TopNovel願わくば・扉>願わくば、恋視線・1



       

     

「それでは皆様、後方のドアにご注目ください」

 大広間に置かれた十いくつの丸テーブル。静かに流れ始める甘いメロディに乗せて、司会者の演技じみた声が場内に響き渡る。その瞬間に照明がふっと落ちて、いくつものスポットライトが布張りのドアに当たった。

「長らくお待たせ致しました、装いも新たに新郎新婦の登場です。その手にはふたりの愛の証の炎があかあかと輝いております。そう、今日の門出を永遠の旅路の出発とするために。さあ、これから皆様のテーブルをひとつひとつ周り、キャンドルを灯して参ります。どうぞ温かい拍手でお迎えくださいませ……!」

 先ほどまでの和装に代わり純白のドレスに包まれた幸せそうな花嫁。そしてその隣には少し緊張した面持ちの新郎が控えている。
  まあ、結婚式なんていつもそうだけど、花嫁のひとり舞台と言った方がいいわよね。一応一緒にいないと格好付かないから、傍らに新郎がいるって感じで。

「……綺麗ですね、奈津先輩」

 隣の席に座る後輩がそっと耳打ちしてくる。新婦に気を取られている振りをして反応はしなかったけど、その言葉には私も同意ってとこかな。飴色のライトの下、光り輝く笑顔は今までの彼女の中で一番素敵だと思う。

 だけどねー、それも当然なのよ。だって、そうでしょ。今日のこのひとときを最高のものにするために、過去半年に彼女がかけたお金と時間は相当なもの。きっちりと決まっているシフトはぎりぎりになって変更できるはずもなく、そのしわ寄せは全て私たち同僚が請け負った。
  今日のご祝儀は思い切り奮発して諭吉さんを三枚も包んだけど、正直こっちがお礼をがっぽり頂きたい気分だわ。ああ、とりあえずは一流ホテルのフルコースが堪能できるから良しとしようかしら。玉の輿だってはしゃいでいたもんね、きっと足下の紙袋に入ってる引き出物だってかなり豪勢だと思うし。

 拍手の音が一段と大きくなる。本日の主役のふたりが上手の方からゆっくりと進んできて、そろそろ私たちのテーブルへと辿り着こうとしていた。

 ――ふうん、近くで見ると案外普通の男じゃない。あんなにのろけてたから、かなりのイケメンが登場するとばかり思っていたのに。

 顔には笑みを貼り付けながら、心の中で目の前の新郎を値踏みする。まー、いいところのお坊っちゃまだっていうから、こんなところかな。実際のほほんと生きてきたんだろうなあ、苦労したことのなさそうな間抜けな顔をしてる。

 暗闇にぽっと灯りがともって、周囲の人の顔もようやく見渡せるようになった。気の置けない新婦職場仲間の席、毎日嫌と言うほど顔を合わせている面々が懲りもせずにテーブルを囲んでるという感じ。休みの日くらい仕事のことは忘れたいとこだけど、今日ばかりは仕方ないわね。

「おめでとうー、お幸せにねっ!」

 ひときわ大きな呼びかけに、花嫁がにこやかに振り返る。

 ああ、すごいわ。聖子先輩、全然目が笑ってない。うわー、かなり怖いものを見ちゃったって感じね。そりゃそうだ、先輩も私たち同様にとばっちりを受けまくったひとり。このテーブルにいる独身者はひとり残らず被害者なんだから。

「さあ、いよいよ最後の点灯です。今このときにふたりの愛が永遠に消えることのない螺旋の輝きとなります……! カメラをお持ちの方は、どうぞ近くまでお出でください――」

 一段とボリュームアップされた音楽は、ちょうどサビの部分。よりによってスピーカーがすぐそばにあるから、耳が痛くなりそうだ。

 てっぺんのハートに火がつくと、そのままくるくると線を伝って円錐形のオブジェ全体に回る趣向。どうでもいいけど、披露宴の演出ってどうしてみんなこんなに決まり切って馬鹿らしいの。本当に口をついて出てくるのはさっきから溜息ばっかりだわ。

 鳴りやまない拍手、数え切れないほどのフラッシュの輝き。満面の笑みを浮かべた同僚に、私ははなむけの言葉を呟く。もちろん誰にも聞こえないように、そーっとね。

 

 ――さあ、これから先。人生の墓場に、いってらっしゃ〜い……。

 


「あはは、最香(もか)先輩っ! 相変わらずきっついなあ〜〜〜っ!」

 すでに出来上がり状態の後輩くんがケタケタと笑いながらビールを注いでくれる。ありがとうと受け取って、一気にあおった。もう、これが飲まないでやっていられますかっていうの……っ!

