和歌と俳句

若山牧水

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人の来ぬ 夜半をよろこび わが浸る 温泉あふれて 音たつるかも

わが肌の ぬくみといくらも かはらざる ぬるきいで湯は 澄みて湛へつ

夜ふけて 入るがならひと なりし湯の ぬるきもそぞろ 安けくてよし

長湯して 飽かぬこの湯の ぬるき湯に ひたりて安き こころなりけり

夜のふけを ぬるきこの湯に ひたりつつ 出でかねてをれば こほろぎ聞ゆ

田づらより 低き湯殿に ひびきくる 夜半の田面の こほろぎのこゑ

温泉村 湯げむり立てり 露に伏す 田づらの稲の 白きあしたを

庭さきの 稲田におつる わが宿の いで湯のけむり 露とむすべり

うちわたす 箱根山なみ 山の背の まろきにかかる あかつきの雲

めづらしき 今朝の寒さよ おもはざる 方には富士の 高く冴えゐて

垂穂田の 稲田のさきの 低山に くろずみ深き 楢櫟の木

あるとなき かすけき蕾 山茶花に ふふめるを今朝 見つけたりけり

沢につづく 此処の小庭に うつくしき 翡翠が来て 柘榴にぞをる

蚊帳ごしの 灯をみてをれば 暁を 聞え来るなり 遠寺の鐘

物音も なきあかつきの 静もりに ひびきてながい とほ寺の鐘

をちこちに 百舌鳥啼きかはし 垂穂田の 田づらは露に 伏し白みたり

湯の尻の 沼のへりなる 荻むらに 今朝おくは しとどなるかも

めづらしく 俥が通る 里みちに みにろ伏したり 秋草の穂は

今朝晴るる 秋のよわき日 水に射して かすかなるかも 浮草の花

浮草の 花ひとつ浮び かがやきて 水泥は深し 水づくその葉に

ながめゐて 眼ぞまどふなる 草むらの 露草の花の 花のしげきに

ひこばえの 木槿たけ低し 露草の 咲きさかる中に 花をひらきて