和歌と俳句

万葉集

巻第三

挽歌

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     過勝鹿真間娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首 并短歌 東俗語云 可豆思賀能麻末能弖胡
古昔 有家武人之 倭文幡乃 帶解替而 廬屋立 妻問為家武 勝壮鹿乃 真間之手兒名之 奥槨乎  此間登波聞杼 真木葉哉 茂有良武 松之根也 遠久寸 言耳毛 名耳母吾者 不可忘 

     勝鹿の真間娘子が墓を過ぐる時に 山部宿祢赤人が作る歌一首 并せて短歌 東の俗語には かつしかのままのてご と云ふ
いにしへに ありけむ人の しづはたの 帯解きかへて ふせや立て 妻どひしけむ 勝鹿の 真間の手児名が おくつきを  こことは聞けど 真木の葉や 茂くあるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも吾は 忘らゆましじ

     反歌
吾毛見都 人尓毛将告 勝壮鹿之 間〃能手兒名之 奥津城處

     反歌 吾も見つ 人にも告げむ 勝鹿かの ままの手児名が おくつきところ

勝壮鹿乃 真〃乃入江尓 打靡 玉藻苅兼 手兒名志所念

勝鹿の ままの入江に うちなびく 玉藻かりけむ 手児名しおもほゆ

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