和歌と俳句

若山牧水

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家の窓 ただひとところ あけおきて けふの時雨に もの読み始む

しみじみと けふ降る雨は きさらぎの 春のはじめの 雨にあらずや

窓さきの 暗くなりたる きさらぎの 強降雨を 見てなまけをり

きさらぎは 春のはじめは 年ごとに われのこころの さびしかる月

啼きむれて 鵯鳥こもる 杉の森の 下蔭にして みそさざい啼けり

葉がうれに 見ゆるひよどり 大きくて 杉の林は いよよ曇れり

晴れつづき 鉄道土堤を 焼くけむり ひくくあがれり 雪残る野に

貧しとし 時には嘆く 時として そのまづしさを 忘れても居る

ただ一花 しろの八重咲 葉がくれに 見えゐて寒き 大椿の樹

藪椿 枝張りひろげ つぼみたる 褪せたる花の いちめんに見ゆ

たかむらの 細きこずゑに 茂りつつ 赤らみなびく この春の日に

沼の面に 波うごきやがて うかびたる 大けき蟇は かすか音に鳴く

蟇の眼の 赤くうるみて うつたふる かなしき声は 澄みて徹れり

枯草を ひたせる沼の 雪解水 にごれるなかに 蟇は鳴くなり

春さむき みそらの日影 しらじらと 映れる沼に 蟇は鳴くなり

鳴き澄みて 蟇の群れたる 古沼に 大き緋鯉は いろさびて居る

おのが身の さびしきほどを 知りそめて 今年の春に あひにけるかも

わがこころに たのしみ満ちて けふをゆく 巷にとほく 埃あがれり

いま鳴るは とほき雷 春の夜の はげしき雨に おどろおどろ鳴る