2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集    home 

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   番外編  名古屋 小林聖明  東京 太田浩史 松島潤平 

 山崎泰寛さん編   8月06日 pm10時〜 川勝家居間にて 

 その 01 02 03 04 05 06 07 
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 その04  

(学校という社会の諸相

山崎:やっぱり名付けられると、認識されるんですよね現場で
佐藤:そうかそうか。ネーミングの付け方が非常に、保健室登校!
山崎:あるんですけど、当時もあった、昔からあったのかも知れないんだけど。保健室だけじゃなくって校長室登校とか。あるんですよ。校長の部屋にだけだと行けると。みたいな

佐藤へへへへへ
山崎:とか居たりして。であの〜中学校まで。高校だとたぶんちょっと また感度が違うと思うんだけど。中学校までだと出席のね、要するに数えるかっていうので。教室に行ってなくっても何かまあ保健室で勉強したらカウントするようみたいに成っちゃっていたりすると。結構入り浸る奴とか。それで問題になっちゃったり、本当にお腹痛い奴とか行けなかったりとかする。

佐藤ふはははあは
山崎うははは。そうすると保健室の先生がね鍵掛けちゃったりするんですよ。
佐藤うははははは なるほど
山崎:そういう奴
佐藤:五月蠅いし めんどくさいしな
山崎:そうそうめんどくさいから。周りの先生からも白い目で見られるし。どうのこうのってなっちゃうから。で、ちょうとその頃にスクールカウンセラーって言って学校のカウンセラー入れるっていう行政的な。何ていうの政策もあって。一方で。で、カウンセラーでいうが悩みを聞いて。保健室は体の事だけみたいに棲み分けをさせようとしたりして

佐藤池田小学校事件(2001年6月08日)は起きていましたかもう。まだでしたか
山崎:まだじゃないですかね。ちょっと前です
佐藤:そうかそうか。今じゃ普通にね、何か学校で事件が起きると、ばーっとカウンセラー行くよ
山崎何かあるとカウンセラー。それの前夜ですよね。ただそういうのもさっき言ったように、名付けられて認識され続けると当たり前に成っちゃって。当初 人ごと風に言え面白さが無くなっちゃうわけですよ
佐藤:うんうん
山崎:だんだん 浄化されるっていうか。濁っていたのが良かったのに

佐藤:目的に特化されて行くから 曖昧さが消えてしまう、そのことダケになっていくのね
山崎:うんていうか。そこに例えば先生が入って来たりするんですよ。生徒指導の先生が
佐藤うへへへへ
山崎:保健室の方に入って来たりして。保健室の先生と生徒指導の先生が何か連絡取り合って「今どうなっているの」みたいになったりすると。その子居られない
佐藤:居るとこまた無くなっちゃうのね。その子はどこへ行くんですか、やっぱり登校拒否、不登校になっちゃうんですか?
山崎:う〜ん。どうなんですかね。ケースバイケースだと思いますけど。でとにかくそういう学校の中に陰が在る部分が、学校の中にそういう濁った場所が在るっていうことに凄く僕は面白いな〜って当時思っていて。で、その学校を一つの都市。一つの町っていうか、一回考え、一回ちょっと引いて考え直すとそういうふうにも見えるな〜と思って。で、学校は思ったほど詰まらなくなくって。割と色んな事起こっているなと。今思い出しても。自分の中学生の頃思い出せばそうなんですけど。

佐藤誰でも体験していることだからね
山崎:そうそう。そうなんです
佐藤:凄く分かりやすいんだよね
山崎:何か体育館の小屋を燃やしちゃったりさ、校庭か何か、部活の小屋の裏で何かかつあげが起こっていたり。そういう何か陰の場所っていうのが、必ず在ったと思うんですよね。で、そういうのっが 学校をある社会にさせてたと思うんでだけどっていう視点を。そんときにまあ僕なりに持つことが出来て。それは面白いな〜っと思ってたんですよね。


 (建築書のコーナーに行く 学校っていう建物を考えてる)

山崎:でその後に大学院に行って保健室の子ども、もうすこし考えようかなと思ってたんだけど。もうよく考えたら、これって何か学校っていう建物の事を自分は考えているじゃないかと思ったんですよね。で大学院の一年生の時に夏、丁度今からだから10年前、11年前か。夏でしたけど。今でも覚えてますけど。本屋さんに行って。建築書のコーナー が。行ったんですよね。で建築って。これ建築の事なのかな〜って何となく思って。建築ってそういえばあったなと思って

