TopNovel願わくば・扉>願わくば、恋視線・28



       

     

 二日続けての上天気。季節外れの日焼けに真っ赤になった腕を恨めしく思いつつも、窓からの涼風にホッと一息ついていた。

 ガラス越しに園庭を見下ろせば、あっちもこっちも後片付けの真っ最中。雨で一日順延したもののどうやら昨日の日曜日に運動会が終わって、園内の空気も一気に緩んだ気がする。
  夏休み前からずっととにかく頭の中はそればっかりだったもんな。この先も秋の遠足や老人ホームの慰問など様々な行事が控えているけど、まあ今までのスケジュールに比べたら難なくこなせそう。

 

「あっ、駄目! ちょっと〜っ、触らないでって言ったでしょう。何でこんなになってるかなあ……」

 昨日のうちに洗って干してあった色とりどりの布やら何やら。外階段の脇にある物干し場から取り込んでは畳んでいた。一年に一度しか使わない道具たちは、さっさと片付けておかないと始末がつかなくなる。シーツよりも大きな布を広げるにはやはり廊下が一番、子供たちはお教室でおもちゃ遊びさせていたはずなんだけど……あっという間にとんでもない有様になっていた。

「せんせーっ! 見てみてー、きれいでしょっ! ここ、お花畑になったんだよっ!」

 廊下に敷き詰められたPタイルはグリーンの芝生色。その上に赤白黄色にピンクと紫と青と……確かにそんな風にも見えなくはない。けどなあ、違うでしょっ! そりゃ、楽しいのは分かるよ。だけど、ようやく終わりそうだったのに、これはひどい。

「もーっ、お花畑はおしまいっ! ほら健太くん、赤色を集めて。桃香ちゃんは黄色ね。拓人くんも円ちゃんも手伝ってね。全部揃えたら、ふたりで両端を持ってまっすぐに伸ばして重ねて。そうそう、上手上手」

 これが小学校や幼稚園だったら「代休」があるんだけどね。保育園は大きな行事の次の日だって、普通に園児をお預かりするから大変。ただですらぎりぎりいっぱいの職員で、子供たちの世話と運動会の片付けを両方こなさなくちゃならないんだから。普段と違うことをしていると目新しくて仕方ないんだろうね、みんなすぐにのぞきに来るんだもの。

「おー、これはこれは。いいですねー、白雪姫と小人たちみたいだ。小人の数がちょっと足りないけど、なかなかの構図ですよ?」

 そこに今ひとりのギャラリーが。……じゃなくて、奏くん。空っぽの段ボールをいっぱい抱えて階段を下りてくる。ごめん、その中にしまうはずだった布たち、まだ全然片付け終わってないわ。

「えーっ、モカせんせいが白雪姫? だったら、王子様もいなくちゃ変だよっ!」

 ほらほら、男の子たちは手元がもうお留守。いいから、話に乗らなくても。

 そう突っ込む気力もすでになく、私は話の輪からひとり外れてもくもくと作業を続けていた。全部丸投げしちゃいたい気分でもあるけど、これも大切な仕事のひとつ。他の先生方も頑張ってるのに、ひとりで駄々をこねたって仕方ないわ。

「王子様選び? だったら、俺も仲間に入れてよ」

 ……奏くん、やめようって。

 せっかくみんながお手伝いをする気になったのに、どうして横道にそらすかなあ?
  しかし嬉しそうに擦り寄っていった彼に、男の子たちの視線が冷たい。

「だーめっ! かなでせんせいは大人だから仲間に入れないっ!」

 あらら、撃沈。うーん、まだまだ彼は子供たちになめられてるわね。どこがどうとは言えないけど、私たち職員は園児たちの「お友達」ではないんだから、その辺のさじ加減が難しい。まあ、私自身もきちんと出来てる自信はないけどね。

「せんせーっ、おひめさまーっ!」

 急に目の前が真っ白になる。次の瞬間にはごわごわの白布に頭からすっぽりと覆われてた。

「きれいーっ!」「すてきーっ!」「かわいいーっ!」

 うーん、お世辞にもそんなではないと思うんだけどな。これって、もしかして花嫁のベールのつもり? すごいなあ、子供の想像力って。

 女の子集団はすっかり自分たちの思いつきに満足したらしく、次々と白布を手に「雪ん子」になって喜んでる。
  ご満悦のにこにこ笑顔の中には夢乃ちゃんの姿もあった。運動会の練習を通してお友達も増えて、今ではすごく楽しそう。鼓笛隊に欠員がひとり出て、彼女は繰り上げでピアニカを弾くことになったんだ。その経験もすごくプラスになったみたい。

