北原白秋

シルクハットの 県知事さんが 出て見てる 天幕の外の 遠いアルプス

あの光るのは 千曲川ですと 指さした 山高帽の 野菜くさい手

さあプロジットだ 地面いつぱいに 敷きつめた 大鋸屑を飛ばす 早春の風

浅い春です 白樺の皮を 剥いで張る シガレット挿しの 円い筒です

の木の 花が咲きます 農民芸術の 木彫のナイフが 日に光ります

天つ辺にただに凌げば不二が嶺のいただき白う冴えにけるかも

不二ヶ嶺は七面も八峰もつむ雪の襞ふかぶかし眩ゆき白光

雪しろき不二のなだりのひとところげそりと崩えて紫深し

雪しろくいとど晴れたれ御殿場の真上の不二は低く厚く見ゆ

不二ヶ嶺はいただき白く積む雪の雪炎たてり真澄む後空

笠雲の昨夕見し不二のいちじるく寒けかりしか今朝のましろき

海苔とるとたづきありけり朝びらき小舟揺ちゆく棹手かなしも

海苔の田は上潮寒き海朶の間に逆さの不二が白う明り来

押し移り朱く騒立つ風雲の波だち雲は不二を目ざせり

不二ヶ嶺はまた雪ならし笠雲の浅夜は白く下りゐ畳めり

松風に白き飯食む春さきは浜防風も摘むべかりけり

まことにも清し松原天馳けて舞ひくだる翼のけはひこそすれ

ひさかたの天つをとめがゆり掛けし羽ごろもの松はこれのこの松

さにづらふ天つをとめが真素肌の乳房の莟み人は見にけり

夜に見れば不二の裾廻に曳く雲の白木綿雲は海に及べり

碓氷嶺の南おもてとなりにけりくだりつつ思ふ春のふかきを

黄金虫飛ぶ音きけば深山木の若葉の真洞春ふかむらし

靄ごめにもえてかがやく朱の若葉碓氷峠の旧道ゆけば

山路来てひたすらひもじ蕗の葉に満ちあふれゐる光を見れば

物のこゑひびかふきけばおほかたの若葉は和ぎてほど経ちにけり

和歌と俳句