TopNovel願わくば・扉>願わくば、恋視線・6



       

     

「ちょっとーっ! 伯母ちゃんたち……!」

 あーっ、やっぱり来てるし。

 玄関の前に見覚えのあるママチャリを見た瞬間に75%の予想をしたけど、その後上がり口に仲良く並んだ突っかけサンダルを見つけてほぼ確信。そのまま廊下を突っ切って、表の仏壇のある部屋に飛び込んでた。

「あらあ、最香ちゃん。お帰りなさい〜っ!」

「まあまあ、しばらく見ないうちに一段と綺麗になっちゃってっ!」

「でも、……そのチャラチャラした服装はどうなの? もう少し、年相応に落ち着いた方がいいわね」

 三方から一気に飛び込んでくる言葉たち。まるで女声合唱のワンフレーズのように束になって、私の鼓膜を震わせる。
  ファミリードラマに必須のアイテム「まん丸いちゃぶ台」。それをぐるりと囲んで午後のお茶を優雅にすすっているのが、我が家からお嫁に行かれた伯母さま方。それぞれ見目形は多少異なるものの、そこは同じ両親から生まれた姉妹だし面影は似ている。向かって真正面の上座を陣取るのが長姉の梅子伯母ちゃん、その脇に桜子伯母ちゃんと桃子伯母ちゃんが控えている。座り位置までいつも同じなのよね、この人たち。
  たっぷりと大振りな急須、菓子盆にはお煎餅とおまんじゅうがてんこ盛り。別のお皿にはキュウリとナスの漬け物が山盛りだ。あと煮豆も忘れずに取り皿付きで。

 

「ほら、まずはお仏壇に挨拶をして。話はそれからでしょ?」

 つやつやのぬか漬けキュウリを取り箸で手のひらに受けて指でひとつつまんでから、長女の梅子伯母ちゃんが有無を言わせぬ雰囲気で促す。
  姉妹の中でも特に小柄なこの人は、その昔は町一番の優等生だったとか。地元の旧家に嫁いだその後も町内会や婦人会を取り仕切り、還暦を迎えた今なお老眼鏡の奥から光る眼差しは鋭い。私の従兄に当たる人たちも、のけぞるくらい有名な大学を卒業してるわ。実はこの方、昔からちょっと苦手なのよねー。

 まあ、言われたことは正論だから素直に仏壇へと向かう。マッチを擦ってろうそくを灯すと、お線香を二本手にして先っぽをかざした。そして、多分少し前にやって来た伯母ちゃんたちが供えたのであろう短くなったお線香の隣りに倒れないように注意して立てて、その後遺影が記念写真のように大量に並んだ仏壇に向かって手を合わせる。

「お祖母ちゃんは、美容院に髪をセットに行ってるわ。明日、女学校の同窓会なんですって」

 次女の桜子伯母ちゃんがおっとりとした口調で教えてくれる。部屋にはいるときに私が「あれ?」って顔になったのに気付いてくれたみたい。膝の悪いお祖母ちゃんは座布団じゃなくて、いつも脇に置いた籐の椅子に座る。でも、今日はそこが空っぽだったの。この時間なら、お祖父ちゃんと父親は作業場にいるはず。昼間のお茶会は常に女の園だ。
  桜子伯母ちゃんは、町内でも山側の方の農家に嫁いでる。だから、いつも新鮮な野菜をたくさん届けてくれるのね。冬でも温暖な土地柄を利用したハウス栽培とかを大々的にやってる。この辺りは都心に出荷する切り花の産地でもあるんだ。

「さあさあ、ご先祖さまにご挨拶が済んだらお座りなさいな。まずは一服、どうぞ」

 保険の外交員をしている三女の桃子伯母ちゃん。かなりのやり手で、今では支店の責任者。十数人の社員をまとめ上げて公私にわたって面倒を見てるんだって。

 

「ありがとうございます、……じゃなくてっ……!」

 湯気がほかほかと上がる湯飲みを見ていると「ああ、家に戻ってきたなーっ」って気がしてくるのね。何ともほのぼのした気持ちになって、座りかけてふと思い出す。

 違う、違うわっ! 私がここに飛び込んできたのは――。

「もうっ、どなたですか! アレっ、アレはどういうことっ!? ……もうっ、今日という今日は私、怒りましたからねっ……!」

 するりとかわされる三つの視線。まるで申し合わせたかのように、同じタイミングでお茶をすする。震える握り拳、まさかここで暴れるわけにも行かないし……でもこのままじゃ、怒りが収まらないっ!

