和歌と俳句

釈迢空

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大正九年

風吹きて 岸に飄蕩ぐ舟のうちに、魚を焼かせて 待ちてわが居り

川風にきしめく舟にあがる波。きえて 復来る小き鳥 ひとつ

はやりかぜに、死ぬる人多き町に帰り、家をる日かず 久しくなりぬ

ふるさとの町を いとふと思はねば、人に知られぬ思ひの かそけさ

ふるさとはさびしかりけり。いさかへる子らの言も、我に似にけり

をりをりに しひづる我のあやまちを、笑ふことなる 家はさびしも

久しくはとまらぬ家に、つつましく 人ことわりて、こもる日つづく

兄の子の遊ぶを見れば、円くゐて 阿波のおつるの話せりけり

いわけなき我を見知りし町びとの、今はおほよそは、亡くなりにけり

よろこびて さびしくなれり。庭松に のそそぐ時うつりつつ

国さかり この二十年を見ざりけり。目を見あひつつあるは すべなし

をぢなきわらはべにて 我がありしかば、我を愛しと言ひし人はも

つぶつぶに かたらひ居りて飽かなくに、年深き町のとどろき聞ゆ

若き時 旅路にありしものがたり 忘れずありけり。われも わが友も

過ぎにし年をかたらへば、はかなさよ。牀の黄菊の 現しくもあらず

酒たしむ人になりたる友の顔 いまだわかみと 言に出でてほめつ

宵あさく 霙あがりし闇のそら なほ雪あると 仰ぎけるかも

あはずありし時の思ひあり。夜の街 小路のあかり、大路にとどく

雨ののち あかりとぼしきぬかり道に、心たゆみのしるきをおぼゆ

星満ちて 霜気霽れたる空闊し。値ひがたき世に あふことあらむ

行きとほる 家並みのほかげ明ければ、人いりこぞる家 多く見ゆ

夜の町に、室の花うるわらはべの その手かじけて、花たばね居り

道なかに 花売れりけり。別れ来し心つつしみに 花もとめたり

過ぐる日は、はるけきかもと 言しかば、人はすなはち はるけくなりつ