和歌と俳句

釈迢空

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秋山太郎

若くして 死にゆく人は、日ごろさへ 言ひ出る語の、胸に沁みしか

日向の海 遠 長浜に向き暮し、経がたくありけむ 言のしたしさ

霞ゐる児湯の高原 行くへなく 出でつつ 遊び かそけかりけむ

うき我の心も なぐや と 送り来し 生目八幡宮の由来書き あはれ

あり憂さを 常言ふ我の むなしさや。若き命の 尽きぬる 見れば

若き時のひたぶるごころの 危さを 言に出ず、我が あはれ と思ひし

死ぬる子は、若き心を いさぎよく もちもちてこそ、さびしかりけめ

いまは、われの心も ひそかになりなむ と 目をつぶりけむ 牀のうへはも

十一月 ついたち 秋山太郎 亡せにけり。この電報を 疑はめやも

若き人の家

庭土のうへにてる日の あかるさや。この月ごろを かくしつつ経ぬ

この町の住みよさに、妻もなれぬらし。父母のうへを 言はずなりぬる

宵早く子をねかせつつ 音たてぬ妻も、心の さびしくあらむ

東京に行きて住まむ と 言に言ひて 息づく心 妻は知りたり

しめやかに もの言ひて、まれにゑまひけり。この若き人も、よく生きにけり

道遠く 疲れ来て、人は欲るらむを。しめやかに ものは 言ひがたきかも

国遠く この若き人を 住ましめて、世のかそけさを 知れ と 言ひつる