佐藤ふへへへへ
山崎だって 知らないから。
佐藤:毎日入って使っている大学そのものだって 建築だけどね
山崎そんな事 思わないから
佐藤:なるほどね 当たり前の事だからね。

山崎建築って言葉もまあほとんど使わない。口にした事無かったと思うし。文字で書いた事も無かったと思いますよね。
佐藤:ようやく24,5才で初めて

山崎
23才ぐらいの時に何か建築。で何かその時に本を三冊ぐらい買ったのかな。本屋さんで。その内の一冊が布野修司さんの本で、それは文章が読みやすかった、歴史だから読みやすかったのと、からなんだけど。もう一つは
佐藤:布野さんの本の名は
山崎:何ていう本だったかな〜。何か戦後建築何とかノートとかいうやつだた
佐藤:ああああ、俺も持っているな

山崎:やつの一冊で。でその、一応ね一通り立ち読みするんですよ。知れてますから。本屋さんの建築書なんて。で、僕はそんときだから網野さんの本を読んでいたので。そういう無縁的なこと書いてあるものを探してて。唐十郎の舞台に引っ掛けて布野さんはそういう事を書いていて。この人の本はたぶん読めるなと思って。で買ったんですよね。あとはやっぱり何か建築はどうも見てると、建築家っていうのが居るぞ。
佐藤ふふふふふふ
山崎ってふふふっふ
佐藤:そこで分かるわけだ。普通は建築家ってことば知らないよね。
山崎:何が普通かも分かんなくなってますけど。忘れちゃいましたけど
佐藤:一般の大阪のおばちゃん分かんないよ建築家なんて生き物は
山崎たぶん建築家って言葉もそんとき初めて知って

佐藤:23才で
山崎:23才のときに。で、建築家って言葉も知らなくって、でもね。確かに何かライトって人聞いた事あるな〜と。
佐藤:ああフランクロイドライトね。
山崎:本のタイトルにフランクロイドライトっていうのが一杯あるぞ〜ってなって。
佐藤:ふふふふふふ
山崎:で何か朝日選書とか、そういう選書系の読みやすそうなやつで。ライトの本を確か買ったんじゃないかな〜。もう一つは学校建築の事が書いてあるものにしようと思ったんだけど。学校建築の本も今思えば計画の本ばっかり置いてあるんですよ。

佐藤:
そうでしょうね
山崎:だから、訳解らんですよ。何か広さとか、配置とか書いてあっても。何か学校の話だと思えないかったですね。当時。で、何かよくわからないなと思ってたんだけども。そしたら10+1っていう何か当時は知らないから。10+1当時これもそうですけど。色とりどりだったんですよ。

佐藤:でたばっかいりぐらいじゃないの。何号ぐらいですか
山崎14号っていうの買ったんですけど。東京特集っていうの買っただけど。なぜそれを買ったかと言うと。その中にビルディングタイプの解剖学っていう連載が
佐藤:五十嵐(太郎)さんじゃない
山崎:五十嵐さんと大川信行さんが二人で、連載されていたんですけど。その中に学校Uっていうのが在ったんですよ。

佐藤;あるある、あれは本になりましたよね、今は。
山崎:なりました。
山崎:学校Uっていうの見付けて。で、Uがあるぞと。

 共にふふふふふっふ

山崎:
これどうも連載だから1が有るはずだと思って、でもTはね売り切れたんですよ。5号だったんですけど。

佐藤:
学校の発生史みたいなことが書いてあるよね
山崎:書いてあって。学校、それは確か、教師と生徒の関係を
佐藤:そうそう
山崎:どうとるのかっていう事、空間的な装置の。つまり教壇とか、傾斜とか。そいうものの要素が関係をどう変えたりするのかみたいなことが書いてあって。でこれは読めるぞと思って。

