山口誓子
青女
紅きもの枯野に見えて拾はれず
除夜零時過ぎてこころの華やぐも
正月の太陽襁褓もて翳る
喞筒の井輪飾かけて深し深し
年礼に来し木匠の木の香する
金石の音して独楽の社前駆く
水枕中を寒柝うち通る
寒風のぶつかりあひて海に出づ
雪しきり海苔場にはなほひと残る
雪すべてやみて宙より一二片
往き逢ひしときより枯野又遠し
野焼く火に微熱患者の吾は寄る
春の日や砂丘の窪に愛のふたり
春暁の此岸彼岸自転車ゆく
遠くよりわづかの巣藁咥へ来し
藁しべを一尺ばかり巣に垂らす
身を舐めて恋の猫ゐる海の濱
蝌蚪の水紅き火の粉のとび来る
生きてまた松の花粉に身は塗る
雪嶺として霞の中をなほ白め
濱砂を盗むかげろふはげしとき
かげろふに砂浜揺るる生きたけれ
米はかる音春昼に二度したり
眼の濡れし牛にしたしむ春の昼
春昼や病床ちかく女の膝
寝足りねば吾のみじめに春の昼
春潮や汽笛の余響沖へ抜け
干潟に立つ盛装の足袋脱ぎしのみ
海苔粗朶を出てより黙しなほ黙す
ことしまた海苔場に冷えて白髪増す
雛祭工場に油槽汚れ立つ
メーデーの畦道すこしなれど過ぐ
五月病むキリストのごと血の気失せ
てのひらに砂を平して五月処女
麦の秋農婦歩兵の歩みにて
麦生に立つ口の周囲の黒き髭
膝つきて金魚の池に親しめり
草の絮わがてのひらを発ち去れり
川波のひたすらなるにきりぎりす
すすみ来し空間かへす一蛍火