和歌と俳句

正岡子規

59 60 61 62 63 64 65 66 67 68

幾千巻 幾よろづ巻 火の神の 怒りに觸れぬ 一字残らず

昔男 ありけり蛍 あつめ来て 書讀みにけり 名を残しけり

照り光る 本箱の上に 記しけり 源氏物語 栄華物語

千萬の 書のことごと 讀み盡きて あはれ先生の 鬢に霜あり

ともし火の 光静かに 雉なきて 讀み盡しぬる つくり物語

暁の 祈らんとすれば 花いけの 白き薔薇散り バイブルの上に

いそのかみ 項羽劉邦 文讀まず 劔手に持ち 世に立たん我か

おのづから あはれ身にしみて 覚えけり 須磨のやどりに 須磨の巻を読む

里の子に 書教へつつ 侘びて住めば 芋もらひけり 梨もらひけり

蟲干の 書を開きて 我張りし くれなゐの紙 見ればゆかしも

くちなはを 手に持つ少女 見るからに エデンの園の 昔おもほゆ

金取ると 山掘りぬきて 人の行く 奈落の底の 通ひ路あはれ

名残なく 野分は晴れて 倒れ伏す 萩に朝日の 胡蝶飛ぶなり

紫の 葡萄の房を 玉に貫きて 妹に贈らな 我を思ふかね

蓬生の 小庭の隅に 吾妹子が めでて植ゑたる おしろいの花

厠戸の 手洗水を うちかくる 秋海棠は 濡れぬ日もなし

軍やめん 人の企て 成らずして 平和の神は 空に歸りき

春日野の 山のやどりの 窓近く 鹿の鳴く夜は 妹をしぞ思ふ

細き管を 噴きいづる水が 紅の 球弄ぶ 見れば涼しも