2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集    home 

  魚谷繁礼 門藤芳樹 山本麻子   岩崎泰  柳沢究 森田一弥 浅見俊幸 満田衛資 川勝真一 岡田栄造 
  榊原充大 山崎泰寛 牧野研造  俺クチャー    観客感想 

   番外編  名古屋 小林聖明  東京 太田浩史 松島潤平 

  柳沢究さん 編   8月04日 pm3時〜  晴れ 

 その 01 02 03 04   05 06 07 08 

 その06  

佐藤:そこへ行ったら違う扉が開けていたと
柳沢:脚色されてる部分もありかすけど大体そういういことです。

佐藤:8年とは長いですよね
柳沢:細々とやってますね
佐藤:それは、スタート時点の、グループでこんなことやろうかというのはあったんですか
柳沢:最初は、スタートした時点は町家の再生が盛り上がり出した時期だっていうのも、あったんで。その後 森田さんがやったりとかいうので、町家の再生を何軒かやったんですね。で、元々の目的は割とそういう交流する場を作るという事だったですけど、それに仕事も有るし。出来たら大工から設計者から、庭から左官から揃っているわけだから、メンバー。 そこに集まる人としては。受けて会社的に運営していけるといいな〜みたいな、そういう構想も一時期はありました。

ただ、全員がですね、その後 親方になってしまって。僕も含めてですけど。それぞれがみんな独立しちゃって動き出したんで。それが集合して会社にするとかいう まとまりがうまく出来なかったんですよね。誰が責任とるんだという問題も当然発生して。

佐藤:マネージ・コーデネートするプロが仲間に居なかったということだね。それぞれの職人ではあるけれど、ゼネナルマネージャーが居なかったということだね。
柳沢:そういうことだと思います
佐藤:それは誰がすべきだと、今振り返ってみて思いますかね。今からでも遅くはないですよね。統合する、独立してバラバラのなるのをつなぎ止める役割をするのが人か、システムにするのか。人間が まかなうのか、法律にするのかそいう問題はあると思うだけど。

柳沢:一番向いているのは、たぶん設計者、僕だとかそういう立場の人間だったと思うんで。今でも もちろん思うんですけど。当時からもそう思っていたんですけど。それをやりだすと たぶん設計出来ないな〜っていう思いが僕自身としてもあったので。そこまで踏み込めなかったんですね。コーディネートする、当然仕事もとって。

佐藤:設計してみたくなっちゃうね
柳沢:設計やりたかったんです ふふふ
佐藤:そのくせ建築家像批判してみたり、ね
柳沢:その辺は僕自身突っ込まれると、しどろもどろなんですけどね

マネージメントする人はだれか

佐藤:そうだよね、若い欲望だから、その処が整理されると。柳沢さんが整理しなくっても、仲間から整理してしまう人間が出て来るから問題ないと思うんだけど。 せっかく最初の足掛かりがあるから、もったいないな〜っていう感じで聞いてました。

多量に在る社会にあってはマネージメントが今一番重要なじゃないかな〜って思うんですよね。 そういう職人さんなどの関係が残っているのは京都だけのようだから。それはもうちょっと膨らまして頂きたいですね。地方には 職人さん消えて無くなっちゃいましたよ〜。

まずやってみて上手くいかなっても、課題が発見されるから、それでいいと思うんですよね。この集まりは行政主導型じゃないですよね。予算が付いてその枠の中でやるけれど、潰れる危険性もないですけど。自主的な組織だから喧嘩になっていつ壊れるか分からないけども、一番やらなければいけない事をやろうとする、出来るわけだから。

行政型だと絶対間違いない事をやる、だから予算がつく、巧くいっているような報告書を作り上げる。常識の中に納まってしまうだから危険性は無いわけだけど。もったいないね。コーディネートとする人間がいないのはね

柳沢それに専念する人間がいないと。成り立たないですよね。 
佐藤:むずかしい問題だな〜。近世期はかく業界のご隠居さんという人種がそれを こなしていたと思うんだよね。今は誰がそれをするか、そういう職能が無いからね。
柳沢:設計できる優秀な人間はそういうのに向いていると僕は思うんですけれども。やりたがる人が
佐藤:設計、図面を引いて建築をつくるためにデザイって言っているけど、もうちょっと次元を上げるのか 位相を広げるのかよくわからないけども。

柳沢:そうですね、そう考えればコーディネート事態が一つのデザイン行為になる
佐藤:そう考えれば、ストレスにならないと思うんだよね。既存の建築家像を持っている人から見れば「君は建築家的じゃないね」と言われることになる。そのように既存の成功している建築家から言われたときに 初めて新しい建築家像を獲得したと言えるわけだからね。 その状況にどれだけ耐えられる数がいるか、既存の建築家教育を受けた育った建築家系の人々の中での数がね。

柳沢:建築感から育ってきてるし
佐藤:批判されても「こういう立ち位置が本来の建築家である」と突き放せるし、「そちらを目指すべきだ」という言い方ができる建築系の人間か。それを誰もやれないということだと、皆 同じような処で悩みが始まり悩んで停滞してしまうよね。 柳沢さんより下の世代が「建築家めざすのやめた」と言って活動し始めるといいね。そこで、柳沢さんが足を引っ張ったりせずに、柳沢さんが「良いことやっているね」と、下の世代の若者を褒めることが出来るかどうかが、鍵かもしれない

柳沢:褒められると思いますけどね
佐藤:褒めて仲間がなにがしかの 食えるぐらいの、支援者になって。それだけでは食えないだろうから、バイトなど回したりしつつ 育てる。近代人からみればどっちつかずの中途に見える人間があるとき居ないと、そちらの建築家像に移行出来ないよね。