 

「あらー、お早いお帰りね。もっとゆっくりしてくれば良かったのに……」

 そのとき。のれん代わりのじゃらじゃらをかき分けながら、脳天気な笑顔が現れる。それが四女の菊子―― 私の母親。末っ子に生まれたはずが、ぼんやりしていたら家取り娘になっていたという伝説の人なの。

 その手には、ほんわりと湯気の上がった大振りの中華まんが5つ。私の分を含めてちゃぶ台の上に並んだ。

 


「は、……花嫁?」

 落ちたフォークの行方を辿ることも忘れて呆然とする私を真っ直ぐに見つめて、かつての「ハナ垂れいじめられっ子」は悠然と微笑んだ。

「―― いかにも。君にはこの小野崎の輝かしい未来を先導する僕のパートナーとして、立派な働きをしてくれると信じているよ」

「……?」

 テーブルの上で柔らかく組まれた両手。長めの指の先に綺麗に並んだ爪は長すぎもせず短すぎもせず、たった今ネイルサロンで手入れされたかのように清潔感に溢れていた。細長いその場所に綺麗に色を乗せてみたいなあなんて場違いな欲求が湧いてきたりして。

 

 ……いやいや。今はそんな悠長なことを考えている場合ではないだろう。

 

「ええと、……仰っている意味が全く分からないわけですが。どうしていきなりそのようなお話になるのでしょう?」

 相手があまりに落ち着いているから、ついついそのペースに巻き込まれそうになっちゃったわ。でも、それはまずい。だってだって、どうしていきなりそうなるのよ。確かにこの人と私は、昔の顔なじみという間柄ではある。けど……本当に、それだけなんだから。
  その昔、大漁さんちの息子様が同級生の妹である私に密かに思いを寄せていたとか? ないない、そんなことって絶対に有り得ないから。面と向かって口をきいた記憶すらないもの。

 それに、何でいきなり「花嫁」なんて言葉が飛び出してくるの。もしかして、これって海の向こうの定番ジョークだったりする? そうだとしたら、趣味悪すぎ。相手が私だから良かったようなものの、間違って本気にする子だったらどうするのよ。

 やっぱり、情け心なんて出すべきじゃなかった。ついでに、大好物のケーキに釣られたのも大失態だ。この人って、もしかして「天然」? 素で私を怒らせようとしてるのかしら、そうとしか思えない。

「理由を言わなくちゃ駄目なのかな?」

 彼は一度手を組み直すと、喉の奥で小さく笑い声を立てる。

 パノラマ映像の如く見える故郷の海が鈍色にくすんでいることは彼の想定外だったのだろうか。しかしその落ち着き払った口元から飛び出した言葉は、私の想像を大きく超えていた。

「そんなの、簡単なことでしょう。僕は年老いた父の懇願で生まれ故郷の小野崎に戻ってきた。そうなれば、人生の伴侶を探すのは当然のことだと思わないかい? ……違うかな?」

 同意を求められても、どうしたらいいものか。

 そりゃ、ここに戻ってきたのはあんたの意思かもしれないよ? だからといって、私には関係ないと思うの。嫁探しなら、他でやってくれって感じだ。
  それにさ、ついでに突っ込ませて頂くけど、ここまでのどこまでもビジネスライクな話し方ってどうよ? 仮にも「愛の告白」をしているわけだよね、そうだよね。だったとしたら、もうちょっと相手を納得させる努力をするべきだと思う。

「べっ、別に否定はしませんけど。それは、個人の自由ですから。でも、どうして相手が私なんです? 他にだっていくらでも候補の女性はおられると思いますけど」

 

 もうこっちは早く話を切り上げたい一心だった。

 本当にいちいち発言がむかつく男なのよね。生まれ変わったつもりなんだかどうだか知らないけど、どうしてこんなに偉そうなのかしら。小野崎の輝かしい未来を先導する? ―― そんなジャンヌ・ダルクみたいなことは、ひとりで勝手にやってくださいって感じ。

 

「ふふふ、そりゃあね」

 しかし、彼の方といえば。私のつっけんどんな受け答えに非常に満足したらしい。二杯目のコーヒーをゆっくりと味わいつつ、不敵な微笑みを浮かべた。

「向こうを引き上げるときにもね、どうか一緒に連れて行ってくれと泣いてすがる女性が幾人もいたよ。しかし、その全てを振り切って綺麗に精算し終えてある。やはりこの地に骨を埋める覚悟なら、同郷の女性を伴侶に迎えるのが得策でしょう。そして、君はもっともその相手にふさわしい」

