2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集    home 

  魚谷繁礼 門藤芳樹 山本麻子   岩崎泰  柳沢究 森田一弥 浅見俊幸 満田衛資 川勝真一 岡田栄造 
  榊原充大 山崎泰寛 牧野研造  俺クチャー    観客感想 

   番外編  名古屋 小林聖明  東京 太田浩史 松島潤平 

  柳沢究さん 編   8月04日 pm3時〜  晴れ 

 その 01 02 03 04   05 06 07 08 

 その02  

佐藤:中国では見るべき建築は
柳沢:中国で佳かったのは、雲南省の方のダーリーとかリージャンとかそいう
佐藤:なんですかそれは
柳沢:町の名前です。古い。どれぐらい古いって言うと分からないですけど。100年200年ぐらい前の町並みがかなりいい状態で残っている

佐藤;ああ町並みね
柳沢:そういう所は佳かったですね。凄く。
佐藤:建築じゃなくって全体の構成や町並みね、インドは。中国からインドへは陸路で行くですか
柳沢:陸路でまずラオスへ抜けたんです。ラオスから
佐藤:その当時は危なくなかったですか

柳沢:ミャンマーの方は危ないって言われていたんですけど。東南アジアの方はそんなに言われてなかったですね。カンボジアも丁度安定してる時期だった

  赤ちゃん あーあー あ〜 

佐藤:
カンボジア抜けて
柳沢一周して、それからミャンマーは通れなかったんで。今も通れないと思うですけど。タイからインドに飛んだですよ。
佐藤:インドはどこへ行かれたんですか
柳沢:インドはあちこち。2ヶ月ぐらい居たんですけど。
佐藤:病気もせず

柳沢:病気しましたね〜インドでは
佐藤:ふふふふふ
柳沢:とうぜんお腹下すとかは当たり前なんですけど。一番キツかったのはアーグラってタージマハール観に行ったときに。

そこでインドに入って。丁度1ヶ月半ぐらい経ってた時点で慣れてたんで。道端で知り合ったインドの人と食事に行ったんですね。割と仲良くなってたら。どうもその食事に薬をもられていたみたいで。
佐藤:はあっはははは
柳沢:タージマハール帰ってから大変な吐き気下痢発熱見舞われて。

佐藤:
盗賊だったんだ
柳沢:それがまた 巧いことに、その次の日の朝にですね、約束もしてないのに。ゲストハウスにやって来るんですよ。「おまえ具合はどういか」っと言って。「もう死にそうだ」と言うと「分かった俺たちが病院に連れて行ってやる」と言って。仲間の病院に連れて行わけです。そこで
佐藤:身ぐるみ剥がれるの

柳沢:はがないで、旅行保険から取れる分だけ 捕るんですよ
佐藤:ああそうか保険金詐欺みたいな手口か。なるほど病気症状ありだしOKと
柳沢:それで結局1週間ぐらい、そこの病院に入院して、点滴受けてようかう復活してインドから逃げるように、出た

佐藤:インドのお医者さんと呼びかけ男が組んでて、山分け。柳沢さんだけは死にそうな思いはするけど死なせはせず下痢ね。二人だけがお金が貯まると。保険だから誰の財布も傷まないと。賢いね
柳沢:賢いんです2ヶ月ぐらい騙されていたのに 気付かなかった
佐藤:なるほど、入院まで連れててくれて 親切だなのと思い込んでいてふふふふふふ
柳沢:親切で助かったな〜と 本気で思ってましたからね
佐藤:ふふふふっふ
柳沢:旅行してて、同じ様な目に遭った人が他にも居て。まったく同じ状況で、これどもうも最近そういうのが 流行っているらしいというの聞いて初めて気付いたんですよ
佐藤:なるほど。
柳沢:それが インドは一番印象的
佐藤:タージマハールは世界中から観光客が来るだろうからね、
柳沢:そうなんですよ、アーグラーは。だからインドで一番観光客来ますんで、インドの旅行者向け犯罪の最先端都市なんですよ

佐藤:ゼロを発明した国だけあって、やることが巧妙ね。いきなり襲って奪わないものね
柳沢:巧いですね
佐藤:盗賊なら分かりやすいけどね。親切だと思わせておいて実は悪だと
柳沢:そうなですよ
佐藤:さすがだね〜。それでインドから後はパキスタンですか

柳沢:インドのあとは、パキスタンとかイランはそんときには時間が無かったので飛ばして。トルコまで行ってしまいましって
佐藤:いきなり飛行機でね

柳沢:
飛行機で飛んでしまって、あの当たりから逃げ出したかったんでデリーから飛行機でイスタンブールまで飛んでしまって。トルコに1ヶ月ぐらい居て、その後東欧のブルガリア、ルーマニア、
佐藤:トルコ行ったらベリーダンスだぜ〜安心しちゃうでしょう

