2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集    home 

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 岩崎泰さん編   8月04日 am10〜 晴れ 鴨川河原にて 

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 その06  

佐藤:ここからは 雑談でもいいんですけど、将来の展望というか、こんな感じにというのはありますか。同世代では茶室建築を設計するような方はあまり いないないですか

岩崎:そうかもしれませんね。ネット見てるとねそこそこあるみたいですね。京都工芸繊維のそういう先生に付いてた人、茶室の研究をしている先生とか。そういう先生の処について何かやっていくような人、ちらほら居るみたい。けっこうそういう人ってあんまり表に出たがらないのかもしれないですね

佐藤:研究者のいる世界は特殊な世界だからね
岩崎そうですね〜
お茶室の建築っていうと 中村まさお先生っていう、工繊の凄い年配の人なんですけど。その人がもう相当な数、公共の茶室とかやってるんですけど。やっぱり僕は研究者だと思うんですよ

佐藤:弟子はいないの
岩崎:お弟子さんとかはいらっしゃるとは思うんですけど。研究者ではなくって、設計者として。

佐藤
:研究者と設計者のおおきな違いは、端でどんな風に感じられてますか
岩崎:なんでしょうね〜。その辺ははっきり。
佐藤:言語化出来てないと

岩崎:分かんないですけどね〜。
佐藤:違うと。
岩崎:う〜ん。修復の仕事とするか やっぱり新しいものを作るかの違いだと思うですけど。
佐藤:研究者は保守的というか
岩崎:う〜ん、昔のもの調べてそれに忠実にして再現するとか、いうことを念頭に置いている気がしますけど。 そういうことは僕はどちらでもいいと。古いものだどうだったとかっていうのは、興味が無いことはないけど。とにかく今使ってるもの見てよかったらそれでいいし。その良さを今、例えば住宅 新しくするならそれにどうやって付加するかっていうことを考えるのが、設計者の仕事やと思うんですね

     ガーガーガーガーと草刈り機が通る

佐藤:現代人の生活とね。茶室を持つ。現代人が茶室を持って体験するっていう意味っていうのかな。それはどんなふうに思われてますか?
岩崎:う〜ん。色々あると思うんですけど。
佐藤:実際 作られるともっと深く分かると

岩崎:一遍じっくりやってみたいな〜というもの今はお茶をされている人の住宅っていうのがやっぱり。例えば食器を片づけるにしても、お茶の方って本当に整理整頓をキッチリすると、元有った場所に戻すとか。こうしたほうが合理的に出せるとか、言う考えを。

お茶のお点前って、決まりが最初何して、次これしてっていうのが決まっているんです。それ凄く合理的に しかも所作が美しいくされているので。それと同じように生活するなかでも、合理的で尚かつ美しい生活が出来るようにしようと。間取りを考えるのにも。茶室だったら、作法がありますけど。生活習慣があってそれに相応しいカタチにするとか。

佐藤:動物として、食べたり飲んだり しなきゃいけないけども。その行為を極限的に美しくする、見た目も美しくというのが。生活には大きいんじゃのか?と考えるということだよね
岩崎:はい
佐藤:現代建築では生活の所作が美しくなるためになどと考えて設計していないからね。
岩崎:そうですね。光が入ったりというのは考えてるでしょうけども。人の動作が。動作は本当にうるさく言う。ドアを閉めるときにでも。

佐藤:多文化主義ではないけど、何でも有りを許す社会で、そういうことを言うと何か、原理主義者みたいな。突っ込まれ方しちゃうでしょうけども。 ちょっとそういう区分けとは違う気がするね。お茶を(作法)とおすことによって、日々の生活の部分がキチンと整えられていってね。合理的で美しくなるというか。暮らしやすくなるという気もするよね。

岩崎:あと自然との対峙の仕方。色んなレベルでの話があると思うんですよ。例えば 木造にするにでも、集成材使わないとかっていうのは当たり前の話です。地元の木使って、お茶室はその辺に在る道具を使っています。そういう思想でいくならば、北山の、そっから採れてくる杉を使って 家建てるとか。

    ガーガーガーガー 

そうでしょうし 光の採り入れ方だったり、風の採り入れ方だったり。

佐藤:昔はそれが誤配でもなんでもなく、普通の配列だった訳で。それなのに 今は世界中から建材が集められているから、それを意識して行為しないと、そうならない。
岩崎:そう、本当に工務店の方でもそうやって言いますと本当に当たり前の事をしたいだけなのに、それが大変だっていう。

佐藤:当たり前の事をするということが出来なくなったというのは、政治の政策の問題によって生じたですよね。
岩崎:だと思いますね〜。本当に政治によって例えば、地元の国産材とか、地元の材料だけ使わないといけないとか。あとはもっと職人を

佐藤:
ほっとくとそうなるような政策。アメリカから米材を買って、ツバーフォー工法ととにジャンジャン入れる。見返りに車などの工業製品をアメリカ市場に売るなかかで、地元の材や職人が消えてしまった。円安、賃金安で日本の工業製品を安く作って米国で売るっていう政策。その見返りとして、建材やツーバイや食材を日本で買いなさいと。第一次産業をつぶしてしまった戦後の政策

