和歌と俳句

山口誓子

激浪

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13

鉄栓を拾ひて掌にす露の中

蜑びとの海に障子を洗ふころ

松かさの青きを惜しむ露の上

海に凧秋の祭りのちかづけり

なんばんを食ふ夏よりの徒はだし

寝ねどきが来ればちちろの鳴く上に

床下の行けいけにしてちちろ虫

きりぎりす湖よりしづかなるはなし

来し客に甘藷畑より近づきぬ

夜の廚こほろぎが湧く泉なす

厨房に朝日さしこむちちろ虫

乳児の頭に露の朝日のあつからぬ

天井の鼠とことこ露明けて

露けき火打瀬の火とぞ明けて聞く

こほろぎの壁にそばだつこゑのして

地に落ちて紙ひびく凧秋祭

蟷螂に既にあらしの先迫る

甘藷畑の裏にゐ留守とまぎらはし

舳のさきの河口出づれば野分浪

ぎつしりと雨滴の松やちちろ虫

濡縁を右ゆ左ゆ蝸牛

簀子縁土が透きつつ蝸牛

友浪に倒れかかれる野分浪

秋雨の松濡黒となりにけり

吹き降りの家に秋の蚊刺しにけり

年木割る斧や頭上にたと止る

鳴くちちろ棚に書のある部屋ならむ

蟋蟀が妻の背後の畳過ぎ

電燈を常暗うするに油虫

あし多きげぢげぢ生きてなほ走る

己が句の抹殺つふくことの秋

句を棄つる身を削ぐといふことの秋

ひややけき空気に秋日さしゐるも

一角の稲妻天を覆はざる

秋祭暮れても凧を手離さず

朝影の露の木影のやはらかに

縁浅く入りて食器に秋の蠅

秋が来て杉の実鉄砲又流行る

蜘は囲をいとなむちちろなくうへに

白露や捻挫せし子のあけくれに

机上まで栴檀の実を得て帰る

海鳩の群て栴檀実生るころ

板廂栴檀の実のけたたまし

砂を掘る犬の遠さよ秋の浜

南へ末ひろがれる鰯雲

水辺に柳暮れ秋の墓石店

秋の夜の神のともしび退り出づ

そのあたり斎垣の灯さす秋祭

高張の踏切渡る秋祭

暗き燈に民のよろこび秋祭

祭の灯とびとび秋の海に出づ

海の筋いづれも秋の祭の灯

露しとど吾家の蟹もひそみがち

こほろぎのこゑごゑ巌のあるところ

こほろぎのこゑゆらゆらと岩に立つ

こほろぎや廚の棚に瓶並び

厨には食器沈著けりちちろ虫

ちちろ虫廚を踏めばこゑをきる

こほろぎの鳴く昼残る齢を過ごす

戸の隙をこゑ外に出づるちちろ虫

海人が妻立ちて小芋を剥くところ

蜻蛉の高ゆくところ失はず

屋根瓦光るかそけさも秋の雨

朗読のラヂオの秋夜戦の夜

こほろぎや雨垂の点ややあつて

秋の燈をひと横切り燈を明るうす

真赤なる汽罐車過ぎぬ秋の暮

踏切の燈にあつまれる秋の雨

海暗く遠稲妻のゐる吾家

野分の中朝日も荒れて草にさす

起きぬけに子等出でて立つ野分浪

漁父出でてこころを遣らふ野分浪

野分浪見むとて犬も一散に

路せまき城下桂の秋ならむ

就中楝の大樹を野分過ぐ

日が射して凄き白かな野分浪

栴檀の実の葉とともにとぶ野分

夕食まで父子見に出づ野分浪

吹き募る野分に暮色走りけり

紫の暮色を野分いそぐなり

出で立てば星の夜にして野分あと

こほろぎのこゑの出深し野分あと

栴檀の実の落ち集ふ廚口

家の裡荒れて汚れて野分あと

野分あと秋風長く吹き通る

昏明のさかひ野分の絶えにけり

前声をうけてつくつく法師蝉

法師蝉終りの声に近づけり

街道の松や野分に乗り出し

近く聞くこゑ精巧に法師蝉