2009年8月2~9日 ことば悦覧in京都 記録集 home 魚谷繁礼 門藤芳樹 山本麻子 岩崎泰 柳沢究 森田一弥 浅見俊幸 満田衛資 川勝真一 岡田栄造 榊原充大 山崎泰寛 牧野研造 俺クチャー 観客感想 番外編 名古屋 小林聖明 東京 太田浩史 松島潤平 門藤芳樹さん編 8月03日am10時~ 快晴 その 01 02 03 04 05 06 07 08 その02 佐藤:症状を軽くするためというか治療しやすくするために、巧く出来てるのか、現在の法律は。それともこれがあることによって、症状が複雑化している 門藤:法律って最低基準っていうことですから、飲食店でいうところの食中毒だけはやめてね!っていうことじゃないですか。それ以上は自由競争でやってください!ってことだから、そういうもんですよね。とくに疑う対象ではないというか。 佐藤:デザインする人はこれすらも無視っていうか、飛び越えようとして、門藤さんが言うと大重症の建築作りたがっている、するような人も居るわけじゃないでか 門藤:ふふふふふふふ、そうですね。 佐藤:手で描けるものは作れ出来ちゃうわけだから、構想できないものは出来ないんだけど 門藤:はい 佐藤:思い描け、図にできれば、だいたいそのカタチはできるわけですよね 門藤:はい。 佐藤:そういう時に、なんて言うのかな、対処療法というか、それを生み出さなきゃいけないわけじゃないですか。どんなに重症でも俺は生きていきたいと、頑張っている人がいるように 憲法25条 あるし~ふふふ 門藤:た介けます うふふふ ![]() 佐藤:それは重・軽傷の区別は、構造をやっていて、やっぱりどっちでもいいわけだな 門藤:うん。 佐藤:手間は掛かるけども、本当に重症建築だけども出来ちゃった。みたいな 門藤:うんうん。 佐藤:なるほど、そういうことで。何分経ったんでしょうか。まだ6分しか経ってませよ。話がまとまちゃった感じしちゃうな あ16分だった 門藤:うははははは (写真表現に興味がある) 佐藤:本当かよ~~ じゃ構造の話からずれてちゃってお前は何だという話に進みますけれども。また戻って来るかもしんないんですけども。写真表現って書いて(神楽岡工作公司hp内)ありますけども。自分がカメラマンということですか。写真に興味があるということですか。 門藤:写真に興味がある 佐藤:表現とかいてるから、表現ってあるから、何かあるんでしょう。写真だけで済まない、済ませられないものがあるんじゃないですか 門藤:うははははは、いや 佐藤:つい勢いで表現って書き入れちゃったんですか 門藤:そうかな~ 佐藤:音楽表現っても書いてますよね 門藤:はいはい。写真表現って書いたのは、何だろう。風景写真とかのそういうのじゃなくって、アートって日常の中で気付かないものを気づかせる行為というか。振り向かせる行為みたいなんあるじゃないですか 佐藤:意味をかえるとかね ![]() 佐藤:それは構造の病の建築と同じように、例えば写真が病に冒さしていってみたりさ、色を換えると病ぽくなるとか。 (門藤さんの写真) 門藤:うふうふふふ 佐藤:そういうのあるとする、じゃないですか、じゃー正常な写真とは何かって話になるじゃないですか。これは正常だみたいな写真。非常に難しいことに居るよね。 門藤:そうですね。 佐藤:写された対象じゃなくって写した人に関心があるんだから。だから表現になっちゃうんだよね。露光時間を調整したり、白黒写真だと、光を調整して焼つけ気に入るように仕上げる。じゃ自分で写真撮ってしてるっていうことですか 門藤:しないしない。自分で撮るぶんじゃなくって観るぶんですね。 佐藤:観るのね。写真表現したカメラマンの写真を観て歩いていて、テーマというよりは、画質に現れてくる、写っているものじゃなくって、写していると、写せるモノとの関係じゃなくって、写真として現象として現れるアクチャリルに現れる、その部分に興味があると。 門藤:はいはい。 佐藤:なかなかまた微妙な境界にいて写真を観てますね、やっぱりそれもね 門藤:そうですかははははは 佐藤:何か対象をバシーっと撮るというよりは、写っている内容そのものに興味を示す人は多いじゃないですか。きれいだな~とか、悲しいな~とか、嬉しいな~とか本当に、寒い所に行って、その瞬間しか現れることが無い異常な時を待って撮る人とか、自然現象撮って悦に入るなんて判りやすい写真ありますよね。 門藤:冬富士とか ふふふふふ 佐藤:こんな寒い所にいないで、彼女と炬燵でミカン食ってくらってラブラブせよ!みたいな 門藤:うふふふふふ 佐藤;だから写真撮っている人が病んでいる、綺麗に撮りたいって言う日常が病んだ人は多いだろうけど。写真撮っている人の事を想像するから、こんな寒いところへ居て病んでるな~って、こんな早朝に出掛けて撮るよな~と。