2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集 home 魚谷繁礼 門藤芳樹 山本麻子 岩崎泰 柳沢究 森田一弥 浅見俊幸 満田衛資 川勝真一 岡田栄造 榊原充大 山崎泰寛 牧野研造 俺クチャー 観客感想 番外編 名古屋 小林聖明 東京 太田浩史 松島潤平 柳沢究さん 編 8月04日 pm3時〜 晴れ その 01 02 03 04 05 06 07 08 その07 佐藤:温泉街で3日かんのパフォーマンスイベントを開催する前に、10年ほど施工会社の設計部にいて、独立して25年。その後半は 失敗しつづけて8年ぐらいがあるから。だいたい40年分ぐらいのことを語らなければいけないから 柳沢:はははそれは〜 佐藤:本当に言いたいことは、失敗モデルのその後を語りたいわけですよ。でもこっちの方が面白いよみたいな。ふふふ。建築作るときって凄い苦労して作業や交渉をするんだけど、それを受益する人、受益者って変だけど。建て主一人しかの所有物になって終わりじゃん 柳沢:そうですね 佐藤:所有物にだけ貶めておくのはくだらん。 柳沢:なるほど 佐藤:実にね。博士号何年も掛かって書いて、いろいろ情報を整理したり読んで来たりして、たった一人の人間に奉仕するかのような建築と建築系の在り方は問題がある、 社会知の集合が一人の所有物で閉じ終わるのはどうもおかしいじゃない。それって資源の無駄使いじゃないって思う 柳沢:はあはあ、なるほど。それはそう言われればもっともですよ。そう考えたことは無かったですね。 佐藤:「建築あそび」をやっていたのは 一般通念と 逆で、俺の家や設計した建築をみんなで使おう、お前の家は俺の家だから使わせろみたいな行為活動。そうなっていくわけですよね (右2000年5月22日建築あそび 記録へ) 柳沢:うんうん 佐藤:建築が出来たすぐ、いきなり建築あそびをやっても。建て主は私がお金払って借金返済してもいないのに、そんなこと言われても困る。でもながーい時間でその建築を観察すると、発注者も建築家も施工者も死んで まったく違う人間関係の中で建築は生き続けるんだからね。短縮してそれをなぞったら誰が使ってもいいわけですよ。 そこに使われるような技術だって社会全体で見ると集合知で獲得されたものだからね。それでお前の建築は俺たちの建築なのだ〜という 建築あそびっていうのをずーっと実践してる仕事は来なくなる 柳沢:あれは、佐藤さん作られた建築の場所を かえながらやっている 佐藤:やっていたんですよ。仕事頼まれなくなってからは、ふふっふ、ずーっと俺の家でやるしかなくなって。出来て 一番最初の俺が使うからみんな怒るわけよね 柳沢:あははははは 佐藤:知らない人を集めて呑んで喰って建築談義でワイワイしている。建て主は普通は怒るんだろうけど。これが良いんだよ〜とか言い放って最初に使って来た。あるしゅう 凄い乱暴な 建築家だったでしょう。 柳沢:あ〜 佐藤:それが「建築あそび」なの。おれが こうやて使い方を示してみせるから、発注者 あなたのものとして使うい閉じた建築にしてしまうんじゃなくって、色々な人を招き入れて、いろいろやれと。いうけど、やるひと少ないね、BOX2はギャラリーがあったから5年ぐらいやっていた。BOX4・5は定期的に今でもみんなでワイワイしている。BOX8はやり過ぎで人手に渡った。BOX10は老人 仲間との飲み会の場になっているな。 柳沢:それはもの凄いラジカルな、所有というか、家の建築感ですね。でもうまく納得してしまいますけど。 佐藤:社会学者の花田達朗先生とも交流しているんですけど。所有の無所有という行為、それはどうしたら実現するだろうか?と。公共圏という言葉を発明した先生なんだけど。お前の行為は小さな文芸的公共圏であると。 言葉関係では出来るんだけど、実物に落とし込んだときに出来ないのはなぜか?と。法律がわるいのか、それとも概念をつくり出さない俺が悪いのか、社会が成熟していないのか、色々と考えるわけですよね。 他者の家を使うと ただ顰蹙を買うわけですよね。買わない人も居るんですよね。 柳沢:うんうん。 佐藤:顰蹙を買わない人というのは、設計するときのプロセスが豊かなのね。付き合い方なんですよね 主な因は。発注者と平等であるという態度だね。俺は施主と言う言葉は使ってない付き合い方をして言う。そうしていると建築の勉強しているから学生もドカドカ来て、お披露目は血縁者はやめて他者と交流し勉強会しようというのが俺の戦略なんだ。 