『古事記のものがたり』・本のできるまで
その7

「自分の本は自分で売ります。
 “古事記のものがたり”出版までの奮闘記」その7


開けて読めない本?

出来あがった4冊の本を眺めながら、あまりにも良い出来ばえに、ぼくたちはうっとりした。高価な美術品にでも触るような感じで、ぼくは静かに本を手にとって眺めた。そしてそーっとページを開いてはにんまりと笑う。

あっ。みどりさんが本を乱暴に大きく開けすぎている。「まだのりが乾いていないからそんなに開けたらページが抜けてしまう」とぼくが注意。
「開けないと読めないでしょ!」
「読まなくても中身は知ってるやんか」
「開けて読めない本作ってどないすんのん」
「買ってくれた人が思いっきり開けて読んでもいいけど、まだのりが乾くまではそんなに大きく開いたらあかん!」
「わかったけど、ちょっとはあけさせてや!」
「30度ぐらいやったら、開いてもいいわ」
ぼくにとっては、それぐらいいとおしくて大事な本なのだ。とにかくまだ大きく開いて読んではいけない。

こんな言い争いはおいといて。裏表紙にはサン・グリーンの朱印を押して、本の出来あがった日付を1冊ずつ入れた。奥付けにはナンバリングも入れようと決めた。最初の本はまず00000番にし、つづいて00001というふうに押すことにした。

手作り出版というのはすごいことだ、1冊1冊違うものが出来る。大量生産品とはひと味もふた味も違う、どれを取っても二つと同じ本はできないのだから。とにかく二人とも本ができたことに有頂天になりすぎて、それ以外のことに意識が回らなかった。このあとが問題だということがやがて、二人に分かってくるにはもう少し時間がかかった。

本ができた感激が少し落ち着いて、さて、奥付に定価を入れなければということに気がついた。売るとしたら一体いくらになるのかということをすっかり忘れていたのだ。ざっと計算すると、表紙やイラストの紙に凝ったので、材料費だけでゆうに2000円以上かかっている。うひゃー!。

いくら手作りだといっても余り高い本は誰も買わないだろうし、原価販売するわけにはいかないし……。3000円ほどなら買ってもらえるだろうか? こまったこまった。ぼくは頭を抱え込んでしまった。

経済の問題にはまったく無頓着なみどりさんは、なにも考えずに(定価も決まらないのに)じゃんじゃん、友人に電話をかけまくって、あっというまにもう30冊ほどの注文を取ることに成功した。みんなみどりさんの話を聞いて値段も聞かずに注文してくれたらしい。ぼくは信じられない。みどりさんパワーなのか友だちが変な人ばかりなのか。

その夜広島から友人が訪ねてきて、本作りの作業の工程と完成した本を見せた。友人はとても感心して話を聞いてくれていたが、最後にぽつんとこう言った。

「古事記は昔から読んでみたいと思っていた。二人が書いた分かりやすい古事記ならみんな欲しがると思うので、10冊ほど注文したいけど、作るのが大変そうで気の毒じゃね」

まさにそのことが大問題なのだ。いまの10冊を足すと40冊もの注文入がったことになる。本の定価にぼくたちの人件費は入れられないので(まさか一冊5000円もつけられない)。

ということは毎日本作りばかりしているとぼくたちは生活ができなくなる。それに他の仕事を何もしないで本ばっかりせこせこと作る日々がつづくのかと思うとうんざりだ。

作っても作っても利益にはならないなんて。ぼくは一瞬目の前が真っ暗になってしまった。ああっー! せっかくこんないい本ができたのに、『作者自らが注文があるたびに製本する注文出版』の夢ががらがらと崩れていく。さすがに大手出版社の大量出版(初版3000部〜10000部)低コストのパワーにはついていけない。その上、製本がピシッときれいだ。

ぼくたちの本の一番後ろには、『乱丁、落丁はごめんなさいね。』なんて書いてあるのだ。なんせ一冊ずつの手作りなのだから。取り替えてください。はい取り替えましょうというわけにはいかない。みどりさんはユニークで面白いなんて言ってるけど、こんな甘えたことをほんとに買い手が許してくれるだろうか。

ぼくの心配事をよそにみどりさんは、相変わらず手作りの本を持ち歩いてことあるごとにその本を見せて営業をしている。ぼくの予想以上にみんなは古事記を読みたがっているということを知って驚いた。定価もまだ決まらないのに注文してもいいという奇特な人が少しづつだが増えていく。

それはそれでうれしいことなのだが、注文が増えれば増えるほど生活ができなくなるのはこまりものだ。まとめて印刷できればいいのだが、何しろぼくたちには、まとまったお金がないのだから。

そんなある日、知人の日本画家の人が和歌山の竈山神社に参拝するというので、みどりさんも同行することになった。その帰り道に偶然、伊太祁曽神社の前を車で通りかかった。時間があるので境内に入って参拝することになり、みどりさんは本殿をあがってびっくりした。しめ縄の巻いた大きな穴の開いた木があって、ご祭神が「おおやびこ」と書いてあった。

「おおやびこ」は古事記に出てくる木の神さまで、大国主(大国さん)がたくさんの兄達に殺されそうになったときに、木の洞をくぐり抜けさせて別の次元へと逃がしてくれた、命の恩人だ。

みどりさんはさっそくその木の洞をくぐりぬけた。そして拝殿で参拝してから階段を下りて、ふと社務所を覗くと、ぽかぽかとした陽だまり中に、にこやかな顔をした、おおやびこさんのような宮司さんがいた。

みどりさんは挨拶のつもりで「ここの御祭神はおおやびこさんですね」と声をかけた。

このあと、まるで「古事記」に書いてあるとおりような不思議な出来事が展開していく。この伊太祁曽神社の奥宮司さんとの出会いがなければ、ぼくたちの古事記のものがたりは世にでなかったので、ぜひ続きを楽しみに。


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