写真家自身の病の方に興味が移り興味湧いちゃうけど。戦場写真もそうだけど。そうい写真じゃなくって、印画紙に現れた、現れるっていう化学変化状況が面白いわけですね。 門藤;とういうそこから物語りが出て来るみたいな 佐藤:それは門藤さんが写真を勝手に読み込んでいけるような、他者の解釈を招き入れる 写真になっているってことですよね 門藤;そうですね。 ![]() 門藤:はいはいはい。 佐藤:具体的な名前で言うと。 門藤:さないんていう さないまさふみさんんて言う 佐藤:どのような字ですか、さないって左ですか 門藤:イ書いて ひだり 佐藤:ちょっと書いてください。 門藤:うはははは 佐藤:わかんないな。さないなんて名字聞いたことがないですねいままで、佐内さんですか、この方は京都の方ですか。 門藤:いや全然 東京の方です 佐藤:おれが知らないだけか。 門藤:はい。 佐藤:何を撮ってらっしゃるんですか。まだ若い 門藤:30半ばか。30後半かぐらいの 佐藤:インターネットで調べると、佐内さんの写真が出て来ると 門藤:はいはい。 ![]() 佐藤:僕が知らないしらないのでなかなか質問出来にくいのですけども。佐内さんの写真が興味があるっていうのは、どういう処にですか、言葉になかなかし難いですか。これもやっぱり。 門藤:むずかしいですね。 右絵ぐーぐる画像内のさないさん) 佐藤:四の五の言わずに見て、観ろと 門藤:うはは はは 佐藤:観りゃわかると、観てもわからないです。何を対象に撮ってらしゃるんですか主に。 門藤:普通に町歩いてとか。っていう感じなですけども、スナップショットというのともちょっと違うし。う~なんかそんなもの、ナイーブな感情をそのまま撮ってというのともちょっと違うし。 佐藤:セルフポートレートでもないのね 門藤:違いますね。 佐藤:新しい写真の撮り方をしているのかな 門藤:う~ん。 佐藤:観てないから分かんないな、写真好きだけど。わかんないな 門藤:意味みたいなの どんどん剥いでいって 佐藤:偶然写ったような感じがするのかな 門藤:そうですね、 佐藤:へーえ 門藤:でも ぱっと観ると佐内さんの写真だって、凄い判るという感じ、多く仕事しているので。たとえばCDとか買ってジャケットの撮影とかもしてるんですけれども。そういのぱっっと見たら、判るみたいな。 ![]() (右 リヒターネットよりの絵) 門藤:ああそこまで知的な感じではない ふふ 佐藤:でも何かあるんだ 門藤:本能的な 佐藤:ポストモダン時代の世界に生まれ出現したカメラマンっていう感じだね 門藤:そうですかね~ 佐藤:読み込めるような意味もないけど、ずらされているけど、 写真として自立しストックされている、それに俺=批評家は言葉を与えられないので、まだ一般化し言語化していかない、ということで一応門藤さんとして佐内さんが何がなんでも一押しだぜ~みたいな。 門藤:ははははは 佐藤;時代を共有してるし、自分の感覚だからそれで良いじゃないですか。 (音楽について) 佐藤:音楽表現の 音楽はどういうジャンルの音楽ですか 門藤:なんでも聴くんですけど。そこに書いたのはたぶん現代音楽みたいな感じ 佐藤:現代音楽というと 門藤:今のJポップみたいなんとは 佐藤:武満徹みたいな曲っていうことですか現代音楽って 門藤:AメロがあってBメロがあって、そんでサビがあって、奏でる 佐藤:構成がキチンと出来ていて、それをなぞるような、そうかそうか 門藤:現代音楽ってのは反復とかずれとか歪みとかがあって。それをずーっと聴いているっていう。 佐藤:実験的な音楽でもないわけですね (右絵フルクサス 絵webより) ![]() 門藤:最初は実験的な音楽ですよね、現代音楽っていうのは。 佐藤:ピアノの前にじっと座って何分何秒とかいう名曲 名(ジョン・ケージのような) 門藤:あはははは ありますあります、それは内容無いじゃないですか 佐藤:そこ概念まで立ち戻って更新してしまう、沈黙が音楽であるみたいな処に行っちゃうわけじゃないですか。 門藤:ああ 佐藤:無音の音楽みたいな 門藤:どっちかと言うと反復系の方が好きで、それ40~50分ずーっと似たような反復があって。それを、こう!製図の時間とか聴いて、そんなんの没頭するみたいなんが最初ですけれど 佐藤:それは人間が弾かないとだめなわけですか。機械音で反復して作る曲ではなくってはだめ 門藤:だめ ですね。 佐藤:鳥の囀りとかそれを繰り返して、ぴぴぴぴでは、だーと流してはだめなの、滝の音とか 門藤:それで成立してればいいです。それで成立してたらいい 佐藤:成立している音ってどういう事ですか 門藤:音楽表現として成立している。 佐藤:うはははは分かんない、音楽表現として成立しているっていうのが判らないな~。