あんたの家だけどみんなの家になったね〜と。 次の段階で他者の家を使うときはどういう礼儀作法が要るのか、使わせるためには段取りをしなければいけない。おれは冷蔵庫開けて喰わせてしまった人だったから。BOX12が完成したときに、大島哲蔵さんとうい人が大阪から来たの友達一人連れて。いきなりそこBOX12に泊めてさ、冷蔵庫開けて電気釜で飯焚いて喰わしてさ 柳沢:ははははははは 佐藤:宴会終わったから 俺は家に帰ると。大島さんはビックリした感じでね。俺たち泊めて帰っちゃったよ〜佐藤は?! そこまで他者の建築をホテル化しみんなの家にしてみた。大島さんは呆れていだろうけどね。その発注者は今年の春先死んじゃったよ。佳い人は早く死ぬ。泊まりの翌朝は建て主さんが来て、お早うございますと 雑談していた。大島さん田舎ではここまでやっているかと驚いていたね。 柳沢:へえ〜 佐藤:福島は田舎だから出来るわけじゃないんですよ 柳沢:うんうん 佐藤:そういう人間関係につくっておいて。建築はそうみんなで使った方がいいと言い続けているから出来る。そこでは詩の朗読会もあり 色んなパーティをした 柳沢:人間関係あってのものでしょうね 佐藤:そうあるべきだと思う、自明な建築の閉塞性というのを知って壊していたので。この閉塞した状況をなんとかしなければと思っていたからね。実験的に色々やっっていた。今回7日に 何か喋れと言われて。おれは何でそんな考えはじめたのかな〜ということを、柳沢さんからメール来たから考えた。ああこういう事かと。 柳沢:けっこう1時間半ぐらいは 佐藤:もっとかかる、あるよね〜 建築家像を更新したので。雑誌とかに書くとき、元建築家とか 時々しか建ててないので、時々建築家とか書いて原稿出すと とられちゃうんだよね 柳沢:あはあははははあはは 佐藤:なんで元とか時々をとるんだよ〜って。 柳沢:そうですか ははははは なるほど 佐藤:俺は大学建築教育受けてない無学だから 称はなんでもいいんですよ。と言っても理解されない特な建築系メディアの中ではね。楽しければ何でもいいよ人間が属する属名称は。見学会とか緊張している一時的な儀式になっているので、他者の家にはなっていないので 俺の家はお前の家の思考実践の延長上にはならない。おれが想い描く他者を招き入れる行為ではない。禁止事項無しで事件が発生する方がよいとおもっている。 柳沢:気持ちはとても解るんですけど、自分も建てたら公開する機会はあると思うんですけど。考えるとそこまではとても出来ないな〜って 佐藤:おれはそういう知識がなかたので 考えるように実践していた。1994年に建築専誌、今は休刊の建築文化に最初の特集されたときに 建築雑誌社の人人が来て驚いて載せたの理由は当時は分からなかったけど、今振り返ると理解出来る。おれは何でもありだった。 柳沢:佐藤さんの設計はそのまま生活圏を拡大していくような 佐藤:そうかもしれないね、全身建築家とか五十嵐さんが言っていたけど。そいう者じゃないのって。いうふうに田舎で勘違いして育ったようだね。 面白いじゃないですかその方が建て主に怒られたり苦情いわれたり。お前の文句は なんなんだと。それはお前の俗欲で これは自分の建築だと思う、その俗欲からの怒りなんじゃないかと。公共的な価値があるのか お前の怒りか?と。俺が反論するわけよ。お前の怒りはお前の俗欲だ、おれは俗欲で設計してないぞと反論してやって。おどろかすわけでよね。そういうバトルが発生して面白い。凄い喧嘩になったりするんですよ。 柳沢:そりゃなるでしょうよ 佐藤:それから親戚や友達がやって来て お前はロクナ事やってないと言うわけよね。 これこれこうで この方がいいんだと。お前は例えばガラスとかの建材を発明した人の事を尊敬しているのか。快適に暮らせるのはそういう無名の人々の滅茶苦茶の行動と努力があって、ここにたった一枚のガラスがはめ込まれ、外を眺めることが出来るのだ。素材が一個出来るのはそういう歴史があるんだから、そういう集合態が自分の建築なんだから、この建築をパブリックに還元しなければいけなのだと。言うんだね。誘導していって開放させてしまう、なるほどになる。素材はそういう出自があるんだから そいうう集合態なんだと建築は、あんたのためにあるんじゃないんだと。 自分のものだと思っていちゃいかんよと。 集合知が集合した建築は自分のもんであるはずがないと 41:03 その08へ |