沈丁に夕べのあをさまさりくる
憂き日々にあり春蘭の薄埃
春蘭の影濃くうすく昼しづか
薄照りの陽に春蘭のもの憂しや
春愁のまなざし久し春蘭に
花の道母のぬくき手執りゆくも
母とゆく花のほそ道湿りけり
春愁の身にまとふものやはらかし
花の日々われのかかはりなく過ぎぬ
夫とゐて子を欲りし日よ遠き日よ
夫とゐる幻のなか花あかり
幸とほき日に馴れ花の樹々親し
牡丹園白日の海かゞやけり
牡丹昏れ夕べのひかり空に満つ
ぼうたんの昼闌けて書く巻手紙
夜の新樹こゝろはげしきものに耐ふ
夜の新樹はげしき雨も降り出でよ
熱少しある日の太鼓夜もひゞき
カンナの黄視野いつぱいに熱上る
日ざかりの黄の花にくみ熱に耐ふ
ひぐらしに樹々の残照ながかりき
蝉時雨熱の掌を組む胸うすし
蝉の夜の暗きともしび灯りけり
野菊咲き今年も締むる紅き帯
白菊とわれ月光の底に冴ゆ
草紅葉ひとのまなざし水に落つ
木洩れ日の素顔にあたり秋袷
独り言いよよ時雨るる夜となりぬ
秋逝くと黄昏ふかく樹々鳴りぬ
逝く秋のひとごゑ池をめぐりきぬ
逝く秋や夫が遺愛の筆太き
墨を磨る心しづかに冬に入る
氷る池硬き声音のひと通る
梅が香やひと来て坐る青畳
梅こぼれ午後の黒土あたたかき
水匂ひきさらぎの花咲き闌けぬ
笹子鳴きふたゝび空はくもりけり
永き日の「羽衣」を舞ひをさめける
能面をとるやほのかに春の汗
永き日の鼓きこゆる廊長し
金扇に春燈高きところより
初秋の肌へさやらに菜を食めり
秋風や日輪白く波にあり
棕櫚を揉む風となりたる無月かな
菊の日々ふるさとを母恋ひたまふ
母のこゑして菊を焚くうすけむり
ゆく人の眸のたのもしき師走かな
乏しきに馴れきよらかに年迎ふ
寒林の梢かゞやき海の音
大寒の河みなぎりて光りけり