鉛なす おもきこころに ゆふぐれの 闇のふるより かなしきは無し
ニコライの 大釣鐘の 鳴りいでて 夕さりくれば つねにたづねき
山ざくら 咲きそめしとや 君が病む 安房の海辺の 松の木の間に
富士見えき 海のあなたに 春の日の 安房の渚に われら立てりき
おぼろなる 春の月の夜 落葉の かげのごとくも われのあゆめり
まどかけを ひきてねぬれば 春の夜の 月はかなしく 窓にさまよふ
首たかく あげては春の そらあふぎ かなしげに啼く 一羽の鵝鳥
街なかの 堀の小橋を 過ぎむとし ふと春の夜の 風に逢ひぬる
春の昼 街をながしの 三味がゆく 二階の窓の 黄なるまどかけ
春のそら それとも見えぬ 太陽の かげのほとりの うす雲のむれ
ひややかに 梢に咲き満ち しらしらと 朝づけるほどの 山ざくら花
咲き満てる 桜のなかの ひとひらの 花の落つるをしみじみと見る
かなしめる 桜の声の きこゆなり 咲き満てる大樹 白昼風もなし
寝ざめゐて 夜半に桜の 散るをきく 枕のうへの さびしきいのち
疲れはてて 窓をひらけば おぼろ夜の 嵐のなかに なく蛙あり
ゆく春の 軒端に見ゆる ゆふぞらの 音のにごりに 風のうごけり
ちやるめらの 遠音や室に ちらばれる 蜜柑の皮の 香を吐くゆふべ
うしなひし 夢をさがしに かへりゆく 若きいのちの そのうしろかげ
わが行くは 海のなぎさの 一すぢの 白きみちなり 尽くるを知らず
玻璃戸漏り 暮春の月の 黄に匂ふ 室に疲れて かへり来しかな
ガラス戸に ゆく春の風を ききながら 独り床敷き ともしびを消す