谷川の早瀬のひびき小夜ふけて慈悲心鳥の啼きわたるなり
檜の木山の光は寒し夏に入りて山吹の咲く村に来にけり
二つゐて郭公どりの啼く聞けば谺のごとしかはるがはるに
子どもらが湯にのこしたる木の葉舟口をすぼめて我は吹きをり
山の湯に雀の居りて朝夕に餌を拾ふこそやさしかりけれ
桑のみを爪だちあがり我は摘む幼きときも斯くのごとせし
桑の實を食めば思ほゆ山の家の母なし子にてありし昔を
わが庭の敷石のうへにかぶされる秋萩の花咲きそめにけり
久しくも夕顔の花咲きつぎて柵にあまれる蔓伸びにけり
夕顔の柵の末蔓屋根にのびて白き花さく秋となりにし
戸を閉さで灯影のとどく草むらに蟋蟀鳴けりこの二夜三夜
うちよりて夜は茶を飲む子どもらの休暇も果てぬこほろぎの声
わが馬の腹にさはらふ女郎花色の古りしは霜や至りし
皆がらに風に揺られてあはれなり小松が原の桔梗の花
わが馬の歩み自ら止まりて野中の萩の花喰ひにけり
野苺の赤き實いくつ掌にのせて心清しく思ひけるかな
野苺の青實の珠は露もてり心鮮けき光といはむ
山かげに深山雀といふ鳥の蜩に似て鳴くあはれなり
山の上に残る夕日の光消えて忽ち暗し谷川のおと
山深く馬を曳き来てあはれなり人に言ふ如く物言ふ馬子は
湯の窓に下るかと思ふ雲突し赤岳山ゆただに垂り来し
岩崩えの赤岳山に今ぞ照る光は粗し目に沁みにけり
雨霧の中に見えつる七日月あやしく明し晴れゆくらむか
高山ゆ雲を吹き下ろす風止みて鷽鳥の声ややひびくなり
湯の窓につつく白檜の葉の光霜と見るまで月照りにけり