どういう事なのかな~。聞く人が居れば成立しちゃうって事かな~なんだろうかな~。音楽って何もしなくっても成立しているんじゃないの、音が出た瞬間に。その音をライブで聴いているわけじゃないですよね 門藤:違います。 佐藤:CDに作られたものだから、過去の音をCDという媒体にのっけて編集しされたもんを追体験しているわけだから。実際にその音を聞いているわけじゃないんだよね。 門藤:うん。 佐藤:CD作っている現場の音を聞いているわけじゃない 門藤;はいはい 佐藤:だから加工されている音を、そういうふうに思うっていう、思えるっていうか、不思議な領域だよね。 門藤:ふふふふふ そうですか 佐藤:普通、音楽とか建築とかって情報で、軽くて便利に持ち運べてね、オペラハウスをCDに入れて持ち歩くことが出来る時代だから。、全然違うものなんだけども、リアルな場所に居る、在る情報が相当落ちているけども。、その方が理解しやすい、加工されてCDにされている方が、感情を移入しやすいっていうことがあるから。 ライブだと臭いするオヤジが隣に座ったりするけど、美人も、CDはそれが落ちているから。純な状態で聞き取れ感情が移入されやすい 。リアルな場所でその人が音出すと、この人何を着ていたとか、ここで呼吸したとか、全部ダイレクトに雑情報として入って来て判る。ライブで音を聞いているときに、そうい雑な感情が発生して、実際に、音をちゃんと受けとめられてない、聞き取られてないっていう。 門藤:はあはあ 佐藤:そういう変な矛盾があるじゃないですか。 門藤:はいはいはい。 佐藤:本当に音に感動しているかどうか判らない演奏家が汗だくになって演奏している姿を見て感動しちゃっているかもしれない、ゴチャゴジャになるのがリアルな場の面白い処なんだけども。 門藤:はいはいはい。 佐藤:そういう雑情報源といってはなんだけど、それを落として、音の部分だけど捕り出して、どこでも何時でも好きな感情の時に電源が在れば聞けるっていうことに成っているから。そういうCD化されたもの中での反復で表現になっている音楽が好きだと。5年後 また来ますから、そんときにまで考えておいてください。へへへへへ 今日ここで結論をださなければならないじゃないので。 (門藤の旅) 佐藤:旅って書いてあるのはどういう事ですか。この仕事から2階の寝床に歩いて上がって行く行為も旅だと言えるって感じもしかすけども 門藤:うははは。 佐藤:この旅の定義はなんですか 門藤:う~ん。建築学科入って。順当に行くとヨーロッパ建築、観に行ってみたいな話になるんですけども。そんとき僕は最初あんまり面白くなかったんですよ。現代都市という意味で東京も京都もパリのなんかと全然変わらないみたいな感じがして。そうじゃなくって。その後にチベットとか行ったりすると、 佐藤:2001年にね ![]() 門藤:そうですね。 佐藤:2001年にチベットへ行っちゃったと。 門藤:はいはい。大学院を卒業した年かな。 佐藤:博士課程前期終了って書いてあるから、 門藤:大学院ですね。後期が博士課程ですね。 ついでにmy写真宣伝佐藤撮影ラササイトへ 佐藤:後期も出てらっしゃるね。 門藤:はいはい。 佐藤:つい最近博士号取得したばっかりってことですが 門藤:そうですね。 佐藤:凄いですね、学位の話に行く前に、 門藤:ふふふふははははは 佐藤:チベット旅行の話 門藤:中国に最初アプローチして。中国はかろうじて現代都市と同じなんですけど。そこからバスでドンドン~チベットの方へ行くとドンドンドンドン便利なモノが無くなっていくわけでじゃないですか。それで最後チベットに行くと。トイレとかも無くなるんですよ。中国人街はありますけれども。その時に衝撃だったというか。それでも普通に生活している人通りに居ますから 佐藤:設備的、インフラが無からどうやって人が生きているのか不思議ですね 門藤:そそう。老婆が道歩いていて、おもむろにしゃがんだら、シャ~ー~とオシッコ!!してる。とかっていうのが。衝撃で。 佐藤:動物のように道ばたに野糞、野ションベンして生きていて問題ないと 門藤:とてもじゃないけど僕 生きていけないな~と思ったし。たかだかぴゅーっと行っただけで、そこまで驚くとは思っていなくって。 佐藤:もっと近代化されているだろうと思ったら、何千年もそうやって生活していきている、そのまま残っている。 門藤:ときどき太陽パネルみたい ![]() 佐藤:太陽光発電していると。そういう電気は要るけど発電所つくれないからね、夜の居間の照明の電源つくっているとかしているのかな。 門藤:どっから拾ってきたのか動いてるかどうか判らないけど 佐藤:電線は町にありましたでしょう 門藤:あります、あります。 30:14 03へ |