「……?」

 だーかーらーっ! 一体何が言いたいのですか、訳分からないっ! お宅の理想はどうでもいいの、ただ私に火の粉をかぶらせないで欲しいわ。警戒水位ぎりぎりまで来ていた私のイライラは、彼の次のひと言で爆発した。

「残念ながら、僕とぴったり年回りの合う女性は当地には最香ちゃんしか残っていなかったんだ。話には聞いていたけど、皆さん本当に早婚だね。仕方なく五歳下まで範囲を広げてみて、それでも駄目。君が僕にとってのオンリー・ワンというわけ、代わりになる女性がいないってことで覚悟を決めて欲しいな」

 

 ―― は? はあああああああああっ!?

 

「ええと、……それって。私があなたにとって丁度年回りのいい地元出身者ってことですかっ?」

 私だって、立派に成人した大人なんだから。ここは、出来る限り感情を抑えようと努力した。だけどだけど、これってどういうことよ。人を馬鹿にするのもいい加減にしなさいって感じ。堪えても堪えても、身体の震えが止まらない。こんな侮辱ってないと思う。

「いかにも」

 驚いたことに、彼は私の逆鱗に触れていると承知しても顔色ひとつ変えない。

「君だって、知っているでしょう? 男女では平均寿命がかなり違う、今は医療も発達しているけれどこの先数十年でその差がなくなるとは思えない。だから、初めは年上の女性ですら視野に入れてたんだ、その方が最愛の妻を遺して逝く悲しみを味わう確率が減るしね」

 もう、何様のつもりっ!? だけど大声で罵倒してやることすら、馬鹿らしい気がした。どうにかして、この場からすぐに立ち去りたい。そればかりを考えてぐっと堪えている私に、地元の名士・大漁一族の御曹司はさらなる試練を与えてくる。

「やりがいのある仕事に就いて東京でひとり頑張っている君もとても素晴らしいと思う。でも、僕の妻になればそれよりもずっと生き甲斐を感じることが出来るはずだよ。今は若さで突っ走れるかも知れない、でもこれから五年後十年後を考えたらどうかな? 同じことの繰り返しばかりの毎日に、いつか息切れするはずだ。物事は先を見越して考えるべきだ、早く気付く方が実りある人生を歩めるというわけさ」

 

 ……ええと。やっぱり、ここは一発殴ってやるべきかしら?

 そう決心して顔を上げたら、先ほどと少しも変わっていない微笑みに辿り着いた。ううん、違うわ。さっきよりももっと自信たっぷりになってる。何かをしっかりと掴み取って確信したみたいな感じに。

「―― 君は、必ず僕のことを好きになりますよ」

 

 がちゃん、と陶器のぶつかり合う音がして。

 次の瞬間に、振り上げたはずの右手がしっかりと捕らえられていた。

 

「……なっ……」

 バランスを失った身体が行き先を失う。自分の身に何が起こったのか、とっさには判断できなかった。頬に感じた、一瞬の熱。

「僕は狙った獲物は必ず仕留めるからね、今から覚悟しておいた方がいい。それに、……最香ちゃんは今のようにキリキリとしているよりも、もっと柔らかく穏やかにしていた方が可愛らしいと思うよ。やはり人にはそれぞれ似合う水がある、君の心はいずれこの小野崎を焦がれて泳ぎ着くはずだ」

 あっけなくほどかれた腕。でも、私はしばらくその場から動くことが出来なかった。

 

 うっ、嘘ぉ……! 何でいきなりこうなるのよっ。

 だ、抱きつかれたわよ、その上、頬にキスされたわよっ! ちょっと待って、これってセクハラじゃないの、セクハラ……!

 

「あーあ、せっかくのケーキが台無しだな。丁度クリームがしっとりと馴染んで食べ頃になっているはずだったのに。こういうスイーツは出来上がってすぐが一番って訳じゃないんだってね? やはり最もおいしさを実感できる時に食するのが最高だ」

 カーペットの上、無惨にも転がったケーキの残骸を悲しげな瞳で辿る。しかし、彼が下を向いていたのはそこまでだった。ひとつ溜息を落としたあとで、微笑みを戻して向き直る。

「君のことも……もっとも美味しい時期に味わいたいものだね?」

 指の先に付いたクリームを、なめらかな舌先が辿っていく。その仕草を眺めて、私の背筋がぞくっと震えた。

 