柳沢:そうですね
佐藤:そういう人をどやってサポートしていくかっていうのが課題だと思いますけどね。7日もみんなが集まって来て 割り勘でそういう話ができれば

柳沢:
そういうやり方もあるんだという、建築をやっていてそういう道があるんだというのは。もうちょっと早く気づいてたら。それはいいかもしれないと思えたかもしれない。何かもう、やっぱ建築家、既存の建築家の像が嫌だみたいな言い方するっていうのは、僕は既存の建築家像に囚われている証拠で。それが本当はいいと言う思いがあるんですよね。

佐藤:だから俺が聞きに来ているですけど。10年も仕事やっていないと既存の建築家像に囚われている人なら恥ずかしいから京都まで来れないと思うけど。俺 元建築家でいい、恥ずかしいと思ってないから ははははは。 建築家は仕事が無いときに何をするのか?を提示し、実行する人が多く出て来れば、多様な建築家像の可能性の端緒は見いだせるでしょう。 

建築あそびに学生が来て「佐藤さん建築の仕事最近してないけど、建築家ってこういう活動してもいいんですね〜」って言う者もいたからね。

柳沢大変失礼な質問ですけれど、最近設計を仕事されてないのは。それから離れたという意味じゃなくって、仕事が無いからっていうことなんですか?
佐藤:そうですね。仕事が無いっていうこともあるし。営業もしないし。しなくってもいいということもあるよね。家庭の事情もあるから。色々複合的に建築を作ることに拘っている暇があったら、失敗した建築家像として活動するという事の方が、凄く俺にとって意味がある行為なんだよね。


 失敗モデルの表象か

柳沢:
う〜ん
佐藤:失敗モデルとして、失敗モデル だれも知らないじゃない。
柳沢:消えて行きますからね
佐藤:失敗モデルなんだけど消えていかない在り方っていうのを実践しちゃって ははははは どこででも活動の場が保証されてれば (建築家は必要ないでしょう)
柳沢:それまた 何か
佐藤:笑えるでしょう 

柳沢:うん、いや すごいそれは
佐藤:それは自覚的にやっているんですよ。こういう失敗モデルとして行動したりしている と笑えるじゃん。色々建築系のなかで建築なくっても活動する場と機会を作れるじゃん。みたいな感じで
柳沢:うんうん
佐藤:みながそう概念が生まれれば、思えば新しい仕事も産まれるだろうし、お金も付いてくるでしょうし。7日はカンパするって言っているから、もしかしたら電車賃より高い金額が集まったりする可能性もあるし。失敗モデルの建築家像を実践していると 仕事の可能性に沢山出会えると思うんですよ。座敷が掛かるかもしれないし。新しい建築家像を俺が更新したことになってしまうかもしれないじゃない。失敗建築家モデルが実は成功モデルであったみたいなさ〜。オモロイと思うよ。

柳沢:建築家の枠が広がっていく感じは良いですね
佐藤:良いでしょう、建築家の源流は渡り職人だからね。職業を渡り歩くか、地域を渡るか
柳沢:領域を渡って
佐藤:領域をも渡っていいし、職能を渡ってもいいし。なんでも渡っていいじゃないの。映画作っている建築を卒業した人もいるだろうし、町を作っている人もいる、人間の関係を作っている人もいる。それを堂々と言えないのはなぜか?っていうことを考えるわけですよね。狭義の建築家像が流布している、情報を流している。新たな社会への可能性のある建築家像っていうのを、議題として提示していないんだよね。既存の建築家像だけ輝いて見せてしまう、 周囲を見えにくくしている

柳沢そうですね
佐藤:情報を加工し流すこと その 加工品が偏っていて、多様な建築家像を見えにくく、発見し難くしているということだから。見えにくかったら情報の前に飛び出してしまえ!いみたいな。そういう図々しさっていうのは、自覚的にやる必要あるからね。先輩達の建築家だって偉そうに吹いている人々が、60、70才になると、消えて居なくなってしまうのはなぜか?一部の建築家だけが突出してあるような情報はなぜか?。それだけが成功した建築家であるみたいな情報は下らないと俺は思うんだけどね。多義多様な体験も経験も情報量も一杯ある建築家が居るはずなのに、その人達がなんで建築圏を育てようとしてないのか?自分語りが全てだったから のような気がするんですよね。成功モデルはそれしかない、下世話に言えば自分の自慢語りだけ。そんなもみんな興味ないに決まっているでしょう ふふふふふ 自分の自慢話は聞かせたいけど、他人の話は聞かない

柳沢:ははははは確かに聞きたくない。
佐藤:今回の、自分かたらなければいけない7日のイベントは いや〜なイベントなんだよね
柳沢:メールみたときは。やりたくないのかな〜と
佐藤:やりたくないよ。
柳沢:やりたくないんですか、でも今日その話聞いたら、やりたくなくってもやってもらうと。

佐藤:
やりたくない。本当に。こういうこと とやって来てね語りは。ことば悦覧このも場所でこういう人が居て どこそこではこういう建築家がいましたということだけ喋って終わりにしたいんだけど。どうも要求と雰囲気が違うようだよね

今いっったような建築家像を持っている人居るだろうから。僕は実は失敗してる建築家で、今こういう事をやっているんですということを言いたいんですよ。そのためには結構 長い時間が要るんですよ。

柳沢:なるほど。
佐藤:こういう建築をつくって、こうして失敗して、話し出すと 構成が だから長くなる。建築家になる前に
柳沢:パフォーマンスの開催から
佐藤:そう

 30:12 

その07へ