「駄目よ〜、最香ちゃん。明日も早番でしょ? そろそろ引き上げないと本気で辛いわよ。それにあんまりお肌が荒れてると、お見送りに来たママさんたちから鋭いチェックが入っちゃうしーっ……」

 そう言いつつ、もうほとんど酔い潰れてる聖子先輩。まー、今日の花嫁・奈津の横暴に一番ブチ切れてたのはこの人だもんなーっ。明日は遅出だって言ってたし、ここは心ゆくまで楽しませてあげよう。

「でもっ、先輩。本当にそろそろ控えた方がいいですよ。私のウーロン茶、少し飲みません?」

 その隣でかいがいしく世話をしているのが、私より一年後輩の静香ちゃん。彼女は短大卒だから、正確には3歳年下ね。アップリケのエプロンよりもむしろピシッとしたスーツ姿が似合いそうなイマドキの女のコ。初顔合わせでマスカラビンビンだったときはどうしようかと思っちゃった。
  もっともきっちりメイクが職場にそぐわないことはすぐに悟ったらしく、翌日からすぐに控えめに切り替えたところが偉い。そこが聖子先輩のお気に入りになったポイントだろうな。

 あのあともつまらない余興が延々と続き、ゴテゴテに飾り立てられた広間に3時間以上も拘束されてしまった私たち。精も根も尽き果てて、ここは飲み直さなくちゃいられないって話にまとまった。
  もちろん新郎側の友人席の面々から「二次会には行かれますか?」と声を掛けられたわよ。でも、丁重にお断りしたわ。だってさ、新郎があのレベルでしょ、その友人はさらにランクが下がるのよ。

 んで、結局はいつものメンバー。既婚者の先輩方はそそくさとお帰りになってしまったから、残ったのはフリーの4人だけ。ウチの園、年少さん以上のクラスがひと学年100人。3クラスずつあってそれなりの大所帯なんだけど、財布の紐のしこたま堅い経営者がぎりぎりの人数で運営してるからもう大変なの。非常勤の職員も雇って、どうにかやりくりしてるのね。

 四人がけのテーブル。リッチなフルコースでおなかは気持ちよくふくれていたから、並んでいるのはおつまみ程度。あとは空っぽなグラスたち。最後の一本になった焼き鳥を「いただきます」と手に取った後輩くん。チープな居酒屋のありきたりなひと品をやたらと美味しそうに味わってる。

「だけどな、やっぱり意外だな。俺、絶対に最香先輩のが先だって信じてたのに」

 ちらりと、涼しげな眼差しが向けられる。

 その瞬間、心から思った。ああ、あっちの二次会なんて行かなくて良かった。ちょっと可哀想かと思ったのよね、彼ら奈津の高校や女子大時代の友人たちにもすげなく断られていたから。でもでも、この上にお愛想笑いなんてできないもん、私。

 

 隣に座る「後輩くん」、彼の名前は大澤 奏(おおさわ・かなで)。

 名前だけ聞くと、女の子みたいでしょ。でも実際にこうして間近で見ていても、かなり爽やか好青年よ。いわゆるジャニ系っていうの? 嫌みすぎないナチュラル・フェイス、ふわふわの猫っ毛は茶色がかって小動物を想像させる。

 今年の初め、仮採用扱いでこの子が入ってきたときにはみんなの目の色が変わったわ。一緒に働く私たち保育士仲間だけでなくて、事務室のパートさんも調理室のおばちゃんたちも。
  彼と入れ違いで養護施設に移った前任者の男性とはあまりにイメージが違ったのね。あっちは身体も大きくて「学生時代は山男でした」って感じ、子供たちが怖がって近寄らなくて参ったわよ。いい人だったけど、この仕事には向かなかったのね。結局は介護福祉士を目指すと言ってた。今頃どうしてるかなあ。

 そして、爽やかニュー・フェイスの奏くん。何でも一流企業の内定ももらってた学生時代最後の夏休み、知り合いの託児施設でアルバイトをしたのがそもそものきっかけなんだって。子供たちと直に触れ合ったそのときの楽しさが忘れられず、決まっていた内定も断って保育士の試験を受けることにしたのだとか。

「保育士って、母性本能の固まりみたいな仕事だとばかり思っていたんです。だけど、実際は違うんですね。どちらかというと役者に近い気がする。純粋な子供の目に向き合って、精一杯自分自身を演じる。それが本当に素晴らしいなと感動したんです」

