2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集 home 魚谷繁礼 門藤芳樹 山本麻子 岩崎泰 柳沢究 森田一弥 浅見俊幸 満田衛資 川勝真一 岡田栄造 榊原充大 山崎泰寛 牧野研造 俺クチャー 観客感想 番外編 名古屋 小林聖明 東京 太田浩史 松島潤平 山崎泰寛さん編 8月06日 pm10時〜 川勝家居間にて その 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 その10 佐藤:その時。今日なら山崎さんと俺が居たときに出来上がる感情っていうのは、今だけじゃないですか。もう一人いちゃうと、お互いの違いがあんまり分からなくなっちゃって。それはそれでもう一人の参加から、お互いの中に歪んだ感情が生まれて来るのは面白いんだけど。俺が同じ様な事を聞き歩くことによって分かることも多い。面会者・相手がドンドン変わっていくから、違う感情が出て来るっていうことを、比べたい、比べやすくなる。その様子を観察したいわけ俺は。同じ内容を聞き面会を始めるんだけど、まったくそれぞれ違う展開になっていってしまうわけですよ。 山崎:なるほど。 佐藤:それは、その展開の違いは何なんだと?同じこと聞き始めて、話が同じ筋道辿らない方が面白いんだけど。前回の人はこう答えたけど貴方はどうなのって無理矢理、合わせる道に戻す方法はあるよ、でもしたくない。対話のキャッチボールで球筋がずれていき どんどお互いが違う感情を立ち上がらせれ それらを比べれば、そこから今の時代みたいなものが見えて来るし。俺の希望としては、この時間に100人インタビューしたい。 山崎:この時間って。 佐藤:同じ内容の事を同時に100人に発して同時に100人に反応し語っていきたいんだけど。そういう能力が無いから、体一個しか持ちあせてないので。同じ時間を生きている人がどういう感情の中で生きているのか?観察したいんだよね。今を知る温度計みたいな、役割をする人間であればいい。人間環境センサーみたいになれて、なるべく短い時間で多数の記録を採取したい。 各地インタビューは去年一辺にやりたかったんだけど、交通費が無いから出来なかった。 去年と今年では社会状況が全然変わっちゃったから、今その時の感情を比較しても有効じゃなくなっちゃった。 経済能力があったり分身の術で同時に肉声を採取記録できればいいんだけど、能力がないから、しかたがない。その正確さは捨てても多様な音声を記録して、資料を作ってみる。 山崎:佐藤さんはやっぱりあれですかね。歴史が好きなんですか? 佐藤:近世史を研究している長男の影響だと思います。長男が講演している文字起こしを手伝ったり。歴史をテーマにした建築あそび 俺の家に研究仲間が集まってワイワイしたり。 歴史学者の文字情報に対する構え方って面白いですよ。現地調査もするけど主なのは古文書の情報なんだよね。ちょっとしか文字情報が無いんだけど。それなにのそれを媒介にしてもの凄い色々話合うんですよね。小さな情報から地域や遠く離れた人間の交流などネットワークを浮かび上がらせることが出来てしまう。そして現在に照らし合わせて解釈し直したり、翻訳するって方が正しいね。翻訳し直して現代社会に役立つような近世の社会の情報として今の社会に還元していく。昔の社会を批評していることにもなるんだけど、過ぎ去っているから、古文書情報を介して討論することで現代社会を批評するこういになていくわけですよね。再解釈であると同時に、歴史学っていうのは現代社会に対する批判や批評。それから将来に対する見通しみたいなものを持たないと学問として成り立たないんですよ。とぼくは歴史学者達のワイワイを聞いてて思ったんですよ。 じゃそれを自分のやっている建築系インタビューっていうの。それの逆回しじゃないですか。人間はそれぞれが歴史的存在だと思うわけですよ。近世期の人間が残した 古文書記録を作った人って、そのように意識して書いたわけじゃない。でも3〜200年後に生きている俺は、それを知っているからね、そこを 意識して建築系の人間の言葉っていうのは歴史的な資源とは言わないけど、歴史的な感情なんだ。建築系の人の歴史的な感情が立ち上がる時、その場所に立ち会って、それを文字に転換する作業っていうのは、すごい力があるんじゃないかと想うんですよ。これさいやっておけば、いい建築つくりを記録するよりは 良い建築を作った感情や思想考え方っていうのが、残せる。後に理解する手立てにもなる。 実建築は遺跡を見ても分かるように 建築は腐っちゃうし消えて無くなる、物媒体は無くなる。文字は最初から物じゃないから腐ち消えない。 いつでも無い物だからね。