柳沢:トルコはもう天国って感じでしたね、インドから行ったらなんて綺麗で、人は優しくって
佐藤:混血して顔も美しいし、食べ物も沢山ありそうだし
柳沢:酒も呑めるし
佐藤:インド酒 だめでしたか
柳沢:インドも呑めるですけど、なにか地下の暗いバーみたいのものに行かないと。それか高級ホテルに行かないとなかなか呑めないです。大ピラにはあまり
佐藤:インドは英語は通じるでしょうけど、中国語は話せるですか

柳沢:その当時は少し日常会話ぐらい喋れたんですよ
佐藤:休学して世界を旅する巨人になりそこねて
柳沢:巨人は目指してないですよね ふふふふふふふ


 (勉強と設計演習 しだす 柳沢 博士号まで )

佐藤:
その反動で3,4年生は勉強してしまって。勉強と言っても色々だと思うんですけど
柳沢:勉強、設計演習とか一生懸命やっったと 言った方が
佐藤:体育会系のノリでドンドン演習は出来ますしね、夜昼構わず、設計演習滅茶滅茶やって。3年生のときの課題はなんですか

柳沢:確か美術館があって、その次に小学校があっって。その後集合住宅があって。あとコンプレックスがあって、その4つだったかな。
佐藤:その後は社会人にならず
柳沢:修士に行きました
佐藤:理由は

柳沢:本当はいきなりアトリエ事務所に就職しようかなというつもりでいたんですども。なんでしたっけね。当時の先輩から。学生時代ってこう卒業設計やるから卒業論文も書かないじゃないですか。建築って。修士になると。論文というものを書くと。そういう自分の考えたことを 文章にまとめるトレーニングというのは、大学出ると一生出来ないから。そういう意味で修士は経験しておいたほうがいいというようなことを。言われて。それはそうだなと、いうので修士に

佐藤:なかなか賢く当を射たアドバイスで
柳沢:とても 佳ったと
佐藤:そうだよね。へ〜え
柳沢:で修士では、そのインド。旅行してたとき、海外の

佐藤:無駄飯や無駄下痢はしてなかったと。そこでインドが活きてくるわけだ
柳沢:活きて来ます
佐藤:なかなか活用術もたけていますね。それでインドと関係ある論文を出された
柳沢:そうです。それが結局博士まで続くんですけど

佐藤:あ!!博士号ももってらっしゃる!凄いですね〜。そうですか。まずじゃー修士の時に序論のようなのを書いたんですか

柳沢:
序論というか、ほとんど重なってるんですけどね。半分ぐらい。博士論文の1/3ぐらい修士論文。

佐藤:修士論文のタイトルは何ていうですか
柳沢:修士論文のタイトルはヴァーラーナシーという、インドの土地が在るんですけど。日本語で言うとベナレスというヒンドゥー教の聖地ですね。そこの都市空間構成に関する研究みたいなこと
佐藤:そうですか。都市空間の構成ですね。

柳沢:都市空間の成り立ちと言いますか。
佐藤:そこへ行って住んでいたこともあるんですか
柳沢:いや2ヶ月、修士の1年と2年でそれぞれ2ヶ月・1年目に2ヶ月行って。2年目に1ヶ月行って。その程度です
佐藤:それは昔のインドの文書を読み込まないと出来ない研究ですか
柳沢:さすがにインドはイギリスの植民地だった時代があるので。英語の文献は充実しているんです。向こうの研究書も だいたいは 

   赤ちゃんが ばあーあばー と 呼びかけている 

英語で書かれるですね。英語さえ読めば、シンドイんですけど。まあ何とか文献は揃う。

佐藤:ああそうですか、インドの街区というのは植民地になったあと、それ以前に出来てたわけですよね
柳沢:そうですね
佐藤:植民地以前のことを研究した都市空間構成の、英語の論文が一杯あってってということですか

柳沢:だいたい、都市のこととか建築のことに、個々の建築のことについては何かこうもちろん色々な紹介があるんですけど。ファーガソンとか有名な建築史家が研究とかもあるですけど。都市の成り立ちとかそういうのに関してはほどんど無くって。有るのは政治史とか制度的な。インドがイギリスからどいういうふうにインドの町を経営したかとか。そいうような資料が多いんですね。
佐藤:なるほどね。

柳沢:都市の研究やるには、当たっても、あんまり文献には頼らずに、もうほとんど現地に行って。古い地図を手に入れたんで、入れることが出来たんで。
佐藤:なるほどね
柳沢:それを現実と見比べながら調査する。そいう感じです

佐藤:京都のには日本の古い町割りが残っている一つの都市ですけれども、そこで暮らした事も役に立ちましたか
柳沢;比べるってことは無いですね。ただ比べたら面白いなとは思ってますけど。
佐藤:それで博士課程は3年でしたっけ
柳沢:3年ですけど、修士2年間行ってそのあと、博士に進学したんですけど。2年やたとことで。あんまり博士課程に入ってからもう

