和歌と俳句

山口誓子

激浪

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既に秋朝刊にさす日を見れば

颱風の浪見て墨を磨りにけり

炎天の作岩よりも焼けてあれ

颱風に出でて荒磯をたたへばや

颱風やただ針金の柵に住み

颱風のけふも終るや籠に蕃茄

颱風の中にゆふべを告げし蝉

颱風のはやき暮色にけふ惜しむ

颱風のなごりも衣袂吹き煽つ

颱風の中ゆく老の腰かがむ

蚤把つて颱風の夜に放ちけり

蝉鳴いて颱風のさき見え来る

颱風や浪の嚮へる多度の山

颱風を送る短き蝉のこゑ

颱風の雨戸細目に浪も見つ

家ゐる蛾颱風の日に会ひにけり

颱風の行きし天よりいなびかり

いなづまや指のさきもて字を習ふ

食終へて聞きに下り立つ松の蝉

祈りたる神の多度村氷水

沛然と泳ぎの波を濡らしたる

巌の秀に殻をすすむる蝸牛

遠目にも巌にゐざりて蝸牛

夕立のあと冷じや油蝉

夕焼の中執心す油蝉

冷し馬ひかる蹄を砂に踏む

朝なあさな工を極むる蟻地獄

この頃は暮涼晩涼分ちなく

馬を冷す白馬曳き来しことあらず

馬を冷す獣にして遠浅に

冷し馬海を離れしとき暴る

蝙蝠傘を突き颱風に倚りて立つ

金亀虫押へぬ熱き君が髪

冷し馬白き後肢波離る

そのひとや他郷に秋の風詠まむ

水甕に浮べる蟻の影はなく

夏過ぎて燈蛾あつむること稀に

野分浪鏡を白く激せしむ

揚羽蝶見て玩弄の意なし

海を出て轡鳴らしつ冷し馬

秋風に髪蜜なるを誇りとす

行や駅東海に到るべく

町に出て晩夏花なき供華を買ふ

剪る蕃茄や露にふつつりと

海の日にたてがみ焦がす冷し馬

冷す馬騎らず陸ゆき海に入り

冷し馬海に二尺の顔を出し

水練の忘れし紅旗夜も懸る

冷し馬四つの蹄に海を踏み

蟹踏まじ暮れて手紙を出しに行く

夏去りぬ鉄路にすだく虫聞けば

夏の暮汽車見る前に川流る

夕汽車はいづこに向ふ蝉は樹に

蟹追うて逃ぐるを追うて君が子は

虫の空ふつつり絶えし照空燈

横向きに鳴く見えて喧し

蠅憎めばすこし離れしところにゐ

客の傍われは大字を書く土用

真裸に字を書く墨をたつぷりと

こめかみを動かすひとや葭簀茶屋

白鷺と海に行きあふ水上機

胸肩の波やをとめの泳げずに

鬼灯を活けしのみ部屋改まる

鬼灯を挿してののちの蘇

鬼灯を地にちかぢかと提げ帰る

南瓜の葉紙か何かのごとく踏む

やはらかき稚子の昼寝のつづきけり

昼深き玻璃に影さす揚羽蝶

短冊を父とかしづく魂祭

泳ぎ来し詩吟吾家に近づけり

とぶ翅に碧ちらつかす揚羽蝶

夏の暮駅の水栓飲み勤む

きちきちが庭にはじめて音を曳き

秋の蛇ゐるよと云へば失せにけり

揚羽蝶稚子ゐるからに近く来る

揚羽蝶とまるを見れば翅を欠き

燈を覆ふ布より黒く揚羽蝶

すずしさに水の走れる甕に杓

ヨットの帆真昼忽ち木隠るる

家にもゐ翔けるは別の揚羽蝶

揚羽蝶ゐて午後暗くなりにけり

知らぬ町祭の町へ子の連れ立つ

祭提灯消えゐて北にいなびかり

海の村出でていづくへ墓詣

くちなはのしづかに失せし魂祭

日中の海人の腹帯や墓詣

百姓の口髭黒く泳ぎけり

墓参より帰りて海人の褌ひとつ

百姓の泳ぎて海に見られけり

百姓の泳ぎ百間余に及ぶ