「えーっ、じゃあ犯人はお母さんっ? 伯母ちゃんたちじゃなくって……!?」

 冷めないうちにとかぶりついた肉まん。ジューシーな肉汁が口の中に広がっていく。一同、むくむくとお召し上がり中。半分まで来てようやく手を止めた私に、思いがけない事実が言い渡された。

「そうよーっ、最香ちゃんってば早とちりしないで。いくら、たったひとりの姪っ子が可愛くて仕方ない私たちだって、そこまで姑息な手段は使いませんって」

 唇をとんがらせて胸を張る三女・桃子伯母ちゃんの向こうで、大きく頷く長女・梅子伯母ちゃん。次女の桜子伯母ちゃんは、末の妹である私の母を肘でつついてる。「きちんと説明してあげなさい」って感じで。

 

「ご自宅まで、お送りしましょう」という申し出に、ぼんやりと放心状態のまま頷いていた。何というか、あまりにショッキングな出来事が重なって、普通の思考が出来なくなってる。そうじゃなかったら、自分にとってとてつもない危険人物の車に自ら乗り込むなんて無謀な行為に出られるわけない。あんな一瞬のキスでよろめいた? いやいや、有り得ないから。

 ―― 今回の話は、何も僕だけの考えではないんだ。他にも賛同してくださる方がいらっしゃるからこそ、こうして踏み切ることが出来たってわけで。

 エンジン音の煩わしさを全く感じさせない車は滑るように県道を進んでいく。何しろ、先ほどまでは軽トラックだったから比較にはならないけど、初めて乗る高級外車の乗り心地には正直驚いた。
  窓の外の風景までが、先ほどまでとは全く違って見えてくる。そんな中、彼はさらに爆弾発言をしてくれたのだ。

 

 まあ、考えてみればそうだろうなとか合点がいく。あんな風に不自然に兄が駅前まで迎えに来たことも、わざわざ組合のビルまで送り届けられたのも、この男ひとりの力とは言えない。

 だとしたら……、と目星を付けたのが伯母ちゃんたちのいずれか。だって、私が高校を出るかでないかの頃から、やたらと縁談話を持ち込んでいたんだもの。それがあまりにうるさくて、家からじゃ絶対に通えない東京の大学を目指したと言っても過言じゃないくらい。
  伯母ちゃんたちのところにも子供はたくさんいるんだけど、それが何故か揃いにも揃って男の子ばっかり。四人姉妹が産んだ中で女の子は私ひとりきりだった。だから、お宮参りの時の衣装から始まって初節句に七五三、誰が赤いランドセルを贈るのかまで大騒ぎだったのよね。

 ようやくこの数年は縁談話も舞い込まなくなったから、やれやれと思っていたのに。どうして蒸し返しちゃったのかと思ったわ。

 

 ……だけど、まさか真犯人がウチの母親だったとは。何それ、びっくり。

 

 伯母ちゃんたちに私がせっつかれているときも「そんな慌てなくていいのよ」とか助け船出してくれたじゃない。「最香がお嫁に行っちゃったら寂しいから、ずっとウチの娘でいてね」っていつもいつも言ってくれてたはず。

「そんな怖い顔しないでよ。何だか素敵になってたでしょう、旗之助さん。久しぶりにお目に掛かって驚いちゃった、お母様似なのねー田舎に置いとくのはもったいないくらいよ。で、お嫁さんを探してるって言うから、思い切りあなたを売り込んでおいたの」

 その上、今日の段取りも彼とふたりで決めたって言うから呆れちゃう。「最香は美味しいものを食べているとそれだけで幸せな気分になるんですよ」と好物のケーキを教えたのも母親らしい。

「ねね、もう決めちゃった? こういうのは善を急げっていうでしょ、あちら様がいい方だからってあまりお待たせするのはいけないわ。ご連絡先はちゃんと聞いた? 気後れすることないのよ、またとない良縁じゃないの。大賛成よ、私……」

 もうすっかり舞い上がっちゃって話にならない状態。一体何がどうなってるのか、それを問いただしたくても本人がこれじゃあ埒があかない。

 途方に暮れる私を哀れに思ったのか、側にいた桜子伯母ちゃんが耳打ちしてくれる。

「どうもねー、旗之助さんは菊子に言ったみたいなの。『しばらくお待ちくだされば、可愛いお孫さんを思う存分抱かせて差し上げますよ』……とかね。何しろ希里くんとこのお嫁さんとの仲が最悪でしょう、もうぱくっと入れ食い状態に食いついちゃったみたいよ?」

 

 

2006年7月7日更新

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