 きらきらの瞳でそんな風に言われたときは、私の方が感激しちゃったわ。

 保育士の試験ってね。毎年一度、夏に一次試験が秋に二次試験の実技が行われる。私の場合は四大を卒業すると同時に取得出来る児童学科に在籍してたから詳しいことは知らないけど、毎年合格率が12%とかのかなり狭き門らしいわ。それでも一発合格が出来ちゃったって言うんだからすごいよね。こういう業界だから色んな話を聞くけど、彼みたいなラッキーな例はとても珍しいみたい。

「本当は通信教育とかで受験対策をした方がいいって聞いたんですけど、幸いにもバイト先の先輩から過去の参考書や問題集を一式全て譲り受けることが出来て。高校の頃にバンド組んでいたからキーボードもどうにかなったし、……でも本当、こんなに上手くいくとは思わなかったです」

 奏くんのいいところは、この謙虚さにあると思う。

 周囲に感謝するみずみずしい素直さに、幸運の女神は微笑んだのかなと思うこともある。難を言えば、身長くらいかな? ヒールを履くと目線が一緒になっちゃうの。ま、この点に関してはたいしたことはないわ。彼は目の保養になればそれでいいんだから。

 

「新任の挨拶で、ずらりと職員の皆さんと向き合ったときにね。最香先輩を見てすぐに、『この人は対象外』って思ったんだ。だって見るからに彼氏いそうな感じなんだもの、フリーだって聞いて本当にびっくりしたんだから」

 くすくすっと軽い笑い声も、耳に心地よい。視覚で聴覚で楽しむことが出来る、そんな後輩がいるって貴重よね。とくに、この職場は「女の園」って言われてるもの。以前の「保母」という呼び名が「保育士」に改まって久しいけど、まだまだ女性が大半を占めていることには変わりない。

「そ、そう? おだてたって何も出ないわよ。何しろ、今日のあれこれですっからかんなんだから。ホント、結婚式に出席するのってお金がかかるわ……」

 こういう軽いおしゃべりも、奏くん相手だからいいのよね。ああ、ほんっと役得だなって思うわ。

「ふふ、そんなこと言って。でも、実際モテるんでしょ? 学生時代は合コンとかも多かったんじゃないかなあ……今日の奈津先輩とダンナさんだってそんな風にして知り合ったって話でしょう。あ、もしかして。相手が多すぎてひとりに決められないとか?」

 まー、この子ってばかなり口が軽くなってるわ。やっぱりアルコールが入ると人格って多少変わるのね、でも彼の場合はそれが嫌みじゃないからすごいなあ。

「まーね、確かにお誘いは多かったわよ。子供相手の職業を目指してるって言うだけで、勝手にイメージを作られちゃうしね……」

 言われる通り、学生時代の合コンの数は他の大学に進学した友人たちと比較しても段違いに多かった。断っても断っても次から次からお誘いが来るって感じ? もともとが「お嬢様学校」って言われる女子大だったし、さらに児童学科だし。かなりのエリート候補との「出逢い」はセッティングされてたと思うわ。

「保育士を目指してます」って言うとね、「わ〜、子供が好きなんだ。優しいんだね」とか勝手に脳内変換される。結局、男なんてみんなマザコンでしょ。思いっきり甘えたいって気持ちが強いんだろうね、いつもは偉そうにしているくせにさ。

「だけどね、残念ながら長続きしないのね。学生時代もやたらと実習とか多かったし、今の職場も職場でしょ。週に3回は早出の6時出勤、そしてまたそのほかの日は定時で9時上がり。場合によっては延長もあるし、さらに月に2回は休日出勤。長く続いていた彼がとうとうキレてそこでお終い。もう面倒で、以来男なんて欲しいと思ったこともないわ」

 ちょっと言い過ぎかなと思ったけど、まあいいか。酒の席での話だし、大目に見てもらおう。

 

 そりゃあ、この年で「男なんて」と切り捨てるのはどうかと思う。

 だけどね、大学を出てすぐに今の保育園に入って今年で3年目。無我夢中だった1年目に、少し周りの見えてきた2年目を通り越してやっと一通りのことを覚えたって感じなのよ。

 なのに、今日の奈津みたいにどうして先を急ぐことなんて出来る?
  彼女、私と同期なの。向こうは一浪してるから年はひとつ上になるんだけど、そんなの関係ないほどに仕事でもプライベートでも仲良くなった。気の強い先輩に嫌みを言われては夜通し枕を濡らして語り合った仲よ。
  それなのに、どう? 学生時代から付き合っていた彼氏が海外勤務から戻った途端に態度は豹変。あれには驚いたわ。

