『古事記のものがたり』・本のできるまで
その13

「自分の本は自分で売ります。
 “古事記のものがたり”出版までの奮闘記その13


あとは相談じゃ…… 「そのニ」

さて、いよいよ本の奥付けを書く段階になって、書籍コード番号の申請を日本図書コード管理センターに出すことになった。ここでISDNのJANコード番号をもらって」管理してもらい初めて日本中や世界から一人前の本として認定されるのだ。

みなさんも本を買ったら店員さんがレジでバーコードを入力して金額を計算しているのを見たことがあるでしょう。あれが書籍番号なんです。その書類を東京から取り寄せて規約書を読んだ時、ぼくたちは少し戸惑ってしまった。

だって番号を申請する欄に会社名を記入するところがあって、ぼくたちはソーホーでサン・グリーンとしてライターや小冊子の編集や企画の仕事はしているけれど会社組織にはしていない。

その欄になんて書こうかと一瞬とまどったのだが、みどりさんが「そうや、サン・グリーンの下に出版ってつけたらええだけやんか!」と突然言い出した。

考えて見れば自分たちで本を出版するのだから自分たちで出版社を作ることになるので「サン・グリーン出版」と名乗っても誰にも文句は言われないはずだ。

みどりさんのヒラメキに従って奥付に「サン・グリーン出版」と印刷することにして、代表者欄は男性の方が貫禄があってカッコイイというみどりさんの勧めでぼくの名前を印刷することに決めた。

ちなみに、ISDNのJANコード番号登録管理料は3年分で1万円である。
そして、出版社のランク付けという欄があって、Aランクは年商500億円以上。最低のEランクで1億円未満となっている。

もちろんサン・グリーン出版はEランクにマルをつけた。

こうしてようやくすべての資料が整い、イラストの原画や本の文章を打ち込んだフロッピ―とともに入念に梱包して「重要書類在中」と赤いマジックで大きく書いて、印刷屋さんに発送した。

これでいよいよぼくたちの本ができるんだと思うとなんだかコーフンしてその日はなかなか寝付けなかった。いつのまにか夏休みが始まり寝苦しい熱帯夜が続いていた。 

印刷屋さんとはその後何回も電話とファックスのやり取りがあり、いよいよ原稿を出力してもらって、一度、ぼくたちが新幹線で出向いて直接打ち合わせをすることになった。

ところが打ち合わせの日時が決まって出かける前日になって先方から、明日の原稿出力は間に合わないがとにかくこちらには来てくださいと社長さんから電話が入った。

ぼくたちは「新幹線代がもったいないので何度も出かけるわけにいかないから、校正原稿が出来ていないのならもう少し先に延ばしたい」と言うと、明日食べてもらおうと思っておいしい天然の鮎を釣ってきてあるので、遊びがてらにぜひともきてくださいとしつこく誘われた。

みどりさんは天然の鮎と聞いてうれしそうだったが、魚があまり好きでないぼくは遊びと仕事は分けたいと思いつつも、しぶしぶ打ち合わせに出向いていった。

その印刷屋さんは奥さんと二人だけで経営していて、パソコンは奥さんが担当していた。

とにかく本の装丁や中に使う紙の色のことなど事細かな打ち合わせを二時間ほどして、ご自慢の鮎の塩焼きをご馳走になっていろいろと話をしているうちに『あとは相談……』ということもあったので金銭の話になっていった。

そのときようやく解ったのだが、『あとは相談……』というのは最初の見積もりに、3000冊分の本を詰めるダンボールの箱代や大阪までのトラックの運送料が入っていないということだったらしくて、その分の費用がプラスされると話の中でわかってきた。

他にも、見返しに赤い色の紙を使いたいというと、「赤い色は値段が高いんじゃ」といわれた。

とにかく『相談』するたびに値段がどんどんと上がっていく。

僕たちの心配をよそに、社長さんは「まあ業者に相談してなんとか安くしてもらうから任せておきなさい」とニコニコしながら言ってくれた。

僕たちにとって値段が上がるというのはまったく想像すらしていなかった。

「あとは相談…」というのは安くしてもらえるということではなかったのだ!

「任せておきなさい」というのがなんだかとっても不安だが、まぁそれでも大阪の印刷屋より、新幹線代をさし引いてもまだまだ安いので「何とかなるだろう。仕方ないか」とその場は納得して帰ってきた。

その間にも何人かの友人などにゲラ原稿を送って文字校正をしてもらいつつ、印刷屋さんとのやり取りが進んでいった。

そんなある日、表紙の簡易校正が宅急便で送られてきた。それを見てぼくはあまりに色が薄くてイメージが違っていたので、訂正内容をこと細かく指示してすぐに返送した。たとえば(バックの色を飛ばす)(濃度アップ)など……。

ところが、すぐに社長さんから電話が入った。
「これは出来んよ」
「へっ? なにがですか」
「表紙じゃよ」
話をきくと、色使いの変更や切抜きなどができないし、原画からだとこれ以上は無理だというのだ。

大阪の印刷屋だとパソコンを使えば何のことはなく簡単にできる程度の変更内容だ。ぼくは当時はまだパソコンを持っていなかったが、その程度のことは何度も仕事で小冊子やチラシを作っていたのでわかった。

ところが、社長さんはパソコンが触れないらしく、知り合いのところで原画をスキャナー取り込みしたのでうちではこれが精一杯だというのだ。

でも、ぼくたちにとっては表紙は本の顔なので、納得のいかないものは妥協できないし、色を調整するなんて簡単な作業だと知っているので、折れるわけにはいかなかった。こうして何度かやり取りをするうちに社長さんはだんだん怒り出した。

「出来んといったら、出来んのじゃ! それなら表紙だけ大阪の印刷屋でやってくれ」と言ってきた。

まさかそんなことは出来ない。出来たとしても表紙の印刷代はどうするのだ。話していくうちに電話なのでだんだん話がこじれていった。

そしてぼくが「そちらには鮎を食べに行ったんじゃないんですから…」という発言がついにその社長さんの気分を害してしまったようだ。

そのことが引き金になり、すったもんだのすえ「もううちではやらん!」といきなり一方的に電話を切られた。

色々と複雑な成り行きになってしまったが、これ以上は悪口になるので、あまり書けない。

とにかく、振り出しにもどってしまった、ということだけは確かだ。ぼくは無駄になった新幹線代と電話やファックス代のことを思うと、パソコンを買うために貯金ができたのに……と、 実に情けなかったが、ノーテンキなみどりさんは「安いことだけに目先を奪われて動いたから神さんが怒りはったんや。断られてよかったねえ」なんてのんきな顔で笑っていた。

これを読んでいる皆さん助けてください。


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