夏目漱石
局に閑あり静かに下す春の石
銀屏に墨もて梅の春寒し
三味線に冴えたる撥の春浅し
白き皿に絵の具を溶けば春浅し
行く春や経納めにと厳島
行く春や知らざるひまに頬の髭
活けて見る光琳の画の 椿哉
嫁の傘傾く土手や春の風
春惜む日ありて尼の木魚哉
枳殻の芽を吹く垣や春惜む
鎌倉へ下る日春の惜しき哉
桃の花隠れ家なるに吠ゆる犬
索船の縄のたるみや乙鳥
真向に坐りて見れど猫の恋
柳芽を吹いて四条のはたごかな
筋違に四条の橋や春の川
宝寺の隣に住んで桜哉
木屋丁や三筋になつて春の川
白梅にしぶきかかるや水車
孟宗の根を行く春の筧哉
梅早く咲いて温泉の出る小村哉
いち早き梅を見付けぬ竹の間
梅咲くや日の旗立つる草の戸に
鶯や草鞋を易ふる峠茶屋
鶯や藪くぐり行く蓑一つ
桃咲くやいまだに流行る漢方医
かりにする寺小屋なれど梅の花
文も候稚子に持たせて桃の花
春雨や身をすり寄せて一つ傘
耳の穴掘つて貰ひぬ春の風
岡持の傘にあまりて春の雨
病める人枕に倚れば瓶の梅
梅活けて聊かなれど手習す
煮て食ふかはた焼いてくふか春の魚
いたづらに書きたるものを梅とこそ