2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集 home 魚谷繁礼 門藤芳樹 山本麻子 岩崎泰 柳沢究 森田一弥 浅見俊幸 満田衛資 川勝真一 岡田栄造 榊原充大 山崎泰寛 牧野研造 俺クチャー 観客感想 番外編 名古屋 小林聖明 東京 太田浩史 松島潤平 山崎泰寛さん編 8月06日 pm10時〜 川勝家居間にて その 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 その12 演劇など 佐藤:おれはアングラ演劇、寺山修司とか唐十郎とか。唐さんは福島で何度も公演したんで、友達が中心になって受け入れてたので、いろいろ下働き手伝ったりしてたことがあって、演劇面白いよ そいう意味では 山崎:演劇って、京都旅行記に書いてありましたけど。何で演劇の事がそんなに面白いのかっていうのは聞いてみたかった。 佐藤:全部作られた事だからだですよ。全部作られたことのなにの、泣いたり笑ったり怒ったりしちゃう人間の面白さ。作りごとだっていうことだけど。 映画がはスクリーンの上んで 演劇よりややよそよそしいんだね。生の人間が目の前で演じている、から感情の移入の仕方が直接的であるし。平田さんのような会話劇とも違う、日常じゃないけど作り事、観客は役者になった気分になれる。でも演劇は何度も繰り返して見ることが出来ないね。 同じ演目次の日見るとまた違うからね。一回性が高い人生に似ている。観ててかけ声掛けると、役者が反応しノリが違うわけですよ。本当の事って何?って議題もあるけど、まあ 銀幕に拍手 喝采した時代は遠い昔になっちゃったからね、映画は戦後だ。TVの影響もあるだろうが 映画に向かって反応しても変わらない、けど、演劇に向かって反応すると演劇が変わるんだよね。 インタビューと似ているな〜と想うんですよ。 山崎:それってインタビューと似てるっていうのは。ちょっと分かんないんですけど。演劇、僕は唐組とか観てないから分からないんだけど。いわゆるシナリオみたいなものが、有るっていう前提で考えると。インタビューはまあどんな人なのかぐらいは事前に調べる事が出来るけど。演劇ってさっきも作り事って言っていたけど。作り事ってことは何か枠組っていうか。それは台詞回しかもしれないし。舞台かもしれないし。そういうものと分かちがたいっていうかね。そこあると思うので。 佐藤:俺の印象だけど、寺山は小学生で駆け落ちした母親に捨てられちゃって 言葉一つで自立し世界を獲得するしかなかったような 希な状況下で 言葉使いの天才になった、そういう自立の仕方、東北的戦後の生き方を実践した 寺山修司に親しみを感じているから。 シナリオを否定して 既存の役者も 観客してを壊そうとした側。 観客席という演目があったりすると、舞台が真っ暗になって 観客にスポットを当てて帰れとかアジルわけですよ。観客は怒るよね、 演劇見に来ているのに何だこの演劇はと客と喧嘩になるわけですよ。それが演劇だというのが 寺山修司で。 市街劇ノックっていうのがあるね。シナリオないんだよ、唯 指示書だけ、どこどこの場所へ行け。行くとそこでそこで起きる事件をみんなで観る。その全てを観るの。それが演劇だと。この激しさ、既成概念をたたき壊して、何かつくる激しさはいいな〜と。言葉に対する疑念が根底にあって、あらゆることに疑問を提示する、おおきな疑問で在り続けると。 ストーリーが無いからね、一部の人にしか受け入れられなかったんだけど、今でも評価が高いし、新しさは変わらないと想うね。 唐産の演劇は言葉の万華鏡で出来ている、それから最後に舞台崩しがあって、演劇終わると 通行人だとか町の風景だとかが飛び込んできて、その演じられた物語と実の都市とが一体になったかのような演出があって、そこがいいんだよね。 どちらもリアルとアンリアルの混交、交差する場とか瞬間とかを確認させてくれるわけだよね。時代背景があって生まれたんだと想うけど、 インタビューも今なのか過去なのか嘘の話なのか本当なのか分からないように 記録したいってのはあるね。 山崎:うんうん 佐藤:そんなのに何が意味があるかと問われても、そういう処には興味ないけど。面白と思ったことをやっているだけだから。どうなんですかって聞かれても。どうなるかそんなことも考えてないし。とりあえずでいいじゃないですかと。無理矢理 言ってもいいけど、それって無理につく嘘だからね。作り話としては語れると思うけど。 明日のオレクチャーもそうだけど、明日作りあげる話であって、建築作った当時の事実の話ではないんですよね。 そういう中で俺は何を語ればいいんだ?黙っていたほうがいいと思ったし、集まった人たちと対話形式ですすめる方が、演劇的でいいと思ったけどね。 山崎:レクチャーで僕が好きなのは、時間決まっているじゃないですか。 佐藤:あれいやだね 山崎:あれ面白いですよね。本当に、それこそ突然終わるでしょう。時間が来たっていう理由で終わったりするじゃないですか。話がね、時間が来たからあとは2次会でみたいになっちゃって。なか今までの話は何だったんだみたいな。ありますよね。あれは面白ですよね。本当に。何かそうなんだよね。 佐藤:自分の精神構造は虚実混交の面白さで出来上がってしまっている感じなので。その後の、不可能性の時代の話も動物的ポストモダンもそうだけども一々もっともですけども。論と社会的事件をくっつけて語る手法もあるけど。宮台、大澤は同じ研究室出でしょうから似ているよね。 山崎:僕は感想しか言えないですけどもね。社会学者って名乗っている人は、やっぱり。 佐藤:おれは社会学者の花田先生の授業の文字起こし手伝って 金貰えたからここに来ることが出来ている。内容はジャーナリズムに関する授業だけど。文字起こしすると 授業の質も変わっていくのが分かるんだよね、ライブ記録の強さを思う。その後 文字起こしたものが編集されて本になって出版される。1/4ぐらいに縮められて。印刷媒体の不自由さが分かる。ライブの記録のまま方が圧倒てきに面白い。量が多いので面倒かもしれないけど。読みやすく編集するってことは何なんだろ〜と思う機会も与えられて考える機会もあって。 1995年っていう本はどこまで圧縮して、どう編集したんだろうって疑問も浮かぶわけよね。 俺のインタビューのWEB記録は製品だと思って公開していない。10年3回ぐらいたったら製品化してもいいかもしれないと思っているけど、素材として採っているだけであって。そのまま だから読みにくくてしょうがないですよね。サービスしようと思ってないので、素材として集めている。 山崎:なんか僕があれ、佐藤さんの見ると思うのは佐藤さんの凄く個人的な、 佐藤:資料庫 山崎:資料庫、うん、そういうふうにも見えるかもしれないけど。佐藤さんが個人的にやっている事を見せてもらっているって感じがあって。例えばあの色使いがあるじゃないですか。文字の。あれは何か斎藤歩さんと喋っていたときに、個人的な感情がどっちで、赤系で客観的なのが青系だみたいなの書いてあったけど。あれもまあ嘘で。 佐藤:あははは 嘘だよ 山崎:あははは 佐藤:とりあえず言ったみただけで、考えて色つけてない、気分で付けているから、毎日変わる 山崎:ただ あの色づかいがやっぱりある表現になっていてのは間違いないと思うし 30:02 その13 |