのだという。
 よくこんな小さな公園に渡り鳥がその実を食べにやってくるものだと感心したが、よほどヒレンジャクの好物でもあるのだろうか。

2011.01.07 (金)

 友はまだまだみんな元気に頑張っています

 定年前まで勤めていた会社の同期だった友人本田氏から、昨年12月に新たに書籍を発行したとの連絡をいただいた。

 早速、梅田の紀伊国屋書店まで出かけて購入してきたのだが、歳末は何となくばたばたと忙しくて読む機会がなかったのだが、今年になって余裕も出来たので一気に読んでみた。

 著者の本田氏とは現役時代勤めていた会社の同期だが、二人とも中途入社だった。僕の方が2歳年上だったが、なぜか一番気の合う友として退職後も親しくしてきた友人だ。

 2004年に自ら「インテリア文化研究所」を立ち上げて、昨年12月に設立6周年を迎えたということだ。

 以後「比較インテリア」「インテリア環境問題」の実践的研究に取り組んでこられた。

 さらにインテリアに関するセミナーや講演会は全国を飛び回って、すでに2,000回を越えたということだ。
 今ではトータルインテリアの知識においては我が国の第一人者として確固たる地位を築いていることは間違いないみたいだ。

 書籍の出版も昨年5月には(株)秀和システムから発行されている「各業界の動向とカラクリがよ〜くわかる本」シリーズ本のインテリア業界編」を出版したが今回は住宅リフォーム業界の最新動向を詳しく解説した「住宅リフォーム編」を12月発売し、これまでに2冊のインテリア関係の本を出版しているので4冊目という事になる。

 これまでの豊富な経験と資料を駆使してわかりやすく解説されているので特別な知識がなくても素直に理解できるのでなかなかとりつきやすい本だ。

 住宅関係の関係者はもちろん、この業界に就職や転職を考えている人のみならず、住宅の購入をやリフォームを計画している人にも一読の価値ある本に違いない。

 彼は又毎年海外出張を繰り返して、自分の足で実際確かめて世界のインテリアに関する情報・資料収集を積極的に行っている。

 現在67才ですでに立派な高齢者の仲間入りを果たしているのだが、執筆をはじめコンサルタント、講演などで毎日全国を飛び回っているのだから大したものだ。

 入社以来一貫してインテリア研究をライフワークとする明確な目標を持っているから年齢に関係なく活力を維持し続けることが出来るのだろう。

 最近は先輩、同輩が早々と下界からお別れしていく連絡を受けて気持ちも落ち込み気味だったが、新年早々少し元気をもらったみたいだ。
 ますますこれからもインテリア業界発展のためにも健康に留意しながら元気に頑張ってもらいたいものだ。

2011.01.02 (日)

 年々徐々に縁起も上向いてきたみたい!

 毎年新年2日に近くの原田神社に初詣に行くことにしている。
 普段は家から最寄りの阪急岡町駅に行くときには、近道としていつも境内を通過させてもらっているだけだが、年一回のお詣りのときだけは一応新鮮な気持ちでお参りする気分になるからやはり正月独特のきもちがあるのだろう。

 お詣りの拝殿まで行くには、数年前までは鳥居をはみ出して大勢のひとが並んでいたが、この2.3年は徐々に列が短かくなり、今年は5〜6人しか並んでいなかった。毎年大体同じ時間帯に参拝に行くので、この人数の減少はなぜなのだろうか?

 拝礼の後、おみくじを飼うのも毎年の事。

 ここのおみくじは裏面には、英文で翻訳されたものが載っているので、気になる箇所を英文と見比べながら読むとなかなかおもしろい。

 今年も100円を出して買ったが、「中吉」だった。 昨年は末吉、一昨年は小吉、服部天神で引いたおみくじはなんと「凶」だったから今年は何とか良い運がまわってくる可能性もあるのではないかと期待したが、詳細を詠むとあまり期待できない文句が並んでいて少しがっくりだ。  
でも総合的には中吉だから少しはいい年で終わるように努力してみることとするか!

 「恋愛」の項?
 「自己を抑えよ」とある。これはどういうことかな?

 英文では、love:Control your feeling.と書かれている。なるほど!
昨年は She looks good、but take care。(彼女はいい人だが、気を付けろ)だった。 

 失物(うせもの)の項には「手近にあり 見えず」   なるほど!年相応だから仕方ないか(笑)

さらに、全体の運勢は、「桜花 盛りはすぎて ふりそそぐ 雨にちりゆく 夕暮れの庭」とある。
「思いもかけぬ煩らい事が起こって心痛するが、心正しく道慎めば年永く音信のたえし縁者又は他人の便ありて喜び事ごと出てきます何事も運に任せ重いです煩うな」と書かれている。 まあのんびりとマイペースで今年も過ごすことにしょうかな

2011.01.01 (土)

 新年明けましておめでとうございます!

 2011年 兎年の日本経済はどうなるのでしょうか?

 昨年は「寅年」でした。「虎は一日に千里を走る」といわれて、長く低迷していた日本経済も大幅に一気に上昇するのではないかと期待した1年でした。

 でも何ら経済好転の兆しも全く見えず、残念ながら信貴山の門前に悠然と居座っている「張り子の虎」のように見かけ倒しのままで終わってしまったような感じの一年でした。

 でも失望しないで今年の「兎年」にもう一度期待したいと思います。

 うさぎ活動力や積極性、発展性も持ち合わせさらに新芽のような柔軟性も兼ね備えている動物だと言われています。
トラも活動力に富んだ動物であることから、経済も飛躍的に回復して高成長時代に転換するチャンスだと期待もしましたがやはり「張り子の虎」のままであったようです。

 また「兎」という字には「茂る」という意味も持ち合わせていて、地面を草木が覆うような状態を表しているとも言われています。
昨年駄目だったところや、芽を出さなかった眠り虎さんから、やっと今年は多くの芽が出て、わかばが姿を現わすのではないでしょうか。
 今年の兎年には昨年咲き遅れた花々を咲かせてもらうよう強く期待したいものです。

 といっても自分のように70歳に近付いた年金生活者には、ただ情勢を見守ることしかできないのが残念ですが、これも運命として。
少なくとも自分の身は自分の力で守っていくことしか方法がありません。
 
 今年もビールは第3のビールに限定のように「質素倹約」の生き方に徹してみたいと思います。でもこれではあまりにも夢がないので「一点豪華主義」も実行していきたいと考えています。