水盤は暗く冷たく地にうきて現心もなげに咲きし花かも
雨久花みてゐるうちに二つばかり夕べの花を開きたるかも
かはたれの庭に今まで見しものは亡きものと知りぬ耳にこほろぎ
乳房ある御ほとけ見れば幼な兒のをさなごころにうれしくて泣かゆ
路のべの暗き夕べの花の色に見初めしもののかなしかりけれ
野のかなた優しきこゑの呼びたれば遅れたる身をいそぎ行きけり
汽車の間を夜の構内に蟲きくと酒たづさへてふたり入りけり
偶然に草にこぼれし酒の香の湧きたつ風の吹き行きけるも
草の上にふたり小暗くすわり居てこほろぎ聞けばやや哀れなり
遠きへに小雨のごとく鳴くむしに身に濡るるがに聞き入りけるも
足のへにふと蟲鳴きほそり行くこころ見まもればほのぼの寂し
吾がそばに人の足べに蟲ひとつ来居て鳴けるが哀れなるかも
ひとは今ことば悲しくこほろぎの吾が耳ぞこにかたりけらずや
蟲の音にひとの歎話にきき入れば現し身なくて涙ながれき
こほろぎよ勿鳴きそこほろぎ野辺はいま月うらうらと出でむとするも
はつ秋の日のひかり吹きてさやさやと何か笑ましく風の行くあり
手はわれは握るとしつつ気をつきぬ道にゆれたる我毛香かな
濠の上を砂吹きゆけば樹末よりニコライ堂は高く見えたり
ニコライの屋根見てあれば樹のかなた学校のベル鳴りて居るかな
秋深き木の下道を少女らはおほむねかろく靴ふみ来るも
雪野原とほき窪みに晃らかに夕さり来れば町の灯が見ゆ
かりそめの身の過失のことごとく世に悩ましく春立つらしも
もの皆のぬくもる今日の春かぜの都かなしく野を恋ひ出でぬ
野に出でてはつはつ萌ゆる若草の色よろしみと妹をしぬぶかも