 何だかな、よく分からないけど。

 後から後から湧き上がってくる仕事を必死にこなしてると、あっという間に月日が流れていく。本当にね、今年は夏があったのかどうかも記憶にないくらい。気がついたらもう十月になっちゃってるんだもの。

「ほーら、みんなそろそろ部屋に戻って。『もも』組さんもお隣の『ぶどう』組さんに行くよ、奈津先生がエプロンシアターしてくれるって。今日は何の話だろうねーっ」

 騒ぎの収まらない子供たちを急き立てたあと、奏くんは私の畳み終わった布たちをせっせと段ボールにしまってる。心なしか口元がとんがってるみたい、さっきの「仲間はずれ」がそんなに口惜しかったのかなあ……? もう、すぐに同じ目線で張り合っちゃうんだから。

 それから。教室の窓を開けた奈津に「よろしく」って目配せする。

 エプロンの上からでもだいぶ目立ってきたお腹。これから水回りの掃除とかはやりにくくなるだろうから、その辺は融通し合っていかないとね。

 少しの間離れたことが良かったのかな、自分の中で奈津を新しいポジションに配置することが出来たみたい。彼女だけが恵まれている訳じゃない、私だけが不幸なわけでもない。そう気付いたときからそれまでの苛立ちが嘘みたいに消えていった。

「子供たちの笑顔を守りたい」「働くお父さんやお母さんの力になりたい」――皆それぞれに立場は違っても、同じ志を持って集まっている。一番深い根っこの気持ちが同じなら、どんなにすれ違っても必ずいつかわかり合えるはず。その希望を、私自身が手放さなければ。

 自分の気持ちがぐるぐると落ち着かなくて、いろいろ迷惑掛けちゃった。今ここに自分が存在していること、それが奇跡に近いことも分かってる。だからこそ、気持ちも新たに頑張らなくてはと思う。

 とは言え、この先も何が待ちかまえてるか知れないけど。

 

「さ、こんなところかな。最香先輩はそっちのふたつをお願いします、場所は空けて来ましたから頑張って運んじゃいましょう」

 あれ、私ってばしばらく呆けていたかしら?

 そんなはずはないのに、辺りがすっかり片付いてる。私の倍の段ボールを一気に持ち上げた奏くんはさっさと外階段を上っていってしまう。ひどいなあ、少しくらい待っていてくれてもいいのに。慌てて後に続いたら、いきなり眩しい日差しが顔に当たってくらりとした。

 


「ずいぶん盛大な披露宴だったそうですね」

 パズルのようにあっちにこっちに段ボールを重ね直して、どうにか片付けていく。いつものことだけど、とにかく非効率的なのね。分かっちゃいるけど、これ以上整頓する時間がないのだから仕方ない。誰が見てもすぐに分かるように、決まった場所にしまうことが結局はやりやすいのね。

「……え?」

 入り口に置いた段ボールをバケツリレーのように手渡していたら、奏くんが不意にそんなふうに切り出した。すぐには何のことか分からなくて、思考が止まってしまう。不思議そうな顔をする私に、彼はようやく歪んでいた表情を少しだけ和らげた。

「朝、注文票を取りに来た魚屋さんが言ってましたよ。招待客が五百人とか、全く想像もつきませんね。一体どんな会場を使ったんだろう、町を挙げての大騒ぎになったんじゃないですか? 浜では花火もたくさん打ち上がったとか聞きましたよ」

 あ、そうか。

 奏くんの言う「魚屋さん」とは、旗之助が始めた宅配サービスのことだ。いつの間に園長に取り入ったのか、今では職員や保護者までが顧客になってる。お迎えの時間に合わせて園の入り口で受け取れるようになってるから、利用者もどんどん増えているみたい。この頃では他の園からの問い合わせもあるとか。
  公立だといろいろ難しいこともあるだろうけど、うちは私立だし。その辺は園長の采配でどうにでもなっちゃうのよね。そういえば園服を一括注文する業者だって、園長の幼なじみだって話だし。

「うーん、直接参加した訳じゃないし分からないわよ」

 何気ない風に返答するのに、そんなに視線を飛ばしてこないでよ。

 そりゃあね、驚いたよ。たった3、4ヶ月でこんな急展開は予想してなかったもの。お盆にちょっとだけ帰省したときには、母親の断末魔にも似た泣き言に延々と付き合わされる羽目になったわ。分かっていたら戻らなかったんだけど、本当に寝耳に水だったものね。

「ふふ、そんなこと言って。実はものすごーく後悔していたりするんじゃないですか? ほら、顔にそう書いてありますよ?」

 ええっ、そんな馬鹿な。慌てて両手で頬をごしごししたら、耳元のすぐ近くでくすくす笑い声。

「やだなー、すぐ本気にするんだから。……そんなはず、ないでしょう?」

 と、背中越しに感じる熱さ。

 うわあ、いつの間に背後に回ったのっ! 埃っぽい倉庫の中、なんかすごく場違いなんだけど。必死で発している拒否反応のオーラなんて、全くお構いなしなの。

「最香は俺のものだもの、誰にも渡さないよ」

 抵抗する暇もなく、唇を奪われていた。しかもすごーくディープな奴、勤務時間内にこれはかなりヤバイと思う。

「かっ、奏くんっ、てばっ……!」

 あのねー、入り口のドアに鍵が掛かってない上に半開きなんですけどっ! 駄目駄目っ、これ以上は絶対に無理っ!

