和歌と俳句

釈迢空

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大正五年

火口原

しんとして 声あるものか。わが脚は、明星个嶽の草に触り行く

靡き伏す羊歯はをれつつ、重れる葉裏 目いたし。霜じめる色

日だまりの山ふところに居たりけり。四方の梢のこがらし 聞ゆ

峰ごしに 鳴く鳥居つつ 時久し。山ふところに、日はあたり居り

足柄の金時山に 入り居りと 誰知らましや。この草のなか

峰遠く 鳴きつつわたる鳥の声。なぞへを登る影は、我がなり

這ひ松の這ひの上りや。はるばるに 目をまかせつつ、山腹に居り

をちこちに 棚田いとなみ、足柄の山の斜面に、人うごく見ゆ

向つ峰の撫の梢の 霧ごもり、今はしづまる。夕空のもと

ころぶせば 膚にさはらぬ風ありて、まのあたりなる草の穂は揺る

日の後のうすあかるみに、山の湯へ 手拭さげて、人来たるなり

森の二時間

森ふかく 入り坐てさびし。汽笛鳴る湊の村に さかれる心

この森の一方に はなしごゑすなり。しばらく聴けば 女夫 草刈る

この森のなかに 誰やら寝て居ると、はなし声して、四五人とほる

此は 一人 童児坐にけり。ゆくりなく 森のうま睡ゆ さめしわが目に

まのあたり 幹疎木々の幹あまた 夕日久しくさして居にけり

楢の木の乏しき葉むら かさかさと 落ちず久しみ、たそがれにつつ

初七日

この家の伊予簾のなかに、汗かきて 酒のみをらむ心にあらず

わが前に、ふたり立ち舞ふ をみな子の手ぶり見まもり、いぶかしくあり

今日の日の すべなきかもよ。おもしろき手ぶりを見れば、心哭かれぬ

初七日のほとけを持てり。この酒に、今し くるしく 酔ひてあるばしや

夕かげに 呆れつつ居れば、蜩も 今は声絶え しづまりにけり

生き死にの悠なるものか。うつそみのひとのわかれに、目をとぢにつつ

いろは館

夏かげの この居間に客来るなり。四方のもの音 しづまるま昼

ま日深くこもれ家に 待ち久し。は鳴き寄り来。ほのに ま遠に