 赤ちゃんがガラガラで遊んでいるガラガガキンキン近々ガラガラ

博士論文書く気あんまり無かったんですね、最初。ただ就職するのもいやだし自分で仕事できるなら やっちゃいたいな〜というようなつもりで。博士に身分を置きながら

佐藤:
設計もやっていたと。二股社会攻撃でね凄いですね〜
柳沢:やっていて研究は全然していなかったです。博士に入っては。なんで2年間ぐらい過ぎた処で神戸の方の大学の助手の話があって。それで2年で博士課程中退して。
佐藤:神戸大学ということですか

柳沢:
神戸芸術工科大学というところですね、助手を5年間
佐藤:5年間、永いですね〜
柳沢:2003年から2008年まで 

   がらん がらんがらん

佐藤:助手って先生と学生の間で雑用処理係ですよね、えらい大変じゃないですか
研究かしてる暇なんてありそうもないですよね
柳沢:そうですね
佐藤:5年契約でしたか
柳沢:4年契約1年延長っていう

佐藤:それって結構辛そうだな
柳沢:で4年目が終わる当たりから、このまま任期が切れるとヤバイ!と思って
佐藤:生活資金がヤバイってこと
柳沢:終わった後どうしたらいいのか

佐藤:うははあはははは
柳沢:先に繋がらないな〜
佐藤:その時は博士課程で,入ったけど何も書いてないんでしょう
柳沢:そうです
佐藤:修士の論文はあるけれど、博士の気分だけはあるけれど、まだ論文は無しよの状態、一行も書いてない状況で
柳沢:そうです
佐藤:それで5年間も軟禁されてるかんじで ふふふふふふ

柳沢:
4年経った頃からこのままで終わると、まずいな〜と思いだして。

ガラ ガラガラ ガラ

 そ れで研究の方も仕事やりながら再開しまして。で助手の5年の任期が終わっる丁度その瞬間に3月に博士号を取ったんです。

佐藤:ええ博士号の方が先だったの
柳沢:いや、助手やってる間に取ったんです
佐藤:やってる間にね凄いね〜!!よくそんな離れ業を出来ましたね〜
柳沢:何とか

佐藤:夜も寝ないで論文を書いて
 ガラ ガラガラガ

柳沢:
そうですね、その追い込みの時は

 ガガ ラガラ ガララ

佐藤:おお!元気よくなったね〜
奥様:ははははははは 

佐藤:これは新しい風景でいい 好いよ〜
奥様:はは
佐藤:面白い。赤ちゃんに侵入されてしまう、この道具はなんて言うですかハイハイ道具は
奥様:手押し車
佐藤:手押し車のキンコンキンコンが猛烈にインタビューの場に侵入して来るのはいいね

 柳沢奥様 ははは
佐藤:侵入している この誤配が 画期的だ いいね〜
柳沢:ビールお代わり
奥様:yちゃんは出ても
柳沢:いいよ

佐藤:写真撮っても顔はフラッシュたかないと出ないよ。柳沢さん子供がいるっていう情報を公開しても大丈夫なの
奥様:ははははははは
柳沢:それはいいです
佐藤:結婚していることも公開していいですか、何か急に騒がしいからみんなで注目したら静かになった、この子は根っからのスター気質を持っているんじゃないか

柳沢:はあははは
佐藤:注目されると きりっと出来る。無視されるとガラガラ押す、俺に注目せいよと。可愛いね〜。これ使ってはいはいの練習しているんだ

 赤ちゃん泣き出す あああ、あ〜ああん オジサン泣かせちゃったかな〜 あ〜ああん 面白い ふえーええん え〜ええん 注目しすぎたかな

奥様:すみません
佐藤:いやいや大丈夫 これが面白いんじゃないですか子供が泣いたの、あやした泣いた。

 助手しながら博士号取るって凄いよね〜
柳沢:そうですかね。それで修士の時の蓄積も一応有ったんで。助手の間に2回ぐらいインドに調査いって。その間に少しやってまいた。ドクターの1年生ぐらいのときには少し研究やっていました。そういえば。それも有りました。
佐藤:何々

柳沢:ドクターに入ってから何も研究してなかったという訳でなくって
佐藤:修士終わっていきなり助手じゃない
柳沢:違います2年、修士終わったあと博士に進学して。博士課程に2年間いたんですよ。
佐藤:2年間はテーマを整理して
柳沢:テーマを整理したり、少し調査に行ったりとかしてたですけど、主には設計の仕事やっていたんですね
佐藤:博士課程の3年目に「ちょと助手やれ」と
柳沢:2年目が終わた時点で中退して 少しは有ったんです。足すと3年分ぐらいは研究してたことになると

佐藤:授業料 払いながらだよね
柳沢:いや博士課程は中退、退学してしまったんで、論文博士です
佐藤:学費は払わずに論文だけ審査していただいて、博士号をいただいて

それは何か素晴らしいおめでとうございました!! いや凄いですね〜

 その03 へ