伊勢物語・八十二段・業平朝臣
あかなくにまだきも月のかくるゝか 山の端にげて入れずもあらなん
よるかの朝臣の母 あま敬信
大空をてり行く月し清ければ 雲かくせども光けなくに
よみ人しらず
石上ふるから小野のもとかしは 本の心はわすられなくに
いにしへの野中の清水ぬるけれど もとの心を知る人ぞくむ
いにしへの倭文の苧環 いやしきもよきも盛りはありしものなり
今こそあれ 我もむかしは 男山 さかゆく時もありこしものを
世の中にふりぬる物は 津の国の長柄の橋とわれとなりけり
さゝの葉にふりつむ雪の うれを重み本くだち行くわが盛りはも
大荒木のもりの下草老いぬれば 駒もすさめず刈る人もなし
数ふれば とまらぬものをとしといひて 今年はいたく老いぞしにける
おしてるや難波の御津にやく塩の からくも我は老にけるかな
老いらくの来むと知りせば 門さして無しとこたへてあはざらましを
さかさまに年もゆかなん とりもあへず過ぐる齢や共にかへると
とりとむるものにしあらねば 年月を あはれあな憂と過ぐしつるかな
とゞめあへず むべもとしとは言はれけり しかもつれなく過ぐる齢か
鏡山いざたち寄りて見てゆかん 年へぬる身は老いやしぬると
業平朝臣の母のみこ
老いぬればさらぬ別れもありといへば いよいよ見まくほしき君かな
業平朝臣
世の中にさらぬ別れのなくもがな 千代もとなげく人の子のため
在原棟梁
白雪のやへふりしけるかへる山 かへるがへるも老にけるかな
敏行朝臣
老いぬとてなどかわが身をせめぎけん 老いずば今日にあはましものか
ちはやぶる宇治の橋守 汝をしぞあはれと思ふ 年のへぬれば
我見てもひさしくなりぬ 住江の岸の姫松いくよへぬらん
住吉の岸の姫松 人ならば いく世か経しと問はましものを
梓弓いそべの小松 たが世にか万代まねてたねをまきけん
かくしつゝ世をやつくさん たかさごの尾上に立てる松ならなくに