佐藤
:落ちこぼれて付いて来れない奴は、この辺で教えてるとか書いてあるものね。同じ教室でもこの当たりで教えているとか

山崎:そうそう、そういう事が書いてあって。これは読めるなと思って。でその三冊を買ったんですよ。さっきの布野修司の本と。フランクロイドライトの本と。10+1の本

佐藤:網野さんと布野さんとは左翼だから、繋がるけどさ〜、五十嵐さんもそうだけど。フランクはよく知らないな〜何なんだろう。選択のしかたが面白いね
山崎:あっという間に読んで、捨てちゃいましたね。ライトの本は。
佐藤:ああ そうだろうね〜
山崎:今も家にはあると思うんだけど。まあ忘れちゃいました。ただ五十嵐さんの本は
佐藤:知りたい事が書いてあると
山崎書いてあったからこういうふうに考える人が居るんだと思って。で面白いな〜と思ったんだけど。次が無いんですよ。次何読んだらいいのかが分かんなくって。で、その原稿の一番後ろに、参考文献が書いてあるでしょう。そこを何か外国の文章とかも書いてあったり、その大川さんの修士論文のタイトルが書いてあったりして。本当はそれが読みたかったんだけど。そんなのどうやってアクセスしていいか分からないから。とりあえず雑誌に載っている文章の一つみたいなのを読んだんですよね。それが五十嵐さんの奥さんだった

佐藤
菅野裕子さんの(建築あそび菅野さんの記録へ
山崎:そう。当時は知らないから

佐藤:ちょっと(室温)寒いからなんとかしてくれます。(菅野さんの)何を読んだんですか。
山崎:いやいやそれはね〜もう文献抄録なんですよ。学校建築の読んでみたらただの、ただのっていうか建築雑誌の本当に後ろの方に、ちょっとだけ載ってる、外国語の文献の解説が、本当にこのぐらいのスペースに書いてあって。でもこれしか手掛かりが無いなと思って。よく見たら横浜国大って書いてあるから。
佐藤:ああああ

山崎この人に会いに行ってみようとおもって
佐藤へへへへへふふふふ
山崎:それで。
佐藤:そうかこんなに近くに!! みたいな

                (菅野裕子さん)

山崎あ。居るんだと思って。
佐藤:その時は助手かなにかやってらっしたですかね
山崎:そうですね。歴史。今思えば。で知らないからとにかく。

佐藤:行ってみたんだ。
山崎:行ってみたんですよね。で、僕はこういう保健室の研究を卒業論文でやって。何か建築がどうも関係がありそうな気がして探している内に、この研究室にたどり着きました、みたいな事を言ってんですよ。そんとき今思えばなんかその、何とか先生の本は読んだのかとか。何とか先生の作品見たのかとか。色々聞いて、言われているんですけど。分かんないから。いやまだですと。全然ですとか。
佐藤ふふふふふ
山崎:その場は、そのまま帰ったんですよね。そしたら数日後に五十嵐さんからメールが来て。凄いビックリしたんですよ。「なんで?!
佐藤:著者五十嵐太郎からメール来ちゃったよ〜連絡もしてないのに?なるほど

山崎:なんか、知り合いになんか、でも菅野さんから聞きまいたと書いてあるんだけど。聞きました?!
佐藤:随分 詳しくそれもね〜聞いているな〜と何だみたいな感じでね
山崎:それでまあ、それはいいんですけど。それで保健室の事をやってるって。書いて。でまあ話しましょうみたいな事を言ってくれて。

佐藤:で五十嵐さんに直に会ったということね
山崎:そうです、五十嵐さんに直に会った。それが最初にあって。
佐藤:色々質問した
山崎:というか、まず僕はそういう人が、どういう人が分からんないし。凄い先生って思っていたから。非常勤やっぱりすでに幾つか当時やっていて。でま他に知らないんでとにかく、何かこの人にとにかく話聞くしかないなと思って。で論文を持ってって。僕はこういう関心を持っているんです。言って。 渋谷のなんか喫茶店で会ったんですけど。
佐藤:卒論を持っていったんだ

山崎:持っていったんです。持って行ったら色々質問して頂いて。で、何かそれに応えながら何となくその、時間があっという間に終わって。で、そしたらしばらくして、直ぐかな。その後か何かに松田達さんて居るでしょう。彼が当時近代都市建築っていう勉強会をやっていてんですよ。それ凄〜い豪華な勉強会で。
佐藤:豪華な勉強会やっていたふふふf
山崎:メイドイン東京やったばかりの貝島さんとか、なんかジャンボジェット機論やっている真っ最中の森川さんとか。出てきて何かプレゼンするんですけど。で、それを教えてくれて。五十嵐さんが。こういうの在るからちょっと もし興味があれば行ってみたらって。行ってみたら何かそういうので、松田達さん本当に今でもまったく変わらない

佐藤ふははあははは
山崎:まあ行って。それでお話し、五十嵐さんじゃなくって松田さんとそんとき初めて会って。そんな感じでこう松田さんと、他何人かの同世代の人と何となく知り合っうようになって。
佐藤:それはm1の時ですか

山崎:それはm1〜m2になるとき 1:00:4

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