「ふうん、そうなの? 最香は俺より、若い男の方が好みなのかなあ〜。さっきだってひどいよね、少しぐらい助け船を出してくれてもいいのに思いっきり無視してくれて。あれ、かなり傷ついたんですけど。どうします、この落とし前は?」

 だ〜か〜らっ! もう、園児と対等に張り合うのは止めなさいよねっ! 恥ずかしくないの、大人として。そんな風に分かりやすく拗ねられると、困っちゃうわよ全く。

「あ……んっ、駄目ぇっ……!」

 もう、隙あらばこんな感じなんだから、勘弁して欲しいわ。ヤバイから、コレ。怪しげに這い回る手のひら、ぎゅーっとつねったらようやく大人しくなる。

「はいはい、分かった。じゃ、今夜はお持ち帰りでOK? 約束破ったら、最香の部屋まで押しかけるからね」

 最後にもう一度、短いキス。そこに階段を上ってくる数名の足音が聞こえてきて、やさぐれ王子様も名残惜しそうに腕をほどいた。

 

 旗之助と圭子ちゃんのゴールインは、身近な人間たちの間でも寝耳に水の出来事だったようだ。

 私だって第一報を弟の青から聞いたときには我が耳を疑ったわ、あんなに強引に迫っておきながら変わり身の早さにはびっくりよ。そりゃ、私だって年齢差で選んだって言ってたけどね。それにしても、ねえ。

 あのあと、圭子ちゃんとは一度だけゆっくりと話をする機会があった。

「すみません、いろいろとご迷惑をおかけしました」

 保育園とは目と鼻の先にある喫茶店。深々と頭を下げたあともこちらに向き直らず俯いたままで、彼女は必死に絞り出すように告げた。

「どうにかして専務のお役に立てないかと、私がひとりで考えたことです。専務は何も悪くないんです、今も……今でも最香さんのことを一番大切に思っていらっしゃるんですから」

 彼女自身の中にある本当の気持ちは、途中から薄々と勘付いていた。それなのに指摘することもなく何となく過ごしていたのは、やはり私自身に「甘え」みたいなものがあったからなのだろう。
  もしもすべてが駄目になったら、そのときは小野崎に戻ればいいんだ――そんな風に逃げ道を残しておきたかったんだろうな。すごくずるい、人間として最低の行為だと思う。

「だけど、私も変わらないよ。いろいろ回り道もしたし、たくさんの人に迷惑を掛けてしまったけど……今自分が一番大切にしなければならないこと、ちゃんと分かったから」

 足りなかったのは、切り離す勇気。中途半端な優しさが相手をひどく傷つけることになると言うこと、ちゃんと気付かなくちゃならなかった。

「……そうですか」

 最後に私を見上げた圭子ちゃんの寂しげな瞳。その奥には一体どれくらいの想いが潜んでいたのだろう。

 その後の物語を私は知らない。知る必要もないし、ふたりが選んだ道ならば心から祝福してあげたいなと思う。来年の春、生まれてくる赤ちゃんに何か心のこもったお祝いが出来たらいいな。

 


「先輩っ、園庭の方で人手が必要みたいです。奈津先輩には断ってきましたから、すぐに下りてきていただけませんか?」

 倉庫を出てドアを閉めると、下の方から奏くんの声。一仕事済んだと思ったら、また呼び出しだわ。うーん、今日は一体何時に仕事が終わるのかな。

 外階段の踊り場からは、隙間なく連なる家並みがどこまでも続いているのが見える。都会の片隅の陽の当たる場所。私に出来るのはほんのささやかなことばかりだけど、それでもしっかりと前を見て一歩ずつ進んでいきたい。

 手すり越しにのぞき込めば、二階の踊り場で手を振る奏くん。その爽やかな笑顔の奥に、私だけに分かるもうひとつの眼差しが宿ってる。

「うん、分かった。すぐに行くねっ!」

 ふわりと翻るピンクエプロン。私を「おひめさま」にしてくれる王子様は果たして彼なのか、別の誰かなのか。

 

 遠い遠い未来を夢見る私の恋は、まだ歩き始めたばかり。

おしまい♪ (070605)
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2007年6月7日更新

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