  んで、とうとうこうしてゴールイン。乙女の憧れ、ジューンブライド、って奴よ。

 ええ、憧れでも何でも好きにして頂戴って感じね。結婚したあとも変わらずに仕事を続けるって言ったけど、どうなることやら。あの厳しそうなお姑さん、絶対に一筋縄じゃいかないんだから。後悔して泣いたって、知らないわ。

 

「ふうん、でももったいないなあ。相手の男も堪え性がないね。せっかく最香先輩みたいな彼女がゲットできたんだから、もっと我慢して合わせればいいのに。何考えてるんだろ……馬鹿だなあ、全く」

 ―― またまた、そんな嬉しいことを言ってくれちゃって。

 でも危ない危ない、こういうのはほどほどにしないと大変だわ。あんまり奏くんと仲良くすると、先輩や子供たちのママさんから睨まれちゃうの。そうそう、奏くんが入ってからウチの保育園の入園希望者が倍増したのよ。もともと私立の園で色々と融通が利くからって赤ちゃん組は順番待ちが大変だったのにね。園長はこの繁盛ぶりを見込んで彼を採用したとしか思えないわ。

「何言ってるのよ、奏くんの方こそ」

 とっくに昔に空になったチューハイのグラス、底に残った氷をカランカランと鳴らした。アパートと職場との往復、たまに同僚や学生時代からの友人とこんな居酒屋で一杯ひっかける。そんな風にしてまた一年、また一年って過ぎていくのかな。

「バレンタイン・チョコ事件の彼女、まだしつこく言い寄ってるんでしょ? いい加減にきっぱりと話を付けないと大変だよ。……まあ、奏くんがその気ならいいんだけどね」

 彼の顔色が少しくもったのを見届けてから、近くの店員を呼んでレモン・チューハイを追加する。もしも意中の男がそばにいたら、こんな風に際限なくお酒を楽しむことなんて出来ないと思う。そう言う意味でも奏くんは「観賞用」なのよね。

「ちゃ、……ちゃかさないでくださいよ。あれにはほっんとに困ってるんですから、いやマジな話で」

 私のチューハイを持ってきた店員さんに「同じのお願いします」って言ってから、さらに唇をとがらせて抗議する。ちょっと可哀想だったかなって反省して、自分用のチューハイを先に彼に譲ることにした。ほんの数分の差なんだけどね。

 

 バレンタインのときの奏くんを取り巻く騒動は、3ヶ月以上が経過した今でも記憶に新しい。

 最初はただの義理チョコなのかなって思ってたのよね、あのママさんは奏くんが担当していたクラスに子供がいたんだし。だけどそれが抜け駆けだとか、そう言う話になってきたからもう大変。一時はかなりヤバイ感じになったらしいよ。彼も当時は仮採用の身の上だったしね。

 こういう職場に若い男の子っていうのも、みんな慣れてないし予期せぬ出来事が起こるものだわ。それにしても職員一同、通称「ナギママ」さんの恐れを知らぬ行動力には度肝を抜かれた。周囲が本人が引きまくっても全然動じないんだもの。

 保育園っていうのは、働く親が子供を預けに来る場所。だから、その背景には様々なドラマがある。自分が好きで選んだ仕事ではあるけど、携わっているうちにだんだん「結婚」と言うものに対して夢や希望が消えていくと言うのが正直なところ。
  さらに既婚者の先輩の話を聞いていると、さらにゲンナリ。職場では責任のある仕事を任されて充実して過ごしていても、自宅で我が子はお姑さんに預けっきり。子供もすっかりおばあちゃんっ子になっちゃって、どちらが親かも分からないってことも多いみたい。仕方ないとは思うけどね、上手くいかないものだなと思っちゃう。

 

「ま、ほどほどにね。うちらはサービス業なんだから、あまり素っ気ないのも良くないんだし。奏くんは頑張ってると思うよ、これはお世辞じゃなくてね?」

 そう言ってあげたら、彼はにっこり笑って「ありがとうございます」って。

 

 ああ、もう可愛いなあ。

 受け持ちしている子供たちもみんなそれぞれに可愛いし、さらにこんな後輩くんまでそばにいて。今のところは十分幸せだなって思っちゃう。

 

「よーし、明日からの一週間も頑張ろうっ! 奈津は半月も帰ってこないと抜かしたことを言ったけど、その間はみんなで力を合わせて乗り越えなくちゃね」

 グラス半分のチューハイを一気に飲み干すと、私は伝票を手に勢いよく立ち上がった。

 

 

2006年5月16日更新

TopNovel願わくば・扉>願わくば、恋視線・1