、手掛かりだ。しかし文字は使われ方が 変わるけど消えてなくならない。だから手掛かりは凄く大きい。歴史学者の議論を聞い触れてて思うんですよね。 実建築を作ることに血眼になるのもいいけど、今 何?を喋っているかという見えない建築を構築し残すことで、実は議論の場を未来に提供することになるんだと思う。ただ今日 採取して記録がそく活用出来るってことがいいんだろうけど。速活用性は低いのはしかたがない。記録の有効性は 今の場や 数年の間には機能性は無いよ。100年とか200年とか永い時間の中で考えると、議論の場をもの凄く発生させる源になるような気がするんですよね。 それは俺の妄想だけだろうがね。テレビ映画などの時代劇って今の社会と 違うように描かれたり、情報操作し、国粋てきに誘導しりょうとしている作品が多いので問題なんだけど。日記やmy長男の論文など読むと、 人々は今とあまり変われない感情のなかで営為運営されていると感じるんですよ。危機の時の対応にしても、社会貢献しようとするインセンティブを働かせるためのシステムだとかも、もしかすると今より、その地域社会に生きている人にとっては心強い行動やシステムだな〜って考えてしまうことも多いんだよね。 歴史の話が続いている ・・省略・・・・ 建築系の人々の肉声のままの文字を作っておけば、2009年8月6日の感情を再現し語り合うことが出来る。「あんまり変わらないね」とかね。 山崎:そう言わせたいみたいな。 佐藤:言わせたいんじゃなくて、今なんで行動するかて。なんでこんなことをやるかっていう事を明らかにしているだけだ。議論したいわけじゃない、議題設定されているように見えるかもしれないがそうじゃない。社会は(自分たちのとって有効な)建築系の社会に変えわっていかないし。文字にしておけば一つの参考資料になる。記録することによって。記録するのは一回だけではだめなわけですよ。ずーっと続けないと記録する意味が無いっていうか価値が薄れると思うんですよ。だから始めたら〜死ぬまでやる。毎日来るの嫌だし、来られるほうも鬱陶しいだろうから、5年に一回ぐらいにしようと言っているだけ。毎日来てどうなのって 山崎:お茶のみ話 佐藤:お茶のみ話をずーっと書くっていうのは、有効で、言葉も内容も変わっていくじゃないですか。ケイタイって書いてあっても、それなじゃ?ってことになる。100年ぐらい経ったら。ポケベルって何だ?みたいな。PCって何それ?カセットテープって何?、CDって何?分からなくなるハズだ、普通の暮らしをする人にとっては。写真付きで記録があれば。今意味が無いか〜の処が一杯あってもいいんだ。今意味の無いと思われている内容の方が実は重要だったりするんだよね。今は当たり前過ぎて喋ってもしょうがないや〜って部分は落とす可能性が高いので、何でも文字にしておきたいと思う。 本当に記録されてないんだよね、どんな飯を食っていたか。どんな言葉でどんな会話をしていたか?飯くう箸は器はどうだったか?歯磨きはどうしてたか?便所紙はどうだったか?分かんない事だらけになっちゃうんですよね。 文字はあるけど近世史を参考にして、言えば仙台藩のように外様大名なのでもじって崩し方を意図的に変えて、読みにくいそうだよ。間違って文字に起こしたり横文字もどんど和製英語もあるし、編集し直したりしてるって、言葉を加工する段階での問題も在る。 山崎:へえ〜暗号化してね 佐藤:仙台藩にかぎらず外様は近世期初期は天下を狙っていただからね、・ちょと横ずれしまてますけど。人の話聞いて記録しておいて。 山崎:何か社会的な、何か貢献っていうか。 佐藤:そういう事しておいたらどうなんだろうな〜っていう。建築系の中でずーっと生きてきたから、建築系のものを記録しておきたいんだよね、喋って本当に面白い事皆さん喋っているから。記録しておくと。それは一つの切っ掛けだった。各地ことば悦覧のための面会をやってみたら、また違う面白さが一杯在ったし、あるからね。 京都来て、京都の夏の暑さを知ったり。静原ってこんなふうになっているだとか。家族の情報とか生活ぶりとか、かいま見ること出来たりもするし。記録されないことが一杯あるじゃないですか。そっちの方が圧倒的に面白い、実は。 山崎:なんか今、家に凄く興味があって、家に興味があるんですよ。 佐藤:家ってどういうこと?家っていう制度?フィジカルなもの? 山崎:何か、生活と言えば生活かもしれないけども。何かね、住宅って言いたくなくって。 佐藤:ああそうかそうか。 山崎:制度的と言えば制度的 佐藤:おれは家っていうと近代システムの囲い込みみたいなことに、あんまり家は使いたくない。ちょっと休憩しましょう 山崎:止めますか 44:50 その11へ |