和歌と俳句

藤原定家

述懐

建久五年夏左大将殿歌合
君はひけ身こそうきたの杜のしめただひとすぢにたのむ心を

建久六年
百千鳥こづたふ竹のよの程もともにふみみしふしぞうれしき

四位してのち 臨時祀りの日 越中侍従 舞人にて 内を出でしほどに
たちかへりなほぞ恋しき つらねこし今日の三豆野の山藍の袖

怨みばや世に数ならぬ憂き身をばわきてとふべき人もとはずと

山水のふかかれとてもかきやらず君に契りをむすぶばかりぞ

神路山松の梢にかくる藤の 花のさかえを思ひこそやれ

君を祈る心ふかくはたのむらん絶えてはさらに山川の水

建永元年秋 和歌所
君が代に逢はずは何を玉の緒のながくとまでは惜しまれじ身を(新古今集

我ぞ見し御代の始の秋の月年はへにけりもとの身にして

思ひおく露のよすがのしのぶ草君をぞたのむ身は消えぬとも

承久二年二月十三日
さやかにも見るべき山はかすみつつわが身のほかも春の夜の月

道のべの野原の柳したもえぬあはれ歎きのけぶりくらべに

承元二年五月住吉歌合
ゆくすゑの跡までかなし三笠山みちある御代に道まどひつつ

松尾歌合
神垣やわが身のかたはつれなくて秋にぞあへぬ葛のうら風

承久二年八月新院よりしのびて召されし
春秋ものどけきやどに惜しめばや山の端とほきありあけの月

御室にて上陽人を
秋の月むなしき軒のいくめぐりよそに出でにし雲のうへかな

承久二年九月十三夜 前大僧正のもとにたてまつる
ありて憂き命ばかりは長月の月を今宵ととふ人もなし

おもかげにおふくのこよひ偲ぶれど月と君とぞ形見なりける

なにかせん昔恋しき老が世はたへて見るべき月にしあらねば

秋をへてくやしき月に馴れにけり果て憂き末の世にやどりきて

里わかず身をはばからで慕いひ見し月もや今は思ひ捨つらん

今はとて思ひはてつる袖の上をありしよりけにやどる月かな

行く末の月と花とになさけありてこのごろよりは人や偲ばん

わがやどと植ゑし木のまの月にだにすみはてがたき世をも聞くかな

あはれなほ今さへいたくながらへていかなる秋の月か見るべき

今年まで身にあまりぬる思ひいでは君にうれへて月を見るかな

承元二年
せく袖はからくれなゐの時雨にて身のふりはつる秋ぞかなしき

秋風に涙ぞきほふまじりなん昔がたりの峰の月かげ

承元四年九月粟田宮歌合
和歌の浦やなぎたる朝のみをつくし朽ちねかひなき名だにのこらで

思ひかねわが夕ぐれの秋の日に三笠の山はさしはなれにき

なきかげの親のいさめはそむきにき子を思ふ道の心よわさに

賀茂社歌
あはれ知れ霜より霜に朽ちはてて代々にふりにし山藍の袖

承元のころほひ 内より古今をたまはりて 書きてまゐらせし奥に
ためしなき世々の埋れ木朽ちはててまた憂き跡のなほやのこらん

照る光ちあき衛りは名のみして人のしもにや思ひ消えなん

ふるき歌を書き出だして 仁和寺宮に参らすとて
年深きしぐれのふる葉かきぞおく君にのこさぬ色や見ゆると

建暦三年閏九月内裏歌
飛鳥川いまはふるさと吹く風の身はいたづらに秋ぞかなしき

三宮十五首
天地もあはれ知るとはいにしへの誰がいつはりぞ敷島の道

つれなくて今も幾代の霜か経む朽ちにしのちの谷のむもれ木

建保五年五月御室にて
今朝ぞこの山のかひあるみむろ山たえせぬ道の跡をたづねて

しき波のたたまく惜しきまとゐして暮るるも知らぬ和歌の浦

承久三年内より召されし
神かけて祈りし道のむもれ水むすびもはてぬ影や絶えなむ

為家元服したる春 加階申すとて 兵庫頭家長につけ侍りし
子を思ふふかき涙の色に出でて朱の衣のひとしほもがな

老いらくの世のことわりを身に知れどまだ面影はたちも離れず

雪の内のもとの松だに色まされかたへの木々は花も咲くなり