岩崎:あとは就労分解、働く事に関して。そういう無垢の木を使う技術だとか、左官屋さんを使う技術だとか、建具やさん使って、というと職人さん達が要る。職人さんの仕事っていうのは本当に。大体 日本人のっていうわけじゃないけど、その人達は物作るの好きだったり。それをしてやっぱり喜んでもらえる仕事っていうのは、凄く素晴らし仕事。
佐藤:作っている人も材料もどこで採れたのか分かるし、作る人が誰だかもわかるしっていう 人間関係を介した物作りの在り方が好いよね
岩崎:昔は当たり前の話ですけど。 本当に今意識的にしてらもっていいものが

佐藤:
その茶室という様式は生活を合理的に尚かつローコストであり、エネルギーも掛からないで。材料も人も地元で、お互い支え合って生きていけるから。相手を非難するんじゃなくって形式をキチンと作ることによって、争いに成るところを防止するというか。そういう気もするんですよね。(茶事にある)こういう様式でこういう所作を身につけることで合理的に暮らせる。だから(茶室)建築をこうつくることによって、表現行動の自己暴走防止にもなっているような気がするんですよね 。今の話を聞いていると。

お互いが能力を発揮して無駄な労力を使わなず、暮らしぶりも動物化するのを、ギリギリの処で人間性を守れてしまうという。その処がお茶関係にかかわる文化の面白というか、それが妙だと。現代建築の中にはそういう 妙の効果は無いよね。アクティビティーとか公共性とか言ってみても、何それっていう。 茶室まわりは、そういう事は言わずに、細かい畳みの縁の作り方を言うだけで、行為の全体が出来ているという。その当たりが優れているよね。

先ほどの話で利休はすごく細かいデティールに拘り続けたというのは、抽象化し伝えないで、デティールを細かく指示することで、もめ事を防止したり、動物化を防止したり、暮らしぶりを作り上げる 影の立法家でもあるような人に 思えて来ました
岩崎:そうですね

 (絵 webより)

佐藤:政治の世界に出入りしてたようだし。秀吉とぶつかるよね。徹底して動物的な権力を握りってしまった超権力者だから。出自も顔もやはり動物的、動物の頂点に立っていた、欲望の全てが出来てしまう人だからね。その人間に対して、みんながそうしようとすると命も地球も何個あっても足らないことになる

岩崎:ははははは 草刈り機ガーガーガーガー 

佐藤:岩崎さんに会って思った事は、「茶室はいい」じゃなくって、茶室建築が出来たとき その社会とどう関わって産まれたのか、そして、生活を合理的にしたり 所作が美しくしようという 生活の立法のような事をやって産まれた茶事作法。現代の意味を伝えて欲しいという気がしましたね。

見たことな聞いたこともない新しい建築をつくるぞとうのもよく聞くんだけど、それは人間の生な生活とか、人間の所作や人格とかそれで出来てどうなるの? って言う、根源の問いがなく、新しだけだの言葉だったりしてる。そこで暮らす新しいと言う人間像が結ばれてない。作る側の自由だとか 主張したい気分はわかるんだけど。

岩崎さんの場合は逆で ある種の動物化してしまう人間の生き方を、秀吉というやりたい放題の人間、と細部の拘る利休の対比で 自由の難しさを知ることが出来る。政治も法律も、都市計画も、警察的な行為も裁判も何をしても裁かれない動物人間が、目の前に現れた時に、利休のような建築作法や茶事が産まれて来るというのは、面白い事象でいいよね。今の話聞いててそういう感じがした。

巨大な権力をもってやりたい放題をしている人間が現れないと

岩崎:(利休は)出てこなかった!?
佐藤:逆はありえなかった、人間の不思議ですよね。利休の質素や作法があって、そこからの反力で超動物的秀吉が生まれることは無いでしょう
岩崎:そうですね

佐藤:利休のように暮らしたら、皆美しく自然と一体化した暮らしぶりで、幸せなんだから。秀吉はやりたい放題やって幸せそうに見えるけど、実は内部ストレスが溜まって、自分の価値が内部崩落していて、他者を痛めつけたり。無駄な行為と害をまき散らした 同世代人が居ることによって 利休の新しい事象を考える力が芽吹く訳じゃないですか。その想像してしまう。 戦争の悲惨があることで、平和が多くの人に意識されるように。

  ガーガーガーガーと草刈り機が通る 

個性や自由な表現 ガーガーがー 岩崎さんがそういう現在の建築家が語る観たことない自由の害を 茶室と茶事をとおして見える生活と比して語ってくれると、自由に表現するという行為がよくなるのではないかな。そんな、気がしますね。 ガーガーがーガーガー 外国に行って建築勉強する人もいるし

岩崎:それはそれでいいんですけど、何ていうんですかね。
佐藤:体質が受け付けないのは 自由に表現することなのか、自由はもっと異なるものなのかということを、深く考える 切っ掛けを提示できるでしょう。

岩崎:あんまり日本の伝統が素晴らしいとか、そういうことを声高に言うつもりは全然無いんです。いいものだったらなんでもいいんですよ。音楽だって西洋のものが圧倒的にいいし。 15:03

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