和歌と俳句

山口誓子

激浪

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ものを見る明るき月に目蔭して

月明に駅を発つ汽笛聳てり

吾家の燈誰か月下に見て過ぎし

朝陰のごとく夕陰蟻地獄

秋にまた暑き日ありて蟻地獄

蔭多きところを過ぎぬ揚羽蝶

蟻地獄ここがこの儘伽藍の土

炊煙に咫尺弁ぜず秋の暮

蟻地獄それも暮色に昏れ入れり

ちちろ虫水甕の辺は濡れつゐむ

月光に寝ねむと思ひ茶を飲めり

月入りて暗き夜となるちちろ虫

秋の蝉高木にこゑを仰がるる

子の頭秋の円光いただけり

蜻蛉の流され遡り繰返す

蜻蛉が低く群れゐる中に彳つ

蟻地獄八つほど数へなほ数ふ

ひとつなほ数へて増す蟻地獄

夕されば墨を点ずる蟻地獄

土堤かたくこほろぎ鳴き明すなり

の列わが家をないて海に出づ

蜻蛉の集ふ朝日に起きて出づ

法師蝉あはせ鏡をする時に

法師蝉聞けばこころはうち向ふ

鳴く枝を庇が隠す法師蝉

つくばひを真下に鳴けり法師蝉

海浅せしゆふべを鳴けり法師蝉

祖父が噛む真似するや子の甘藷を

漁り火や月下に出でて遠からぬ

一点のともしび月の河港とす

月明や庇の裏もほのあかく

秋の蝉鳴くや食事の皿ちかく

移りたる木を響すや秋の蝉

食膳に激しきこゑの秋の蝉

松にゐしときも激しく秋の蝉

行手の樹海より出でし月隠す

電柱のみな明るむや月に向き

めざましく碧き海蟹朝日さす

こほろぎのしづかなる昼帆は進む

こほろぎの絶えだえ昼をなき過す

月光は明るし顔にさすからに

月に寝て深夜に似たる蜑が軒

舟底を遠き月下にことつかす

風出でて月光しばし昏むかと

月の出やよその一家の箸づかひ

こほろぎの鳴くやいづこの畳にて

浪音と近き木擦れと野分めく

こほろぎや廂の下にこゑ集ふ

鍬ありて立ちて廚に甘藷の頃

陸橋に駅の燈が点き野分めく

鈴懸の並木なればや野分めく

ちちろ虫荒き焚木の間ならむ

こほろぎにすぐと茂吉の蟋蟀歌

ちちろ虫蔭の蔭よりあゆみ出づ

蟋蟀は出で来し蔭に帰りたり

石炭を掬ふ音冬遠からず

こほろぎの忘れしころのいなびかり

こほろぎに朝日走りてやまずけり

雨はれてつくつくぼふし雲に鳴く

なほ聞かむとすればちちろの声落す

鳴きやみしちちろ出で来てつややかに

ちちろ虫午前は遠く思はるる

大木の根もとも揺れて野分過ぐ

沖浪を持て来て磯の野分浪

燈をともす野分の中の家吾家

夜の野分燈にちかぢかとわがふたり

松原の如法暗夜を野分過ぐ

遅月の野分の月の北寄りに

野分あと松ににほひのしづまれる

野分にて荒れし砂地ももとに帰す

横雲のかかりて秋の雲の峯

道の蟹みな木場の材に隠れゆく

舟虫の暮れてともしび明を増す

蜑が家ともしも秋の海に向く

歩くうち天光失せて秋の暮

こほろぎの闇や漁り火高うして

秋雨に雨雀となりて喧しき

草積のそこひも濡れてちちろ虫

妻が挽く鋸の歯や露の土

大き樹の根もとしづかにちちろ虫

白砂を照らせし月の幾夜のち

紅のネルを着し子も海人の子ろ

又も落つ大樹の露のしたたかに

こほろぎや栴檀のもと掃きしのち

日が没りてとべる蜻蛉のゆくへはや

こほろぎの闇の中にて野犬鳴く

羽の蟻群れ去りし木の朽ちゆくも

無花果を頒ちて食ぶる子等がゐて

栴檀の白ぐもる実を珍重す

秋雲の端勢ひつつ天移る

海道を萱搬び来てむをと鳴く

黄がさめて白き夕焼黍畑