和歌と俳句

山口誓子

激浪

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綿雲を見れば近づく菊の秋

閂を外す暁より鰯雲

秋の暮遊びて帰る女児ひとり

荒るる日はあれどもくせい咲く海辺

十字路を過ぎての歩み秋の暮

秋祭過ぎて杜には灯の気なし

野の川と思へどかをる秋の潮

戻り来て蹠清む秋の暮

婆子来つて金木犀を供華に売る

吾亦紅壮んなる時過ぎて立つ

乾坤の動くは乾の鰯雲

一寸を刻みて移る鰯雲

海の上にのこりて暮るる鰯雲

焚火見て行きて見むとす秋の浜

ひややかに朝日さし込む蟻地獄

金星は低く木犀芬々と

火を焚いてそこのみ紅し秋の浜

火を焚けば暮色衆る秋の暮

十字路に彳てばいづこも秋の暮

火を焚いて岬暮るるや秋の浜

庵主に深く衣通るいのこづち

芋虫のしづかなれども憎みけり

やさしうて刺剛直のいのこづち

鋼針と云ふも可なるやいのこづち

秋風や薄着の躰吹き通る

いのこづちひとのししむらにもすがる

木犀やいまだ家風に染まずして

見られたり芋虫を踏みにじれるを

鰯雲高きに群れて羨し

野蒜の香置く露の香にたちまさり

暮れて歩く木犀の花季過ぎけり

いなづまや照空燈も走り出で

いなづまや睫毛濡らしてわがふたり

蟋蟀の肢節も寒くなりにけり

俯向きて鳴く蟋蟀のこと思ふ

蟋蟀の畳の上にいのち生く

衰へし蟋蟀に燈の明るさよ

海の辺に露燦として夥し

露の圃に十歩と海は距たらず

鵙のこゑ奔り流るる身のほとり

ひややけく家居はなりぬ燕去る

秋風の我身を過ぐや手のほとり

いぶせきに障子を白く替へにけり

胴高き馬曳き入るる秋の暮

乳足り児を坐らす秋の夜の畳

鵙高音復読みかへす戦果報

その後の戦果を待てば鵙高音

自転車を乗り習ふうち秋の暮

硝子戸をさす花舗秋の草多に

秋の燈の部屋見て道は闇となり

木犀も過ぎて靄立つ海の村

村の端に靄立ちそめぬ秋の暮

今晩は今晩は秋の夜の漁村

大露に濡れて木鋏匂ひけり

露の日が出て何もなき海の上

雨晴れて日の出ぬ間に秋の蝶

木犀も匂はずなりぬ牛繋ぐ

水深き野川に沿うて秋の暮

土堤行く灯水にも遅き秋の夜

鵙はよし尾羽を一擲して去んぬ

電信線あくまで二本秋の田を

鵙鳴いて汽車には藪の切通し

家遠き田圃の景に鵙しきり

水車場の障子震ひて秋の暮

駅の燈が紅に秋夜一変す

秋燈の店やひとりの老婆坐す

鰯船火の粉散らして闇すすむ

海に向ひ山にそむけば銃の音

吾亦紅真紅なるとき銃の音

野の川を走り過ぎたり銃の音

流れやや早し水漬ける猫じやらし

秋の田に架橋最も高くして

稲を負ふ馬や架橋を渡りけり

秋浜の馬場の広袤人を見ず

吾亦紅立つて野の川混濁す

見て通る道に噛りて柿食ふを

秋の海蒼を川にも遡らしめ

浦々の隅の隅まで秋の海

機関車に助手穂芒を弄ぶ

坂の道菊咲かせたり村に入る

背を低うして牛来る秋の暮

秋の田の暮を輓馬は喜ばず

松山の闇に黄葉づる桑の闇

岐れ路の白きに入るや秋の暮

露けさに炉を紅うして村の鍛冶

野川暮れ葉さへ茎さへ葭白し

とある家霧の晩家に談笑す

シグナルの犇きし音霧の中

木場の材転がる道に霧下りて

霧の夜や燈火を惜しむ映画館

椎の実のつぶつぶ神の溝の上

街道に鳥居をくぐる甘藷車

秋の暮金星なほもひとつぼし

鰯雲攀づべからざる嶽の上

天覆ふ鰯雲あり放心す

秋の暮真黒き獣道塞ぐ

牛の眼の繋がれて見る秋の暮

秋の暮山脈いづこへか帰る