つかれぬる 鈍き瞳を ひらきては 見るともなしに 何もとむとや
君もまた 一人かあはれ 恋ひ恋ふる かなしきなかに 生けるひとりか
春の森 青き幹ひく のこぎりの 音と木の香と 籔うぐひすと
ぬれ衣の なき名をひとに うたはれて 美しう居る うら寂しさよ
母恋し かかる夕べの ふるさとの 桜咲くらむ 山の姿よ
春は来ぬ 老いにし父の 御ひとみに 白ううつらむ 山ざくら花
父母よ 神にも似たる こしかたに 思ひ出ありや 山ざくら花
町はづれ きたなき溝の 匂ひ出る たそがれ時を みそさざい啼く
恋さめぬ あした日は出で ゆふべ月 からくりに似て 世はめぐるかな
青き玉 さやかに透きて 春の夜の 灯を吸へる見よ 凉しき瞳
火事あとの 黒木のみだれ 泥水の 乱れしうへの 赤蜻蛉かな
帆のうなり 涛の音こそ 身には湧け ああさやなれや 十月の雲
人どよむ 春の街ゆき ふとおもふ ふるさとの海の 鴎啼く声
山ざくら 花のつぼみの 花となる 間のいのちの 恋もせしかな
海の声 山の声みな 碧瑠璃の 天に沈みて 秋照る日なり
君は知らじ 君の馴寄るを 忌むごとき はかなごころの うらさびしさを
うら恋し さやかに恋と ならぬまに 別れて遠き さまざまの人
月光の うす青じめる 有明の 木の原つづき 啼く鶉かな
秋の海 かすかにひびく 君もわれも 無き世に似たる 狭霧白き日