『古事記のものがたり』・本のできるまで
その11

「自分の本は自分で売ります。
 “古事記のものがたり”出版までの奮闘記その11


お金を貸してください

気楽な一人暮らしの生活から一転して、ぼくは何かと気兼ねしながらみどりさんの家の三階の事務所兼用のサン・グリーンのオフィスで暮らし始めることになった。こうして家賃や生活費を浮かしてやりくりしても本を出版する費用にはまだおいつかない。

知人なんかは「本は10冊買うけれど、お金の振込みは本が出来てから」というしっかり者や「本も出来ていないのに先にお金を集めてはダメです」という厳しいお言葉もいただいた。

さすがのみどりさんもやっと出版費用のことを心配しはじめたらしく、ある日ぽつんとこういった。

「お金貸してもらおか?」
「だれに? そんな人おる?」
「うん。ひとり心当たりがあるねんけどなあ……」
「だれ?」
「○○高校の校長先生! 一生懸命お願いしたらきっとお金貸してくれはると思うんやけど…」
「ほんまに借りれるかな?」
「なんとかなるやろとおもうんやけど。ちょっとお願いしてみよや。」

ぼくたちの場合自分で原稿を書いてページ編集も校正もしてあるので、完全原稿で印刷屋に手渡せるから実際にかかる費用は印刷と製本の実費だけですむ。だから200冊ほど予約してもらったお金と貯金をはたいてあと50万円ぐらいあればなんとか自費出版の費用ができる計算だった。

みどりさんは、その校長先生にお願いするために、同じ学校に勤めている某先生にまず電話をした。その先生とは何年も前から公私共にお世話になっていた。「なんとか古事記を本にして世に出したいので校長先生にお金を貸してもらいたいと思っている」ことを話し、校長先生との面会の仲介をお願いした。

某先生は、いつも目標に向かってまっしぐらに突進するみどりさんの性格をよく心得ていて「まあどうなるかわからんが、一応校長先生に取りついであげよう」といって面会の日時を決めてくださった。

約束の日応接室で、ぼくは内心ドキドキしながら、だまってみどりさんの隣に座っていた。みどりさんは誰の前に出ても物怖じせずに自分の考えをはっきりと言えるある種の才能を持っている。

このときも彼女は校長先生にいままでの経緯を話して、「本は必ず売れるからお金が入ったらすぐにお返しします。当座の印刷と製本代の不足分50万円を貸してください」と申し出た。ぼくも一生懸命になって頭を下げてお願いした。あまりの単刀直入さにぼくは頭を下げたまま,真っ青になっていた。

校長先生は黙って話を聞いてくれていたが、やがてこう口をきった。
「二人の話はよくわかりました。古事記は日本にとってとても大切な書物です。古事記を若い人に広めたいという気持ちも理解できました。ただし個人的なことにはお金は貸せないので、その代わり何かの形で協力しましょう」といって、名刺を取り出しそこになにやら書いて、「大阪の某有名神社の宮司さんを紹介するから、そこへ行ってみなさい」とその名刺をわたしてくださった。

「その神社はとても裕福でお金もあるからきっと悪いようにはならないでしょう。大切な日本の神話を広めるためなら神社のみなさんが喜んで応援してくれるでしょう」といって激励してくださった。

学校を後にしてから、名刺に何が書いてあるのか見てみると、『宮崎みどりさんを御紹介します』とだけかかれていた。

本当にこれだけでいいのだろうか。紹介状のようなものだから、もっとたいそうなことが書いてあると思っていたぼくにとっては、ちょっと不思議な感じだった。それでもぼくたちにとっては、頂いた名刺は水戸黄門の印籠よりも大事なものだった。

50万円は貸してもらえなかったけれど、その有名神社なら日本中にも名前が知れ渡っている。きっとなんとかしてくださるに違いない。おまけに校長先生の紹介状まであるのだ。みどりさんはすぐにその神社に電話を入れて宮司さんに面会を申し込んだ。

次の日に、神社に行き社務所で名刺を差し出すとさっそく応接室に案内された。クーラーの聞いた部屋には有名人と並んで映っている宮司さんの写真がいっぱい飾ってあった。ぼくたちは見本に作った「古事記のものがたり」の本を出して、今までのいきさつと思いのたけを話した。

するとその宮司さんはすぐに返事をくれた。
「毎年子供たちの祭りがあるので、そのときに本を配ることにしましょう。本が出来たらそうとうな冊数を買い上げましょう」といってくれた。

さすが太っ腹!。ぼくたち二人は大喜びで神社を後にした。やっぱり校長先生の紹介はすごい! あの神社の宮司さんが即決で大量に買ってくれると言ってくれるなんて。これで、3000冊作っても、すぐに売り切れてしまうかもわかれへん。やったぁ…!もう本が完売したような気になって、このときばかりはぼくも神社の帰り道で舞い上がっていた。

そのときみどりさんは300冊ぐらいだろうと思っていたらしいが、ぼくは1000冊は買ってくれるだろうと高をくくっていた。これで何とか出版のめどが立ちそうである。本になる前からこんなに注文が入るなんて本当にぼくたちはついている。神社の境内は暑さ知らずの子供たちの黄色い声とセミが大合唱していた。

金策と同時進行ですこしでも安く費用を上げるために、今までの得意先の印刷屋さんはもちろん、知人から紹介してもらった、なん社かの印刷屋に見積もりを出すことも怠らなかった。

しかし世の中そんなに甘くはないということが,その後すぐに分かるのだ。

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